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昭和のプロレス:ネット時代の味噌っかす

2023-06-02 06:29:49 | 日記
有名な二代目

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」ではリングを盛り上げた脇役達
を振り返っています。
今週登場するのは「初代ニコリ・ボルコフ」
 私の永いプロレス観戦歴において、生で目にした最初の外人レスラー
がボルコフでした。
 1974年日本プロレスの第13回ワールドリーグの長野大会にやって
来ました。
 入口で買ったパンフの最終ページには当日の取り組みが判で押されて残って
います。
それによると第1試合と第2試合は日本人若手同士の15分1本勝負。
その次が20分1本勝負で、若手の安藤勝治と対戦するためにその日
最初に登場した外人がボルコフでした。

 外人レスラーとはデカくて凶暴、そんな先入観を見事に覆す小柄でおと
なしそうな風貌。
その後にどんな試合を展開したかは全く記憶にありません。
初遭遇のレスラーが強かったのか弱かったのか、そんな興味が湧いて
ネットに入力。
検索すればたいていのことはすぐに情報を入手できる便利な時代でが、
このボルコフに関しては事情が別。
知りたい情報が出てきません。

 ニコリ・ボルコフと入れた検索結果の上位はたいていがこんな具合です。
<1947年10月14日に生まれ2018年7月29日に逝去した
身長192cm体重140kgの大型のプロレスラー。
1972年日本プロレスに初来日して坂口のUN王座に挑戦。
74年からは新日に4回登場し猪木からフォールを奪う。
82年に全日マットに移りハンセンやブロディとタッグを組んでインター
タッグ王座に挑戦している。
合計8回の来日を記録した。>(Wikipedia より)
 でもこれは2代目ニコリ・ボルコフの概略。
私が探している初代ボルコフは出てきません。

不戦勝とリングアウト
 
 <1915年8月7日に生まれ2021年の8月29日に亡くなった
178cm110kgの小型のレスラー。
昭和46年に1度だけ来日。
第13回ワールドリーグに参戦したが完全に全盛を過ぎていた。
ボリス・ボルコフを名乗ったクリス・マルコフとボルコフブラザーズを結成
し、デトロイト地区のNWA世界タッグ王座を獲得したことがある。>
(ミック博士の昭和プロレス研究室 より)
 見つかるのはこれくらいで、後はパンフレットに記載された内容だけ。
<ニューヨークで初マットを踏みアメリカをくまなく歩き、カナダ、メキシコ、
オーストラリア、カリブ海諸島を転戦し初来日。
スラブ民族特有の頑丈な体格と猛烈な闘志を持つ要注意なタフガイ。>
 そんな煽りは無駄に終わり、日本人9選手と対戦し負け続け。
リーグ戦の最終戦績は不戦勝と両者リングアウトで得点僅か1どまり。
 強くなかったことだけは判明しました。

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