あるく あかるく

健康長寿 めざしましょう

昭和のプロレス:弓矢固めの喰らい方

2024-10-11 06:29:29 | 日記
BI砲とも対戦

 プロレスでは相手の技をきれいに受ける技術が大切、その技量に優れた
選手はファンの記憶に残ります。
1968年に32歳で日本プロレスに初来日したリッキー・ハンターもそのひとり。
 新春チャンピオンシリーズのパンフレットの表紙は6人の外人レスラーが
飾っていますが、筆頭は同じく初来日のクラッシャー。
大物のビル・ミラーとイヤウケアが続いて190cm110kgのリッキーは4番手。
 それなりに注目されていた気配ですが、この時は活躍の場が無いままシリーズ
を終えています。
 再来日したのはちょうど3年後の正月。
1月4日の開幕戦ではザ・ストンパーと組んで猪木・小鹿組と対戦。
ストンパーが猪木と小鹿を押さえ込む大暴れを見せる一方で、リッキーは猪木に敗退。

 21日と2月5日には最強コンビの馬場・猪木のBI砲と対戦し初戦は馬場に、
2戦目は猪木に敗れています。
 25日には猪木と吉村が持つアジアタッグにビル・ドロモと組んで挑戦。
1本目と2本目をドロモと猪木が取り合った後の3本目、吉村の得意技の回転
エビ固めでリッキーが押さえ込まれ12度目の防衛を許しています。
 1月6日と31日には猪木とシングルで対戦し、初戦は13分21秒にア
バラ折に、次戦では豪快なジャーマンスープレックスで押さえ込まれて負け。
シリーズを通して日プロの主役勢の見せ場作りにきっちりと貢献しています。

ブラジルでも対戦

 3度目の来日は75年10月の新日本の闘魂シリーズ。
パンフレットの筆頭はベアキャット・ライトとイワン・コロフ。
次ページは覆面のミスターXとグレッグ・バレンタイン。
その次に登場したリッキーには<筋金入りの実力者、カナダの喧嘩狂>の文句。
 如何にも、なプロレス流常套句の紹介文ですが、前回来日で幾度かテレビに
登場したので多少は知名度があります。
 このシリーズは9日の猪木対テーズのNWF戦が話題の中心、だからその後
に猪木のシングル戦は暫く無し。
 25日になって漸くリッキー相手に一騎打ちを行うと、その後はシリーズ中
に7回もリッキーとシングル戦。
ライトが4回、Xとバレンタインが2回なのでこれは特筆すべき多さです。
 当然ながら猪木のシングル戦は全てがメインの試合、注目される舞台で主役
を光らせる見せ場作りが相手選手には求められます。
当時猪木が売り物にしていた大技は弓矢固め、リッキーはそれを4試合で
喰らってギブアップ負け。
最高の見せ場作りに貢献しています。

 76年10月には新日のブラジル遠征に帯同し、8月14日にサンパウロで
猪木と対戦し見事なやられっぷりを披露しています。
 その年の10月シリーズに最後の来日を果たしますが、そこにはアンドレ
やパターソンも参戦。
となるとリッキーの存在は薄れます。
 猪木とのシングル対戦は12月1日と8日の僅かに2回に減りましたが、
両試合共に弓矢固めにギブアップし主役猪木を光らせたのでした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国語のおさらい:危ないかいしき | トップ | 日々の愚問:シニアも標準装備 »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事