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昭和のプロレス:業界の人気者

2024-05-17 06:29:19 | 日記
5試合の記録

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では会場を盛り上げた脇役達を
振り返っています。
今週は「宇宙怪人、スプートニク・モンロー」です。

 178cm104kgの小柄なモンローの初来日は1967年11月の日本
プロレス・ウインターシリーズ。
 15大会中にモンローの記録が残るのは5試合のみ。
17日と25日に猪木・吉村とタッグマッチを行い吉村と猪木にそれぞれ
フォール負け。
26日は猪木・大木とのタッグマッチで大木に敗退。
12月2日は猪木とシングル対決を行い9分57秒に負け。
翌3日は馬場・猪木・吉村との6人タッグに出場して馬場に片エビ固めで
下されています。
 5年後の72年2月のダイナミックシリーズに再来日。
3月6日の吉村とのシングル戦、13日の大木・吉村とのタッグマッチが
テレビで放送されています。

意外な評価

 日本のファンには印象の薄いモンローですが、関係者の評価は大違い。
日米で活躍したマティス鈴木がこう述べています。
<全米サーキットを回顧してベストは文句なしのダントツでモンロー。
動きはもちろん、観客のハートを掴むスキルはNO1、憧れのプロの
レスラーだった>(国際プロレス外伝 より)
これは想定外の誉め言葉です。 
 人種別のトイレが設けられるほど露骨な差別があった南部アメリカで、
モンローは黒人との融和を図りました。
 <アトランタの黒人ファンに驚異的に支持されていた。
いつも大勢の黒人に囲まれていた。
黒人居住区に入りプロレスの割引券を手渡していた>

 そんな行動は同業者の反発を買うかと思いきや、その反対。
<「35年この業界にいるが悪役ベスト10を挙げたら間違いなくモンロー
は上位」と語る団体関係者。
不世出の扇動家、登場するだけで事件が勃発する、存在自体が法律外と評された>
 白人なのに黒人に肩入れするモンローは憎むべき相手、そう思ったファンは
モンローの醜態見たさに会場に押しかけます。
観客が多ければ多いほど当日出場したレスラーのギャラは上がるもの。
<モンローは金の生る木、だからレスラーみんなが大歓迎した>

 そんなモンローの最期は若干悲しいもの。
<長年の飲酒と喫煙と不摂生がたたり片肺と胆嚢を切除。
70才で引退し77才で死去した>(引用は全て ALAS.廿軒家プロレス より)

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