脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

お盆に毎年思う事

2023年08月13日 | 2022年9月からのつぶやき
猛暑のお盆に、台風来てるのに、
菓子折り買って、お花を買って、
高い交通費と体力使って、遠距離移動して帰省できる人たちも、
その後、炎天下の岩盤浴状態のお墓に、お迎えに行ける人も、 
その数日後に、またお墓に送りに行ける人も、

帰省されても、歓迎して、あれこれ料理でもてなせる事ができる人たちも、

健康だから、それができるって事、
忘れないでほしい。

見た目が健康そうでも、
さまざまな理由から、
行くのも来られるのも、しんどくてできない人たちがいても、

批判しないでほしい。

大昔、奉公人は盆と暮れにしか、お休みがいただけな買ったのかもしれないから、

その名残が現代に残っているのかもしれないけど、

誰もが、お盆に限らず、行ける時に行き、

来られる方も負担なく大丈夫な人が、大丈夫なら時に、
来客が来られる事を心から喜べる時に、
来てもらえたら、いいのに、と思う。

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (かよた)
2023-08-14 10:27:21
ゆめさま

ご無沙汰しております。
病気の話とはズレるのですが、私の悩みを聞いてください。

ゆめさまも何度かご家族のこの病気への無理解についてブログに書かれていたことがありましたね。
私は一人暮らしゆえ、身近に病気の不安や苦痛をさらけ出せる相手もあまりいないのです。離れて暮らしている身内に、遠方への通院や日常生活の援助(←金銭的援助ではなく、付き添いや家事等の物理的援助)をごくたまにお願いしたり、病気の愚痴をこぼしたりしていました。それに対し身内は、できる範囲で物理的な援助はしてくれたと思います。しかし、この病気や治療について家族なりに理解を深めようとか、私の辛さを十分に理解想像し、分かち合おうとしてくれているようには思えませんでした。それについて私が不満を言うと、向こうに「あれもこれも、あんなにしてあげたのに!」と激昂されました。ずいぶん怒りを買ったようで、それ以来連絡をとっていません。
多忙な身内に寄りかかって愚痴をこぼしすぎた私にも落ち度はあるでしょうが、家族といえども病人の辛さに完全には寄り添ってもらえないものだなととても悲しく感じます。
この病気に限らず、病気の辛さは結局本人にしか分からない。それ故に病人というのは、ときに自己中心的になったり、身内に八つ当たりしたりすることもあると思います。それを完全に受け入れてほしいというのは確かに我儘かもしれません。しかし、身内にも「悲劇のヒロインぶって鬱陶しい」と疎まれてしまうことがとても悲しいと思いました。こちらは嘘や大袈裟を言っている訳ではなく、本当につらいのに、身内にしかこの辛さを打ち明けられないのに と思ってしまいます。
ゆめさんはご身内といつかまた寄り添い合うことができたのでしょうか。
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Unknown (ゆめ)
2023-08-14 14:08:00
脳脊髄液減少症の話しとは、ズレてないですよ。
まさに、書かれている事、すべてに共感いたします。

結論から言うと、私は、今も家族にも心から理解されてはいませんし、応援もされていません。

私は地元の医師にも、医療者にも心から支えてもらっているとほ感じられませんし、役人にも、議員にも脳脊髄液減少症の患者の窮状を訴えても、心から信頼でき頼れる人には出会えませんでした。

何度も孤独に、殺されそうになりました。

長い闘病で悩みを話せるような友達も1人もいません。

個人に理解を求めても、なかなか難しいと悟ったので、

だから、今でも、患者の自分のありのままの気持ちをここに吐き出して、セルフカウンセリングしてます。

かよたさん、ここでよかったら、どんどん気持ちを吐き出してください。

そうして、私たちは自分を自分たちで支え励ましながら、なんとか強く生き続けなければならないと思っています。
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Unknown (ゆめ)
2023-08-15 09:03:54
身内であろうが、恋人だろうが、親だろうが、パートナーだろうが、兄弟だろうが、医者だろうが、脳脊髄液減少症に対して興味がない人にいくら話しても、
伝わらないと私は悟りました。
でも、絶望感ではなく、あきらめ、というか。

私自身、いくら、過去の日本の戦争や今も外国で起こっている戦争の悲惨さを理解しようとしても、体験者の話から一生懸命想像しても、想像にも限界があり、ピンとこない事もあり、正直、理解するつもりが、「同情」になっている事に気づく事があります。
だから、私も、体験者でない人に、なかなか理解されないのも、仕方がないのかな?と少しずつ現実を受け入れられるようになりました。

だからと言って、伝えるのをやめたわけではありません。

わかってもらえないのを覚悟で、自分が傷つかないようあらかじめ、あきらめつつダメ元で、伝え続けています。

このブログも。
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Unknown (かよた)
2023-08-15 19:06:28
本当にそうですね。

私も病気を通して「病人の辛さは当人にしか分からない」としみじみ思いました。
この病気の症状は経験した者でないと、いくら説明しても理解できないと思います。見た目がさほど辛そうに見えないことも、病気の大変さが伝わらない要因だと思います。かと言って、そのことを身内に話しても「はいはい(また始まった、鬱陶しい‥)」というような反応。

自分も含めて、人間は結局自分のことしか考えられないのだろうなと思っています。
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Unknown (かよた)
2023-08-15 19:48:14
度々すみません。

「人間は自分のことしか考えられない」というのは少し暴論かもしれませんね。(いえ、私自身にはおそらく当てはまりますが‥)

正しくは「人間は自分の経験したこと以外は理解できない」というところでしょうか。
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Unknown (キャサリンプラス)
2023-08-15 19:58:10
ゆめさん、是非続けてくださね

私の場合、無理解どころか知人に悪口まで言われてたらしいです。
傷のない交通事故だったから長引くのが理解されなかったんだと思います。
自分自身も何でこうなるのか毎日イライラ、先のことの不安でいっぱいだし、
もう絶対ダメ〜なんて思ってても翌日、晴天でケロッとしてたり、そんな自分に自分がついて行けなかったり
風船が萎むように病むようになった頃は、隠れて病んでました。あまり話さなくなってて

その頃も、ゆめさんのブログありました。今もあって安心します。
返信する
Unknown (ゆめ)
2023-08-15 22:25:54
20年ほど前は「痴呆」と言われていた人たちが、今は「認知症」と呼ばれるようになりました。
「ボケ老人と家族の会」という名称も「認知症の人と家族の会」に変わりました。

昔は認知症の人達もまた、なんとなく、社会や健常者に、下に見られて、蔑まれていたような感じが、名称からも想像できます。

今は、昔に比べて、認知症の人が、周囲や社会に理解されてきました。
やっと、その人の性格に問題があるのではなく、
病気がその人をそのようにしてしまったのであって、その人が悪いわけじゃないという見方が、医療、福祉関係者をはじめ、社会に広がりました。

でも、その昔、昭和の時代も、明治の時代も、江戸時代も、古代から延々と日本には今でいう認知症の人たちがいたわけです。

その人たちは、今ほどの認知症の理解も手厚い社会的支援もない中、
どうやって理解されない症状に耐えて、
無理解な時代を生き抜き、また死んでいったのでしょうか?

自分ではどうする事もできない、物忘れ、見当識の障害、計算ができない、仕事が出来ない、家事ができない、徘徊する、失禁、感情のコントロールができないなどさまざまなトラブルを、周囲から責められ怒られ、罵倒され、時に暴力を振るわれたり、座敷牢に監禁されたりしたのかもしれません。

そういう苦難の時代の認知症の人達がいて、今、早期にMRI検査や、専門医の問診や検査で早期に認知症と診断され、デイサービスやリハビリやヘルパーや、住宅改修の、専門家たちの至れり尽せりの支援が介護保険で受けられる時代になりました。

今の認知症の人達は、過去の認知症の人達が、周囲のどんな無理解に遭い、孤独に苦しんでいたか?なんて想像もしないでしょう。
そういう過去の認知症患者たちがいたから、今がある!なんて考えもしないし、家族もそういう事に気づく人もいないでしょう。
今の、介護保険のある時代が、まるでむかしからあったように、当たり前に感じているでしょう。

だけど、私は、想像するんです。

過去の認知症患者さんたちは、おそらく、私が脳脊髄液減少症で経験してきたのど同じ悲しみ苦しみを体験していたのだろうと。

近くの医師や家族の無理解と、無理解な医師による、「気のせいだ、そんな事誰にでもあること、気にしすぎ!あなたの性格のせい」など度重なるハラスメントと、
家族や地域の人たちの無理解により、バカにされたり、いじめられたり、けなされたり、蔑まれたり、してたのだろうなぁと。

症状の辛さに加えて、家族にも理解されず、孤独で、辛かっただろうなぁと。

そうした、認知症の苦難の時代があったから、今の認知症の患者さんたちの時代が来たとしたら。

私も、せめて、私自身の体験を無駄にしないためには、これからの脳脊髄液減少症患者さんたちが当たり前に理解される時代に生きられるよう、
その踏み台になるしかないんだろうな、と思ってます。

が、踏み台にされる事もまた、新たな苦しみにもなり、
どうしたら、最終的にこんな人生に納得して死んでいけるのか?と
今も毎日思い悩んでいます。
返信する
Unknown (ゆめ)
2023-08-15 22:54:22
人は、よほど他人に興味関心がない限り、あるいは、他人の事を助けたり理解したりするだけの、心や時間のゆとりがない限り、人はみな自分の事で精一杯に生きています。

だから、人の事より自分が楽しく健康に生き、そして子孫を残す事ができるように、DNAに組み込まれているのかもしれませんね。

でも、人間も動物も、仲間と助け合ったりするのもあるから、それもDNAに組み込まれているのかもしれません。
とすると、自分には理解できない他者を理解しようとする能力も、人には備わっているのでしょうね。

たとえばですが、
私は、自分の心と体の性の不一致など、感じた事がないから、
体と心の性が一致しないと感じて苦しんでいるLGBTQの人達の気持ちなど、若い頃は想像した事もなかった。
けれど、
LGBTQの人達が、みんなそれぞれに声をあげてくれて、それを聞いているうちに、なんとなく想像できるようになりました。

もし、LGBTQの人が全員、誤解と偏見を恐れて口をつぐんでいたら、
いつまでたっても、LGBTQの人たちの気持ちや何に困っていて、何に苦しんでいて、周囲にどうしてほしいのか?がわからなかったと思います。

人間は、経験のない事への理解はなかなか難しくても、情報を与えられれば想像する力はあるんだから、
やはり、当事者は声を上げ続ける事は大切だと思います。

数は少なくても、私たちに興味を示し、理解しようとし、力を貸してくれる人たちもきっと社会にいるはず、
家族や周囲に理解者がいなくとも、
お互い落ち込まず、希望を持ちましょう!
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Unknown (キャサリンプラス)
2023-08-16 11:41:58
医者より先を走ってた、走ってる。知ってる。なんとなく、そう思えばいいのではないでしょうか?

縦割り医療のなか、どの科も必要な病気で走り回ったんだし

捉え方かもしれませんが、
私は犠牲にも踏み台にもなりたくないです。

色々な時代を見てきただけですよ~
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Unknown (ゆめ)
2023-08-16 11:55:03
私も踏み台にはなりたくありません。
今も、早期発見早期治療の患者さんや、親に理解されて親身に支えてもらっている患者さんには、正直嫉妬を覚えます。

でも、いろいろな時代を生き抜いてきた患者だからこそ、気づけることもある!と思うしかないですね。
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