当Blogにおける「恋愛禁止条例」に関する最近の議論を、ここで私なりに整理したいと思います。
↓の続きというか、視点を変えます。(「恋愛禁止条例=理念」という説明がわかりにくいというので)
恋愛禁止条例 自己責任論に反対する
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ea854ba7bd0c3c1f300f624ca48032a2
今日は、レイヤー構造で「恋愛禁止条例」の意義を考えたいと思います。
(伝えるために、あの手、この手で、がんばります。)
まず「恋愛禁止条例は破棄されたのか?」という問いがあって、これはかなりグレーな問題です。
AKB48運営は掲げるとも破棄するとも明確にはしていません。
破棄したとする立場の人は、「スルー=破棄」や「指原が選挙1位になり恋愛に関することを公言=実質的に破棄(もしくは破たん)」という論理だと思います。
「恋愛禁止条例破棄」と「恋愛肯定」とは必ずしも一致しませんが、「スルー=実質的に肯定」とする立場から、今AKB48は実質的に恋愛を肯定している状態だとする意見もあります。
しかし、運営が恋愛に関して明確な意思を示さないからといって、即「恋愛肯定」になるわけではありません。
「恋愛」がアイドル活動に大きな影響を与えることは、ほとんど自明であり、メンバーには率先して恋愛を肯定する動機は合理的には存在しないからです。
「恋愛禁止」は、「恋愛禁止条例」を掲げなくても「アイドルの行動規範」としてコード化されているものなのです。
ただ、「恋愛」は生物学的に埋め込まれたコードで「人間の基本設計」にあたるものですので、恋愛に向かおうとする情動は、社会的なコードであるアイドルの行動規範よりも遥かに強いものです。
厳密にいえば、強いというよりも、人間それ自身が恋愛を肯定するフレームワークですから、その中で恋愛禁止を実現するのは、工夫が必要です。
「恋愛の真っ只中で、恋愛禁止を叫ぶ」くらいのお話です。
これをコンピューター・システムにおけるレイヤー構造のアナロジーで考えると、OS(オペレーティング・システム)がその上で動作するアプリケーションに対して優越するというか、アプリはOSの制約条件を超えることはできない、ということに似ています。
心理的には「恋愛」は「アイドル行動規範」に優越する存在なのです。
しかし、それは時としてアイドルとしてのエラーに繋がるものです。
実際、結構な数のエラーが発生しているのが今のAKB48の現状かもしれません。
そこで、「恋愛禁止条例」の意義が出てきます。
OSレイヤーに、「アイドル行動規範」に加えて「恋愛禁止条例」を組み込み、エラーの発生を抑制したわけです。
上位レイヤーに便利な機能を提供しつつ、システム全体の信頼性と完全性を保全するための存在として「恋愛禁止条例」の存在意義が出てきました。
AKB48の場合、他のアイドル・グループに比べてメンバーや活動にかなり多様性があるわけですが、多様性を高めることとガバナンスをきかせるというのは単純には矛盾しますので、これを「恋愛禁止条例」で方向性を合わせて両立させていたわけです。
「恋愛禁止条例」がスタックから抜けると、これまで「恋愛禁止条例」に頼っていた分を何かで埋め合わせないといけなくなります。
一部コメントで頂いている「異分子を除去」というものを要約すると、「恋愛禁止条例がなくなって動作不安定になる原因となりそうなアプリは排除しよう」というお話になるかと思います。
コメンテーターが、システム全体の信頼性が落ちると予測していることからくる意見かと思います。
(表現を変えた方が理解は得られやすいと思いますよ。是非ご検討ください。)
一方、「恋愛禁止条例がなくなってもシステムは不安定にならない」という立場の人々もかなりの数いるわけです。
人によっては「むしろ制約が外れて動きやすくなった」という意見もあります。
この前提が合わないので、目指すべきものが合わないと思います。
他にも、ハイブリッド方式でいくべきだと主張する人もいるでしょう。
グループ内で使い分けるという意見です。
その場合、どこで線を引くのかが問題になります。
おそらく具体的に線を引くのは難しいでしょう。
さらに、もしあなたが複雑系システムの研究者ならば、こう言うかもしれません。
エラーこそ既存の体制を破壊してシステムを進化させるために必要だ。
エラーを許さないシステムではなく、エラーを一つ上の次元で利用するシステムを構築すべきだ。
と、言うかもしれません。
アイディアに説得力がありますが、どういう仕組みでそれを実現するのか、になるでしょう。


話を戻しましょう。
このエントリでは、「恋愛禁止条例の破棄≠恋愛肯定」だと説明しました。
その上で、「恋愛禁止条例」は、AKB48が価値創造とシステム全体の信頼性と完全性を両立させるためのフレームワークだと説明しました。
という認識に基づいて、では、結局、「恋愛禁止条例」を失ってシステムは不安定になるのか、それとも進化するのか、不安定になる場合はなぜそうなるのか、そしてどうするべきか、進化するのであれば、なぜ進化するのか、どう進化するのか、ここが議論の次の要点ではないかと思います。
↓の続きというか、視点を変えます。(「恋愛禁止条例=理念」という説明がわかりにくいというので)
恋愛禁止条例 自己責任論に反対する
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ea854ba7bd0c3c1f300f624ca48032a2
今日は、レイヤー構造で「恋愛禁止条例」の意義を考えたいと思います。
(伝えるために、あの手、この手で、がんばります。)
まず「恋愛禁止条例は破棄されたのか?」という問いがあって、これはかなりグレーな問題です。
AKB48運営は掲げるとも破棄するとも明確にはしていません。
破棄したとする立場の人は、「スルー=破棄」や「指原が選挙1位になり恋愛に関することを公言=実質的に破棄(もしくは破たん)」という論理だと思います。
「恋愛禁止条例破棄」と「恋愛肯定」とは必ずしも一致しませんが、「スルー=実質的に肯定」とする立場から、今AKB48は実質的に恋愛を肯定している状態だとする意見もあります。
しかし、運営が恋愛に関して明確な意思を示さないからといって、即「恋愛肯定」になるわけではありません。
「恋愛」がアイドル活動に大きな影響を与えることは、ほとんど自明であり、メンバーには率先して恋愛を肯定する動機は合理的には存在しないからです。
「恋愛禁止」は、「恋愛禁止条例」を掲げなくても「アイドルの行動規範」としてコード化されているものなのです。
ただ、「恋愛」は生物学的に埋め込まれたコードで「人間の基本設計」にあたるものですので、恋愛に向かおうとする情動は、社会的なコードであるアイドルの行動規範よりも遥かに強いものです。
厳密にいえば、強いというよりも、人間それ自身が恋愛を肯定するフレームワークですから、その中で恋愛禁止を実現するのは、工夫が必要です。
「恋愛の真っ只中で、恋愛禁止を叫ぶ」くらいのお話です。
これをコンピューター・システムにおけるレイヤー構造のアナロジーで考えると、OS(オペレーティング・システム)がその上で動作するアプリケーションに対して優越するというか、アプリはOSの制約条件を超えることはできない、ということに似ています。
心理的には「恋愛」は「アイドル行動規範」に優越する存在なのです。
しかし、それは時としてアイドルとしてのエラーに繋がるものです。
実際、結構な数のエラーが発生しているのが今のAKB48の現状かもしれません。
そこで、「恋愛禁止条例」の意義が出てきます。
OSレイヤーに、「アイドル行動規範」に加えて「恋愛禁止条例」を組み込み、エラーの発生を抑制したわけです。
上位レイヤーに便利な機能を提供しつつ、システム全体の信頼性と完全性を保全するための存在として「恋愛禁止条例」の存在意義が出てきました。
AKB48の場合、他のアイドル・グループに比べてメンバーや活動にかなり多様性があるわけですが、多様性を高めることとガバナンスをきかせるというのは単純には矛盾しますので、これを「恋愛禁止条例」で方向性を合わせて両立させていたわけです。
「恋愛禁止条例」がスタックから抜けると、これまで「恋愛禁止条例」に頼っていた分を何かで埋め合わせないといけなくなります。
一部コメントで頂いている「異分子を除去」というものを要約すると、「恋愛禁止条例がなくなって動作不安定になる原因となりそうなアプリは排除しよう」というお話になるかと思います。
コメンテーターが、システム全体の信頼性が落ちると予測していることからくる意見かと思います。
(表現を変えた方が理解は得られやすいと思いますよ。是非ご検討ください。)
一方、「恋愛禁止条例がなくなってもシステムは不安定にならない」という立場の人々もかなりの数いるわけです。
人によっては「むしろ制約が外れて動きやすくなった」という意見もあります。
この前提が合わないので、目指すべきものが合わないと思います。
他にも、ハイブリッド方式でいくべきだと主張する人もいるでしょう。
グループ内で使い分けるという意見です。
その場合、どこで線を引くのかが問題になります。
おそらく具体的に線を引くのは難しいでしょう。
さらに、もしあなたが複雑系システムの研究者ならば、こう言うかもしれません。
エラーこそ既存の体制を破壊してシステムを進化させるために必要だ。
エラーを許さないシステムではなく、エラーを一つ上の次元で利用するシステムを構築すべきだ。
と、言うかもしれません。
アイディアに説得力がありますが、どういう仕組みでそれを実現するのか、になるでしょう。


話を戻しましょう。
このエントリでは、「恋愛禁止条例の破棄≠恋愛肯定」だと説明しました。
その上で、「恋愛禁止条例」は、AKB48が価値創造とシステム全体の信頼性と完全性を両立させるためのフレームワークだと説明しました。
という認識に基づいて、では、結局、「恋愛禁止条例」を失ってシステムは不安定になるのか、それとも進化するのか、不安定になる場合はなぜそうなるのか、そしてどうするべきか、進化するのであれば、なぜ進化するのか、どう進化するのか、ここが議論の次の要点ではないかと思います。