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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

「恋愛禁止条例」に関する次の論点を挙げます。

2013-08-01 16:07:47 | AKB48_オピニオン
当Blogにおける「恋愛禁止条例」に関する最近の議論を、ここで私なりに整理したいと思います。

↓の続きというか、視点を変えます。(「恋愛禁止条例=理念」という説明がわかりにくいというので)

恋愛禁止条例 自己責任論に反対する
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ea854ba7bd0c3c1f300f624ca48032a2


今日は、レイヤー構造で「恋愛禁止条例」の意義を考えたいと思います。

(伝えるために、あの手、この手で、がんばります。)


まず「恋愛禁止条例は破棄されたのか?」という問いがあって、これはかなりグレーな問題です。

AKB48運営は掲げるとも破棄するとも明確にはしていません。

破棄したとする立場の人は、「スルー=破棄」や「指原が選挙1位になり恋愛に関することを公言=実質的に破棄(もしくは破たん)」という論理だと思います。

「恋愛禁止条例破棄」と「恋愛肯定」とは必ずしも一致しませんが、「スルー=実質的に肯定」とする立場から、今AKB48は実質的に恋愛を肯定している状態だとする意見もあります。

しかし、運営が恋愛に関して明確な意思を示さないからといって、即「恋愛肯定」になるわけではありません。

「恋愛」がアイドル活動に大きな影響を与えることは、ほとんど自明であり、メンバーには率先して恋愛を肯定する動機は合理的には存在しないからです。

「恋愛禁止」は、「恋愛禁止条例」を掲げなくても「アイドルの行動規範」としてコード化されているものなのです。

ただ、「恋愛」は生物学的に埋め込まれたコードで「人間の基本設計」にあたるものですので、恋愛に向かおうとする情動は、社会的なコードであるアイドルの行動規範よりも遥かに強いものです。

厳密にいえば、強いというよりも、人間それ自身が恋愛を肯定するフレームワークですから、その中で恋愛禁止を実現するのは、工夫が必要です。

「恋愛の真っ只中で、恋愛禁止を叫ぶ」くらいのお話です。

これをコンピューター・システムにおけるレイヤー構造のアナロジーで考えると、OS(オペレーティング・システム)がその上で動作するアプリケーションに対して優越するというか、アプリはOSの制約条件を超えることはできない、ということに似ています。

心理的には「恋愛」は「アイドル行動規範」に優越する存在なのです。

しかし、それは時としてアイドルとしてのエラーに繋がるものです。

実際、結構な数のエラーが発生しているのが今のAKB48の現状かもしれません。

そこで、「恋愛禁止条例」の意義が出てきます。

OSレイヤーに、「アイドル行動規範」に加えて「恋愛禁止条例」を組み込み、エラーの発生を抑制したわけです。

上位レイヤーに便利な機能を提供しつつ、システム全体の信頼性と完全性を保全するための存在として「恋愛禁止条例」の存在意義が出てきました。

AKB48の場合、他のアイドル・グループに比べてメンバーや活動にかなり多様性があるわけですが、多様性を高めることとガバナンスをきかせるというのは単純には矛盾しますので、これを「恋愛禁止条例」で方向性を合わせて両立させていたわけです。

「恋愛禁止条例」がスタックから抜けると、これまで「恋愛禁止条例」に頼っていた分を何かで埋め合わせないといけなくなります。

一部コメントで頂いている「異分子を除去」というものを要約すると、「恋愛禁止条例がなくなって動作不安定になる原因となりそうなアプリは排除しよう」というお話になるかと思います。

コメンテーターが、システム全体の信頼性が落ちると予測していることからくる意見かと思います。

(表現を変えた方が理解は得られやすいと思いますよ。是非ご検討ください。)

一方、「恋愛禁止条例がなくなってもシステムは不安定にならない」という立場の人々もかなりの数いるわけです。

人によっては「むしろ制約が外れて動きやすくなった」という意見もあります。

この前提が合わないので、目指すべきものが合わないと思います。

他にも、ハイブリッド方式でいくべきだと主張する人もいるでしょう。

グループ内で使い分けるという意見です。

その場合、どこで線を引くのかが問題になります。

おそらく具体的に線を引くのは難しいでしょう。

さらに、もしあなたが複雑系システムの研究者ならば、こう言うかもしれません。

エラーこそ既存の体制を破壊してシステムを進化させるために必要だ。

エラーを許さないシステムではなく、エラーを一つ上の次元で利用するシステムを構築すべきだ。

と、言うかもしれません。

アイディアに説得力がありますが、どういう仕組みでそれを実現するのか、になるでしょう。









話を戻しましょう。

このエントリでは、「恋愛禁止条例の破棄≠恋愛肯定」だと説明しました。

その上で、「恋愛禁止条例」は、AKB48が価値創造とシステム全体の信頼性と完全性を両立させるためのフレームワークだと説明しました。

という認識に基づいて、では、結局、「恋愛禁止条例」を失ってシステムは不安定になるのか、それとも進化するのか、不安定になる場合はなぜそうなるのか、そしてどうするべきか、進化するのであれば、なぜ進化するのか、どう進化するのか、ここが議論の次の要点ではないかと思います。

研究生ゴリ推しについて

2013-08-01 00:03:44 | AKB48_軽ネタ

「研究生」という文脈では2つ言いたいことが。

つれづれなるままに書きます。



1つ目、何度かコメントで研究生に関する政策が当Blogの主張と似ていると指摘された点について。

「若手を推す」という関連があるだけで、全く異なるものです。

当Blogで若手を推すべきと主張する理由は、既存の体制の価値観に束縛されない政策を実施可能とするためです。

『イノベーションのジレンマ』の話は過去何度も繰り返している話なので、ここでは詳しく述べませんが簡単に説明します。

組織の事業規模が大きくなると、どうしても小粒な事業の魅力が相対的に低下し、また意思決定プロセスにおいても規模の大きい事業が優先されやすくなるため、経営資源の配分比率が規模の大きさに依存するようになります。

すると、潜在的に将来性のある事業の芽を潰す結果に繋がりやすくなります。

既存事業が魅力的もしくは改善余地があればあるほど、また将来予測が不確実であればあるほど、この傾向は強く出ます。

利益を生み出せるところで戦おうとするのが合理的な判断だからです。

しかし、自ら新しい市場やルールを作り出そうとする意思と行動を持たないと、市場の構造が劇的に変化する場合に、出遅れ競合に先行を許してしまう可能性が増します。

既存の事業を継続・強化しながら、新しい市場を作り出すというのは、基本的に利益相反になる話なので、これは簡単なことではありません。

たとえば、AKB48事業を継続・強化しながら、新しいアイドルグループを作る場合、ファンの取り合いが発生するため、新事業に比してAKB48事業が圧倒的に大きい場合、新事業は潰されるのが普通です。

そのため、これまでとは全くことなる新事業を起こす場合は「スピンオフ」をして既存事業と切り離すことが望ましいとされています。、

(完全にスピンオフする形態から、一部資源を共有する形態など、スピンオフのパターンは幾つかあります。)

今まさに「研究生ゴリ推し」に対する反発がちらほら散見される状態だと思いますが、研究生に資源を配分すれば、その分だけ割を食うメンバーたち(いわゆる干され)が一方にはいるわけですから、そのスタッフ、メンバー、ファンたちからすればゴリ推しは簡単には許せず、組織内駆け引きや組織的怠惰が引き起こされる可能性が増します。

逆に、たいして炎上もしないようだと、それは研究生に配分している資源の価値が低いということであり、実のところゴリ推しの効果がないことになります。

つまり、「正しいゴリ推しは必ず反発なり炎上を引き起こす」ということです。

それに耐えられねばゴリ推しを撤退することになりますが、最悪なのはやり続けて成功しないパターンです。

この場合は撤退するよりも大きな損失を被ることになるでしょう。

成功しても既存の収益構造を部分的には失いますので、それ以上の収益に繋がらなければ損失を被ることになります。

ギャンブル性は避けられず、賭けの要素が多分に出る意思決定となるでしょう。

それゆえ、私はチーム4時代から今チーム8で「スピンオフ」を提案しているわけで、メンバーとしてはAKB48に所属しながらチームとしては独立した別働隊として活動するのが、同じ賭けならこちらが筋がいいと思います。

今のようにAKB48体制の中にがっつり組み込んだ形でのゴリ推しは、私は筋の悪い政策だと思っています。

あくまでも個人的な考えです。

ただ、グループを跨いだ研究生グループの結成については、これは評価できると思います。

研究生時代の横のつながりを強化する政策は、兼任よりも効果があるかもしれないと考えます。

私は以前AKB48グループ全体の研究生を組織化する「研究生会議」を提案しています。

時間を必要とする政策ではありますが。


※注意
まだ皆がその価値に気づいていない資源を配分する場合は、ゴリ推しには該当しません。
例えば、SKE48松村がよい手本なのです。
ググタスという他のメンバーが価値を見い出せずにいるツールをいち早く使うことで存在感を高めることができました。
ググタスのように他のメンバーにコスト負担が発生しない場合、スピンオフに近い効果を発揮することができます。
資源の所有・使用権に自由裁量があることがイノベーションには重要です。
詳しくは過去のエントリを参照してください。


ダラダラと書きましたが、以上が1つ目のお話でした。

運営と私の考えは別物です。



次は2つ目。

運営がなぜ研究生ゴリ推しをするのか。

私は、それが「もともとのAKB48が目指していた姿だから」だと思います。

世代交代もないわけではないと思いますが、それよりもあるべき姿に戻ろうという「原点回帰」の意思を強く感じています。

最近の恋愛禁止条例に関する混乱を乗り越えるためにも、「恋愛禁止条例よりも前に戻ろう!」という意思ですね。

「恋愛禁止条例」なんてあえて言わなくてもよかった時代「ガチ・マジ」の原点に戻るという意味です。

実はそんな時代は頭の中にしかなく、単なるノスタルジーなのかもしれません。

しかし、それでも今一度「原点に戻ろう」ということです。

AKB48は当初予備校がコンセプトでしたが、成功した後は、選抜などの組織資源の取り合いという組織内の序列や政治が主な関心事になり、手段の自己目的化が横行してしまっています。

簡単に言えば官僚化です。

少し前に「AKB48は社会的な存在になろうとして背伸びをして失敗した」というコメントを頂きましたが、一理あるお話です。

社会的存在としてのAKB48を否定するのではなく、根っこのアイドルの部分が弱体化しているため、原点回帰をしてまず根をしっかり張り、養分を吸収する体制を整える必要性に気づいたということでしょう。

私は「最高レベルの重罪人」とまで言われてしまいましたが、歴史がどちらが正しいのか証明してくれると思いながら、今後もウォッチしていきたいと思います。


簡単ではありますが、以上が2つ目のお話です。