「研究生」という文脈では2つ言いたいことが。
つれづれなるままに書きます。
1つ目、何度かコメントで研究生に関する政策が当Blogの主張と似ていると指摘された点について。
「若手を推す」という関連があるだけで、全く異なるものです。
当Blogで若手を推すべきと主張する理由は、既存の体制の価値観に束縛されない政策を実施可能とするためです。
『イノベーションのジレンマ』の話は過去何度も繰り返している話なので、ここでは詳しく述べませんが簡単に説明します。
組織の事業規模が大きくなると、どうしても小粒な事業の魅力が相対的に低下し、また意思決定プロセスにおいても規模の大きい事業が優先されやすくなるため、経営資源の配分比率が規模の大きさに依存するようになります。
すると、潜在的に将来性のある事業の芽を潰す結果に繋がりやすくなります。
既存事業が魅力的もしくは改善余地があればあるほど、また将来予測が不確実であればあるほど、この傾向は強く出ます。
利益を生み出せるところで戦おうとするのが合理的な判断だからです。
しかし、自ら新しい市場やルールを作り出そうとする意思と行動を持たないと、市場の構造が劇的に変化する場合に、出遅れ競合に先行を許してしまう可能性が増します。
既存の事業を継続・強化しながら、新しい市場を作り出すというのは、基本的に利益相反になる話なので、これは簡単なことではありません。
たとえば、AKB48事業を継続・強化しながら、新しいアイドルグループを作る場合、ファンの取り合いが発生するため、新事業に比してAKB48事業が圧倒的に大きい場合、新事業は潰されるのが普通です。
そのため、これまでとは全くことなる新事業を起こす場合は「スピンオフ」をして既存事業と切り離すことが望ましいとされています。、
(完全にスピンオフする形態から、一部資源を共有する形態など、スピンオフのパターンは幾つかあります。)
今まさに「研究生ゴリ推し」に対する反発がちらほら散見される状態だと思いますが、研究生に資源を配分すれば、その分だけ割を食うメンバーたち(いわゆる干され)が一方にはいるわけですから、そのスタッフ、メンバー、ファンたちからすればゴリ推しは簡単には許せず、組織内駆け引きや組織的怠惰が引き起こされる可能性が増します。
逆に、たいして炎上もしないようだと、それは研究生に配分している資源の価値が低いということであり、実のところゴリ推しの効果がないことになります。
つまり、「正しいゴリ推しは必ず反発なり炎上を引き起こす」ということです。
それに耐えられねばゴリ推しを撤退することになりますが、最悪なのはやり続けて成功しないパターンです。
この場合は撤退するよりも大きな損失を被ることになるでしょう。
成功しても既存の収益構造を部分的には失いますので、それ以上の収益に繋がらなければ損失を被ることになります。
ギャンブル性は避けられず、賭けの要素が多分に出る意思決定となるでしょう。
それゆえ、私はチーム4時代から今チーム8で「スピンオフ」を提案しているわけで、メンバーとしてはAKB48に所属しながらチームとしては独立した別働隊として活動するのが、同じ賭けならこちらが筋がいいと思います。
今のようにAKB48体制の中にがっつり組み込んだ形でのゴリ推しは、私は筋の悪い政策だと思っています。
あくまでも個人的な考えです。
ただ、グループを跨いだ研究生グループの結成については、これは評価できると思います。
研究生時代の横のつながりを強化する政策は、兼任よりも効果があるかもしれないと考えます。
私は以前AKB48グループ全体の研究生を組織化する「研究生会議」を提案しています。
時間を必要とする政策ではありますが。
※注意
まだ皆がその価値に気づいていない資源を配分する場合は、ゴリ推しには該当しません。
例えば、SKE48松村がよい手本なのです。
ググタスという他のメンバーが価値を見い出せずにいるツールをいち早く使うことで存在感を高めることができました。
ググタスのように他のメンバーにコスト負担が発生しない場合、スピンオフに近い効果を発揮することができます。
資源の所有・使用権に自由裁量があることがイノベーションには重要です。
詳しくは過去のエントリを参照してください。
ダラダラと書きましたが、以上が1つ目のお話でした。
運営と私の考えは別物です。
次は2つ目。
運営がなぜ研究生ゴリ推しをするのか。
私は、それが「もともとのAKB48が目指していた姿だから」だと思います。
世代交代もないわけではないと思いますが、それよりもあるべき姿に戻ろうという「原点回帰」の意思を強く感じています。
最近の恋愛禁止条例に関する混乱を乗り越えるためにも、「恋愛禁止条例よりも前に戻ろう!」という意思ですね。
「恋愛禁止条例」なんてあえて言わなくてもよかった時代「ガチ・マジ」の原点に戻るという意味です。
実はそんな時代は頭の中にしかなく、単なるノスタルジーなのかもしれません。
しかし、それでも今一度「原点に戻ろう」ということです。
AKB48は当初予備校がコンセプトでしたが、成功した後は、選抜などの組織資源の取り合いという組織内の序列や政治が主な関心事になり、手段の自己目的化が横行してしまっています。
簡単に言えば官僚化です。
少し前に「AKB48は社会的な存在になろうとして背伸びをして失敗した」というコメントを頂きましたが、一理あるお話です。
社会的存在としてのAKB48を否定するのではなく、根っこのアイドルの部分が弱体化しているため、原点回帰をしてまず根をしっかり張り、養分を吸収する体制を整える必要性に気づいたということでしょう。
私は「最高レベルの重罪人」とまで言われてしまいましたが、歴史がどちらが正しいのか証明してくれると思いながら、今後もウォッチしていきたいと思います。
簡単ではありますが、以上が2つ目のお話です。
4期や宮崎北原時代から今に至るまで、研究生制度スタート以降、運営が研究生を推さなかったことは一度もありません。
ただ、いかんせん推す規模と手法が昔と違って大味になりすぎ、支持しカネを出すべきヲタの感情にストンと入って来ませんね。
運営は、今も昔も研究生か正規メンバーかに、本質的な差異を見ていないのでしょう。ヲタとは違って。
現に、今のチームB2正規メンバーが、何が研究生と違うのか説明できるヲタはどこにもいない。2年前のチームEも、形だけ正規で研究生そのもの。
9期研究生をゴリ推した時に使った前座ガールズという推し方は、個人的にはストンと受け入れられます。所詮は前座、身の程をわきまえています。一方
運営はなぜ札幌ドームの客寄せに新ユニット結成!と思わせぶりな大風呂敷広げて、研究生にメインイベントを戦わせるような真似をしたのか。現に今日出てきたのはアンコール初っ端で、前座ではない。客に対して不誠実だなと思います。
練習生は前座を戦う。お笑いの駆け出しは、前説から始める。それが日本人にとっての筋です。運営は不誠実です。
運営が選抜し、運営が推したいメンバーをヲタに認めさせるのではなく、時間がかかってもヲタが見出しヲタが祭り上げた体にプロデュースしていくことが出来ない今の運営は、力量が低いと思います。
いくら魅力的であっても、落選した政治家を『民間大臣』に任命したり、どっかの大阪のいち首長が国政の党首に祭り上がっている”正当性のなさ”を、研究生ユニットには感じます。
筋を通せ、ヲタを素直に躍らせるシナリオ書けよと。
もしスピンオフしきれるなら、正当性も帯びて筋が通りますね。でも、チーム4もAKBのくびきから逃れられず、『AKB48体制の中にがっつり組み込んだ形でのゴリ推し』そのものでした。
チーム4ならゴリ推してもらえる(A・K・Bなら推してもらえないのに)という7期ヲタ等のぼやきが懐かしい。
仰る通り、今後も長期に渡って事業を継続させていかなければならない運営からすれば、「次世代」や「若手」を推すのは当然の「投資」です。
その上で、皆さんが批判しているのは、その投資基準が「研究生」により過ぎているため、正規生/研究生の境界を曖昧にしてしまい、AKB48のステークホルダーが共有している「正規生」に関する価値観が混乱、結果としてモラルの低下が発生する、ということだと受け取っています。
運営は反省すべきでしょう。
で、どう反省すべきか考えてみます。
実は、私は、AKB48という組織における正当性基準を混乱させ不確実性を高めるやり方自体には、半分賛成です。
これは過去SKE48について書いたことですし、本文の後半で書いたことなのですが、実質的に「正規生」の価値が形骸化しているからです。
「正規生」は「選抜」と「干され」に二分化していて、後者についてはほとんど資源を活かせていない状態です。
真に運営に問いただすべきことは、「なぜ研究生をゴリ推すのか?」ではなく、「正規生の価値を高める努力をしているか?」ということであるべきです。
ですが、実のところ運営には手がありません。
一生懸命に考えたけど有効な手立てを思いつくところまで至らなかった、というところが本音だと思います。
そうすると、運営が取り得る方針は次のようなものになるでしょう。
「正規生」ではなく「メンバー」の価値を高める政策を重視しよう!
で、今まさにそれと「次世代・若手」への投資を同時に実行している、というところだと思います。
なので、今取り組むべき課題は、
>ヲタを素直に躍らせるシナリオ書け
↑これだと思います。
>実は、私は、AKB48という組織における正当性基準を混乱させ不確実性を高めるやり方自体には、半分賛成です。
と半分という表現を使われました。そのことで、自分の見解とベクトルが近いのか相違してるのか、いまいちわかりません。
研究生や次世代メンを、政策的にウェートを置いて推すことは、適切です。リアルの産業政策も、利益の芽ある新産業や外貨を得られる成長産業に注がれており、干され中堅古参メンのような不況業種にはセーフティネットとしての雇用調整支援と業種転換支援程度。それと同じ。そこに悪平等はない。
ではなぜ今の運営のコレを、私は許す気にならないのか。
あの研究生たちについては、(田島朝長を除き)目に見える実績もない。パフォーマンスがヲタに十分に見られ評価があるわけでもない。その人間性やキャラの魅力が十分に顧客に伝わっておらず、愛されているとはまだ言えない。
そういう属性のメンバーを(研究生でもチームB2の似非正規生でもどっちでも良いです。)、選抜メンバー相当に推し続ける運営の判断の拠り所は、何なのか。そこが問題です。運営が寄って立つ、価値概念の問題。
”ルックスが良ければ、客はついてくる。”、”若くてかわいければ、ヲタは夢中になり、握手に来る。”
そういうイージーな基準だったら、AKB48や48グループじゃなくたって、他でもいいでしょう。ハロプロだって若手女優だって女子アナだってなんだっていいです。頻繁に握手できるか否かしか違いがありません。
48グループで、ルックスや若さゆえに売れたメンバーなど、いません。劇場パフォーマンスやバラエティスキル、キャラで自分をさらけ出して、(前座ガールズや有吉共和国の研究生席など)身の程を踏み時間と段階を踏んで支持を作ってきた。
48が48として売れてきたアイデンティティである努力主義 and/or ドロドロとした背景物語を含むハイコンテクスト and/or 粉を浴びせパイを食らわすキャラ立ちバラエティ主義を、今の運営は完全に忘れている。
小嶋西野岡田を有吉AKBラジオ局のメイン机に一丁前に据える前に、あの3人のスキルをムチャぶりで鍛えるべきです。それがネ申で売れる前の正規メンバー相手に有吉弘行らがやってきたことです。AKBINGOなら安田大サーカスのクロちゃんのケツの直撃や稲葉ご飯を喰らってでも、適切なリアクション出来るようになってから、あの机に座らせる。それが筋です。
そんな今の運営だから、殻に閉じこもり自らの個性と情報を消し去った某メンバーをセンターに置くことに疑問を抱かず総選挙の争点化も失敗するわ、何も持って無い入山加藤をルックスを強調し何の工夫も無く露出量を増やせば売れると思うようになる。
光宗、城の推し方含め、運営には反省自己改善が全く見られません。雑巾がけの末にメンバー自らの主体性で魅力をヲタに『推される価値がある』実感させる前に、大人がゴチャゴチャと手を入れ情報量をローコンテクスト化させつつ、焦ってしまう。
ハロプロやどこにでもある既存の芸能プロダクションと違いが見いだせないレベルにまで、行動が陳腐化した今の運営をプロと認めることができません。
なお、某コメンテーターさんと違い、メンバーたち本人やその支持者を排除したい気持ちは全くありません。腐っているのは、汗をかこうとしない運営でしょう。
むしろ「話題になりさえすればルール違反も不正行為も何でもある」こうんざりの今のAKBにとって、プロのアイドルを本気演じるまゆゆの根性は、AKBの良心です。
ことあるごとにまゆゆを暗に批判するのはやめていただきたいです。
当時のエントリは↓です。
今のSKE48の「正規生」にどれだけの価値があるのか?
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/fa4dfdc04c3ba7c99cb0d10ba3a1adc0
話変わりますが、松村の「終身名誉研究生」のタイミングは、当Blogより8か月遅かったですね。
-------------------------
>よしりんファンさん
私がフォローするのも何ですが、まゆゆが批判されているのではないです。
まゆゆの本気を活かすことのできないもどかしさを憂いているのだと思います。
渡辺麻友がプロのアイドルで、本気を持って演じているのは理解しますよ。素晴らしいです。主さんのまゆゆ記事に残したコメント読んでください。
ただ、ああいう路線の方が殻に閉じこもった今のままで真ん中に来られると、伝統芸能のどこにでもある古いアイドルグループになってしまう。乃木坂46やまゆ坂46を認めないのもそれ。
今の刹那とアイドル性を消費しつくすだけのアイドルグループになる。新しい価値が生まれない。
そういうローコンテクスト48なグループになれはてることは許すわけにいかないのです。本店の運営が山本彩をセンターに持ってこようとしたら、同じこと言うでしょうね。
それは、あなたが指原が存在することで、モラル崩壊し組織が崩れるとし(指原の今のガチマジの示し方があれば崩れませんよ。なおあなたが嫌っているあの発言はプロレスのヒールレスラーがやっている煽りマイク)ている信念と、レベルが変わらないかもしれない。
話題が広がらない。
他選抜メンバーとの密接な人間関係のゴチャゴチャを楽しむことも出来ない。
何が起きるかわからないハプニング性も楽しめず、実直にセンターを真面目に勤めあげるにとどまる(実直マジメ良心なのは全く否定しない)。
きっちり、かわいい(入山加藤であれば綺麗)ぱっと見のルックスでわかってしまうAKBチームを作ろうとする監督(運営)の方針が許せないわけです。
センター(フォワード)としてまゆゆを起用することを猛反対しているのみで、従前どおり再度サイド(MF)のレギュラーとして自由にぶっとびまゆゆしてもらえるなら、微笑ましく思います。
香川をああいう使い方するザックはやめさせろと言っているサカヲタと同じ。
今回の指原戴冠は、渡辺麻友にとって大チャンスなはずですよ。白は黒があるから光るんです。
南極怪獣通信見ましたよ、あちらのブログはなじみがなく、数年前によく見ていたのみですが。
あなたのこのブログで見るコメントと同じ内容一生懸命なコメントが、あちらにも載っていましたね。
kazuさん、よしりんファンさんが言っていた掲示板ってものも、そこに載っていました。
ハンドルネームを書かなかったり、変えたりしても、指原批判の11連投と特定され、あちらの管理人にIP晒すと言われたりとか大変だったようで。本当にお疲れ様でした。
あと推し方についてですが、ぱるるをドラマの主演に据えるのも、めちゃイケで川栄を祭り上げるのもユニット組ませるのも基本的には同じだと思います。
実績がないと言って推さないのであればこれからのAKBでは誰も推せなくなってしまうと思います。
初期のメンバーが実績を積み上げてこれたのは目の前に無限の荒野が広がっていたからです。
故に何をやっても実績になってきました。
残念ながら今の若手の置かれているのはそういう状況ではないと思います。
だから多少無理やりに見えても実績を得るチャンスを与えてあげる必要があるように思います。
運営はルックスがいい子を露出させれば売れるとは思っていないと思います。
ルックスがいい子や売れる要素があると運営が判断したメンバーでも露出させなければ売れないというのが本音じゃないでしょうか?
「ルックスがいい子を推している=そうすれば売れると信じている」というのは勘違いで経験を積ませて芽が出るのを待っているだけだと思いますよ。
推した結果が鳴かず飛ばずなら運営の見る目がないということに関して批判されるのは仕方ないでしょう。
運営は常に新しい経験の積ませ方を模索しなければならない運命にあると思うので今回の研究生ユニットもその一環として僕は支持したいと思います。
ケツを叩いて中堅を刺激する意味でもアリだと思います。
「推せる要素があるのなら、運営が推さず見つけさせるべし」
「推せる要素があるのなら、拡散をヲタに進んでさせるべし」
たぶん主さんにはご理解いただけると思うのですが。
サプライサイドの改革が必要です。運営は小さくなるべし。
島崎や川栄は、運営推しで売れたんじゃないですよ(必要条件であって十分条件でない)。
強制的に見つけさせられた前に、自分のキャラや魅力や物語を多層的に作り込んで、ヲタが乗りこめるようになってたからです。横山もそう。
もっとも川栄については、作り込んだのはTBSとテレ東とフジテレビスタッフで、作れた層はまだ薄皮だと見ますが。
2010年1~3月の猛烈な島崎推しがあの時点は失敗したのは当然ですし、同期のミニスカートの収穫のなさも当然(本当に運営は進化しない魂ですね)
会いに行けるアイドルとは、ヲタが応援して育てていくコミュニティのことです。
今の本店運営は、強みだった、ヲタに心配させ、支えさせ、作り上げ、語って拡散させる機会を、ことごとく無意識に奪っているのです。
だから、熱がSKEに、そしてHKTに移っていく。
「創らせる」のではなく「消費させる」。
これが秋元康の目が届かなくなった運営の今の現状です。
秋元はかつてAKBをLINUXといいました。今のAKBのどこがLINUXと言えるのか。
5大ドームツアーも全握も、地方の人々にも「広く消費してもらう」ことが主眼でしょう。
それお仕着せのWindowsモデルです。
運営が推さなければ魅力がわからないほど、このグループを見ているファンの目は曇っていない。
最大かつ有能なLINUXプログラマー資産、ヲタの能力を閉ざしてしまう。もちろんやっかいもいるし、プログラム能力を持たない新規も最近いっぱいいますがね。
金持つに連れて、信長や秀吉みたいな大人に執行部を占拠され。あれじゃホトトギスは鳴きません。
あの研究生らを本当に成功させたいなら、ドーピングではなく、裏切らない筋肉作りです。
「筋肉」とは、仕込みと、本人のスキルと、ヲタ・先輩・同期メンバーも含めた支えるコミュニティ形成のことです。
※ 北川はJRらに、田島朝長は指原宮脇ら先輩に支えられ、そのことが情報化されてますが、三銃士と渋谷の孤立っぷりがお察し。
※ その点、峯岸の仕事ぶりは不合格
※ 本店各支店横断の取組みにすること自体は、賛成。
※ その点、メロンパン同盟が初のグループ横断自主組織として、コンセプトの作り込み、シナリオ作り、加入メンバーの大義名分性、相互主体性、ネットワーク効果、ヲタの創作イメージ・働きかけを生み出す『メンバー発LINUX』としていかに先駆的な装置だったことか。
ボール拾いをさせましょう。受け身を取らせましょう。素振りをさせ続けましょう。
特別扱いしてゴリ推すなら、長嶋監督が松井秀喜にしたように、その素振りをゴリ推せばいい。
メディア工作する金と資源を今持ってるなら、その素振りを全部映像でリアルにさらせばいい。
研究生ユニットでありながら、その裏側を松村に徹底追跡させなかった今の運営は、愚鈍な2代目ボンボン社長です。
genkiさんの意見はじっくり読ませて貰いましたが、歴史を踏まえての方法論としては賛同できません(論理展開の筋はすごく通っていらっしゃると思います)。
目の前が荒野でも、川でも、大都会でも、資金があろうがなかろうが、経験の積ませ方は万事不変ですよ。
あの研究生らは48最後の切り札です。やってみて失敗したら日半すればいいじゃない。優秀な先代社長はもういなくなったんだから、やる前から必ず成功させるよう、今から2代目社長を叩くのです。
48に「王道」などないのです。
今年の総選挙は、何故あれほどシラケたのか?
各コラムのコメントに「まゆゆはもっと曝け出せ!」と主張される方がいらっしゃいますが、メディア芸人化が進行し過ぎて傍流奇抜キャラばかり増殖するAKBにおいて、まゆゆに代表される正統派は、「アイドル職人」を全うしてこそ、AKBの良心としての最大価値を見い出せるのです。
今のまゆゆ的なスタンスがベストとは言いませんが、まゆゆが総選挙でスキャンダルネタばかり披露するメンバーより得票数が少ない現実は、今年の総選挙の「シラケの象徴」として、「総選挙の価値暴落」と同時に、「AKBの存在価値の危機」を多くの人が感じ取ったはずです。
「まゆゆ的スタンスではAKBに話題が拡がらない」とおっしゃいますが、「話題になりさえすればいい」「面白ければそれでいい」「政局が盛り上がればそれでいい」、揚句は「スキャンダルは武器」とまで一部に解釈される今のAKBが、仮にも商業的に成功したとして、一体何の価値があるのでしょうか?
人類史上最も多くのレコードを売ってきた元ビートルズのポール・マッカートニーは、71歳の今も「現役アイドル」として、ワールドツアーで連日数万人のファンを前にパフォーマンスを継続しています。暗殺され神様・カリスマとして歴史上の人物になった相方のジョン・レノンとは好対照のスタンスで(AKBでいえば、ジョン≒前田敦子、ポール≒大島優子+渡辺麻友を足した存在に近いと思う)、50年以上に渡り、ステージでの素晴らしいパフォーマンス、笑顔と愛嬌でアイドルを演じてきた「エンターティナー&職人」です。
ファンの前では常に笑顔でエンターティナーを演じるポールですが、追っ掛けファンの空港でのエピソードとして、搭乗時にファンの目線が消えた瞬間、ファンの前では50年以上曝け出したことのない疲れた表情をした彼の姿を影から目撃して、「いつもファンの前で魅せてくれる姿は、私たちを楽しませるための身を削った精一杯のパフォーマンスなんだな」「真のアイドル&エンターティナー・職人だな」と、50年以上ブレない彼のプロ根性に改めて感動したそうです。
「もっと曝け出せ」と言われますが、求めてもいないのにスキャンダルまで堂々と曝け出し、汚れた生き様をAKBファンに見せ付ける人物を面白がって容認する方々がいらっしゃいますが、AKBファンとしていかがなものかと思います。繰り返しになりますが、私は特定の人間・人物・勢力をを名指しで憎悪・非難するつもりはありません。「AKBを侮辱する言動に対して看過できない」と主張しているだけです。
人間が生き様を曝け出すこと自体は否定しません。たとえば松村の姿勢は素晴らしいと思います。でも手段を選ばずAKBを侮辱するネタを武器にして、それを容認・肯定・支持することは、まったく別次元の問題です。
だからこそ、まゆゆに代表される正統派アイドルは、「アイドル&エンターティナーを演じること」の美学を極限まで追求して、汚れたAKBを浄化してほしい。AKBの正統派は、話題先行に走らないでほしいです。
島崎や川栄や横山が経験をしっかり積ませた上で実績を上げるための露出させて売れたのはその通りです。
運営推しだけで売れたなんて思っていないですよ?
島崎が2010年1~3月に推されたがその時点で芽が出なかったのはダメなことですか?
僕はそこで挫折するのも経験で良かったと思いますよ。
繰り返しになりますが運営が即効性のある効果を期待して推しているというのはファンの側から見た憶測でしかないと思います。
「消費させる」のではなく「創らせる」というのはその通りだと思いますし、そこにこそ魅力があると僕も思っています。
しかし同時に消費という窓口も開いておくべきだと思っています。
新規に対して敷居を高くして理想だけを追求するのは結果的に機会の損失に繋がるではないでしょうか?
研究生ユニットを見て無理矢理作りこんでパッケージされた商品だととらえるのは違うんじゃないかなと思います。
むしろ器だけ与えてこれから自由に作り替えられていくと僕は思っています。
ユニット名もただ可愛いだけで意味を持たないことが逆にこれから何者にでもなって行けることを示しているように感じます。
ユニット組んだだけで人気者になれるなんて運営だって思っちゃいないと思いますよ。
松村をうまく使えという指摘はその通りだと思います。
作りこんでいくのはこれからですよ。
研究生なんだから当たり前です。
僕はむしろ今までよりもっと沢山のファンにメンバーの成長やキャラの作り込みに参加して欲しいんだと思いますよ。
一部の研究生ヲタだけに与えておくのは勿体ない。
島崎や川栄や横山がAKBという器の中である程度の成長を果たした後に多くの人に見つけられるというのもいいとは思うんですが、もっと初期の頃から成長を見ている人や成長に関わる人が多い方が面白いじゃないですか。
AKBを楽しむ醍醐味をもっと広めて多くの人に体験してもらうことは重要だと思います。
今まで運営がある程度やってきたことが突如できなくなったと捉えるよりやり方を変えてきたのだと考えるべきだと思います。
ユニットだって曲を作るのだから秋元康がノータッチな訳ではないでしょう。