※コメントに返信したいのですが、まずはエントリ書くのを優先させて頂くことにして・・
今回のリクアワ「信任決議投票」をどう位置付けるか、
このグダグダ騒ぎも、AKB48の歴史の中に組み込まれていくのだろう、
ふと、そんなことを考えていたら、1年前に書いたエントリを思い出した。
あれから、ちょうど1年だ。
あの時点では、前田敦子卒業発表前だからまだ「AKB48第2章」という言葉は存在しなかったが、
今読むと、とても示唆深いものがある。
嵐の夜に見えた「ググタスの春」 AKB48の第2幕が開ける
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/525d6d5d08d4d721f9e2c5e909ecc5a6
このエントリを、加筆し転載することにしよう。
◆◆◆◆◆◆
■ 「ググタスの春」の芽生え
参考:
勝手にルールを作るSKE・NMB運営スタッフを秋元康が非難し、Google+の検閲問題を解消(AKBまとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51798934.html
昨夜、ググタス民が酔いしれていた。
平成の世に起きたデモクラシーの高揚感に包まれていたのだ。
「ググタスの春」
私達は、「それ」を歴史の教科書やTV番組でしか知ることができない。
しかし、出来ることといえば、先人達の足跡をもとに静止画に置き換えられた歴史を、日めくりカレンダーをめくるように、眺めることだけだ。
だから、今の日本で、当たり前のようにあると思われているそれを、本当の意味で理解している人はいない。
民衆の力を信じている人々がどれだけいるのだろう。
私達は、それがどんなものなのか、知りたいと思うことすら忘れてしまっている。
>「ググタスの春」
当時、世界は「アラブの春」に沸いていた。
◆◆◆◆◆◆
■ 「歴史」は静止画だが、静止画で「今」を語ることはできない
今を生きる私達にとっての「現在」は、いずれ歴史になるであろう「今」は、決して静止しているものではない。
それはミクロな素粒子の世界に目を向けるとよくわかる。
静止しているように見える巨大な岩でさえ、それを構成する素粒子は光のスピードで移動している。
この世界に、止まっているものなど存在しない。
全てのものは関連し、連鎖し、連続で、絶え間なく変化し、その姿を変える動的な文脈である。
静止画で歴史を語れても、静止画で「今」を語ることはできない。
この文章でさえも。
◆◆◆◆◆◆
■ 我々は「今」を創ることによって「今」を理解する
歴史家とは、静止画をアルバムのようにまとめることで、パラパラ漫画のようにつなぎ合わせることで、歴史を動画にする職業の人々をいうが、今を動画にすることはできない。
「今」は、今を生きる私達によって、今を創る私達によってのみ、知覚でき、理解できるものなのである。
逆説的にいえば、私達は「今」を創ることによって「今」を理解することができる。
昨夜起きたことは、私達が「AKB48という今」を創ることによって、「AKB48」を再発見したということだった。
私達が見たものは、紛れも無く「AKB48」であったのだ。
◆◆◆◆◆◆
■ 「新しいアイドルの灯」が灯った日
始まりはどこであったか?
私が思うに、それはこの時であった。
ググタス黒歴史記念!咲子師匠、あやりんに贈る『風は吹いている』
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7d18beac2c9b79c9486e83f4dc7618f3
今、AKB48リアル第2幕が開けた。
なんと清々しい気分か。
そう、AKB48が破壊と創造を是とする限り、この変化は必然だ。
[中略]
後世において「今日」という日は、アイドル史の歴史的転換点と評価されるであろう。
それはまるで、1942年12月2日、イタリア出身の物理学者エンリコ・フェルミ(当時既にノーベル賞受賞)らが、シカゴ大学の粗末な原子炉「シカゴ・パイル1号」で人類史上初の原子核分裂の連鎖反応を制御することに成功した、あの「原子の灯火がともった日」のように。
今日は、新しい時代のアイドルの灯火がともった日になる。
いや、ちょっと気が早かった。
どちらかというと、1938年、ナチス・ドイツの科学者オットー・ハーンらが、ウランの原子核に中性子を衝突させ、原子核が分裂すること(後にノーベル賞)、その分裂の際に、大きなエネルギーが放出される(失われた質量がエネルギーに変わる)ことを確認した日に近いか。
その4年後に「原子の灯火がともる」が、「今日」はその「原子の灯火がともった日」の4年前かもしれない。
何がそんなに歴史的なのか。
その点については、まとまった時間のとれる時に論じていきたい。
◆◆◆◆◆◆
■ AKB48が新しい時代へ向けて動き出す転換点
何がそんなに歴史的なのかを、今語っているのだ。
この時に灯った「新しいアイドルの灯」は、ここにつながる。
立て続けにメンバーが卒業。キャプテン山本彩に役に立たないアドバイスをしてみる。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/a0c3b841945d089bc50c92aca34a9cd2


「信じる」って何を?「乗り越える」って何を? NMB48 2期キャプテン島田玲奈に贈る説教
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0872e2b1c8ac57c81f9013297225a39a
そして、さらにそれが、ここにつながる。
ググタス終了のお知らせです。 \(^o^)/ ググタス オワタ
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1eb03e194e150105e07a213853355fbe

このNMB48キャプテン山本彩の発したメッセージは、多くのファンを巻き込んで大きなうねりになった。
そして、それは秋元康に届いた。





ググタスの意味は、何度も繰り返し述べているので、ここでは述べない。
重要なことは、私達が「AKB48」がどういうものであるかを再発見したことである。
NMB48は、AKB48がヒットした後に出来たグループであったため、当初からマス的要素が強く出ていた。
AKB48が劇場での地味なスタートであったのに比較して、それに比べてNMB48は既存のアイドルに近いところからスタートしてしまったがために、AKB48のコアを継承していない状態だったのではないか。
AKB48は、メンバー、スタッフ、ファンが参加して、みんなで創り上げるところに、その必然性があって、顧客との関係性がAKB48の核心的要素である。
それを継承も踏襲も理解もしていないのがNMB48だったのではないか。
それでも、NMB48キャプテン山本彩が発信したメッセージから生まれたムーブメントによって、それが崩壊し、その中から「AKB48」を再発見できたことは、AKB48という組織に進化する力があることを示した。
AKB48が正真正銘の進化するアイドルであることを証明した出来事でもあった。
AKB48という組織が、その構造において、学習し進化する力を持っていることが、何よりも重要なことである。
そして、その情報発信を可能とするググタスの文化を醸成していったのは、秋元康とメンバーの意思であることは言うまでもないが、転換点となったのは松井咲子と菊池あやかの「黒歴史」であろうと見ている。
あれは、AKB48が新しい時代へ向けて動き出す転換点であったのだ。
◆◆◆◆◆◆
■ いま思うこと
当時、「AKB48 Now on Google+(通称:ググタス)」が始まったばかりだったため、
AKB48とSNSの相乗効果は、AKB48の本質を強化し、アイドル業界に革命的な構造変化を起こすであろうと、その興奮もあり、ちょっと表現が過ぎたかもしれない(笑)
でも、まだまだ不十分だが、方向性の認識としては間違っていなかったとも思うし、個人的なスタンスはあれからズレてもいない。
ググタスの登場で、AKB48関連のステークホルダー間のコミュニケーションのあり方は劇的変化をしたと思う。
ググタスに参加していない人もかなり大きな影響を受けている。
2ちゃんねる、まとめサイトがググタスの情報を参照しているため、ググタスに参加していなくてもググタスの影響を免れないからだ。
◆◆◆◆◆◆
■ 「信任決議投票」の歴史的意味
これも1つの転換点となるであろう。
SKE48のメンバー達が怒り悲しんだのは、
SKE48の代表たる湯浅支配人が公衆の面前で「研究生」扱いを受けたことが、
普段からの自分たち(SKE48)に対する扱いに重なって感じられたからだろう。
見ないようにしていた「支店」「バックダンサー」「2軍」・・・という現実を否応もなく見せつけられた出来事だったからだ。
マネジメントとしてどんなに出来が悪かったとしても、
仮にもSKE48立ち上げの時から苦楽を共にしてきた支配人が、本店では「研究生」である。
SKE48のメンバーとして、その現場にいる者であれば、
支配人のことをどんなに憎かろうが、気に入らないとしても、我慢のならぬ出来事である。
「屈辱」という言葉がふさわしい。
(だから現場にいた人とそうでない人、SKE48全体を考えている人とそうでない人との温度差は如実に出ている。問題がリアルに感じられたかどうかだ。)
その想いをファンと共有できないもどかしさ、それは彼女らのメッセージにありありと出ている。
自分たちの想いがこんなにも伝わらないのかと、行き場のない怒りだ。
-----------------------
残念ながら伝わらないのだよ。
握手会問題 松井玲奈の主張に共感したので、全く役に立たないアドバイスをしてみる。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/d1aedba76e9f278c737b3edcc362744a
-----------------------
この日は彼女たちの心の中で「TDCの屈辱」として歴史に刻まれるだろう。
「カノッサの屈辱」は11世紀に、ローマ教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の対立に関する話で、
ヨーロッパでは現在でも「カノッサの屈辱」は「強制されて屈服、謝罪すること」の慣用句として用いられている。
SKE48にとって、TDCの屈辱は、AKB48に強制的に屈服させられた出来事である。
(そんなつもり、全くなかったのだけど、そうなっちゃったという話。でもそれでいいのだ。)
■ 新たにSKE48が発見された日
「TDCの屈辱」ほど、SKE48のメンバーを覚醒させる出来事はあるまい。
本物のSKE48のメンバーが誰なのか、よくわかる出来事だ。
AKB48が再発見された日から1年。
1年後、今日という日は、「新たにSKE48が発見された日」と呼ばれるだろう。
そう呼ばれなければならない!
※まとちょっと表現が過ぎるけどね。
今回のリクアワ「信任決議投票」をどう位置付けるか、
このグダグダ騒ぎも、AKB48の歴史の中に組み込まれていくのだろう、
ふと、そんなことを考えていたら、1年前に書いたエントリを思い出した。
あれから、ちょうど1年だ。
あの時点では、前田敦子卒業発表前だからまだ「AKB48第2章」という言葉は存在しなかったが、
今読むと、とても示唆深いものがある。
嵐の夜に見えた「ググタスの春」 AKB48の第2幕が開ける
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/525d6d5d08d4d721f9e2c5e909ecc5a6
このエントリを、加筆し転載することにしよう。
◆◆◆◆◆◆
■ 「ググタスの春」の芽生え
参考:
勝手にルールを作るSKE・NMB運営スタッフを秋元康が非難し、Google+の検閲問題を解消(AKBまとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51798934.html
昨夜、ググタス民が酔いしれていた。
平成の世に起きたデモクラシーの高揚感に包まれていたのだ。
「ググタスの春」
私達は、「それ」を歴史の教科書やTV番組でしか知ることができない。
しかし、出来ることといえば、先人達の足跡をもとに静止画に置き換えられた歴史を、日めくりカレンダーをめくるように、眺めることだけだ。
だから、今の日本で、当たり前のようにあると思われているそれを、本当の意味で理解している人はいない。
民衆の力を信じている人々がどれだけいるのだろう。
私達は、それがどんなものなのか、知りたいと思うことすら忘れてしまっている。
>「ググタスの春」
当時、世界は「アラブの春」に沸いていた。
◆◆◆◆◆◆
■ 「歴史」は静止画だが、静止画で「今」を語ることはできない
今を生きる私達にとっての「現在」は、いずれ歴史になるであろう「今」は、決して静止しているものではない。
それはミクロな素粒子の世界に目を向けるとよくわかる。
静止しているように見える巨大な岩でさえ、それを構成する素粒子は光のスピードで移動している。
この世界に、止まっているものなど存在しない。
全てのものは関連し、連鎖し、連続で、絶え間なく変化し、その姿を変える動的な文脈である。
静止画で歴史を語れても、静止画で「今」を語ることはできない。
この文章でさえも。
◆◆◆◆◆◆
■ 我々は「今」を創ることによって「今」を理解する
歴史家とは、静止画をアルバムのようにまとめることで、パラパラ漫画のようにつなぎ合わせることで、歴史を動画にする職業の人々をいうが、今を動画にすることはできない。
「今」は、今を生きる私達によって、今を創る私達によってのみ、知覚でき、理解できるものなのである。
逆説的にいえば、私達は「今」を創ることによって「今」を理解することができる。
昨夜起きたことは、私達が「AKB48という今」を創ることによって、「AKB48」を再発見したということだった。
私達が見たものは、紛れも無く「AKB48」であったのだ。
◆◆◆◆◆◆
■ 「新しいアイドルの灯」が灯った日
始まりはどこであったか?
私が思うに、それはこの時であった。
ググタス黒歴史記念!咲子師匠、あやりんに贈る『風は吹いている』
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7d18beac2c9b79c9486e83f4dc7618f3
今、AKB48リアル第2幕が開けた。
なんと清々しい気分か。
そう、AKB48が破壊と創造を是とする限り、この変化は必然だ。
[中略]
後世において「今日」という日は、アイドル史の歴史的転換点と評価されるであろう。
それはまるで、1942年12月2日、イタリア出身の物理学者エンリコ・フェルミ(当時既にノーベル賞受賞)らが、シカゴ大学の粗末な原子炉「シカゴ・パイル1号」で人類史上初の原子核分裂の連鎖反応を制御することに成功した、あの「原子の灯火がともった日」のように。
今日は、新しい時代のアイドルの灯火がともった日になる。
いや、ちょっと気が早かった。
どちらかというと、1938年、ナチス・ドイツの科学者オットー・ハーンらが、ウランの原子核に中性子を衝突させ、原子核が分裂すること(後にノーベル賞)、その分裂の際に、大きなエネルギーが放出される(失われた質量がエネルギーに変わる)ことを確認した日に近いか。
その4年後に「原子の灯火がともる」が、「今日」はその「原子の灯火がともった日」の4年前かもしれない。
何がそんなに歴史的なのか。
その点については、まとまった時間のとれる時に論じていきたい。
◆◆◆◆◆◆
■ AKB48が新しい時代へ向けて動き出す転換点
何がそんなに歴史的なのかを、今語っているのだ。
この時に灯った「新しいアイドルの灯」は、ここにつながる。
立て続けにメンバーが卒業。キャプテン山本彩に役に立たないアドバイスをしてみる。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/a0c3b841945d089bc50c92aca34a9cd2


「信じる」って何を?「乗り越える」って何を? NMB48 2期キャプテン島田玲奈に贈る説教
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0872e2b1c8ac57c81f9013297225a39a
そして、さらにそれが、ここにつながる。
ググタス終了のお知らせです。 \(^o^)/ ググタス オワタ
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1eb03e194e150105e07a213853355fbe

このNMB48キャプテン山本彩の発したメッセージは、多くのファンを巻き込んで大きなうねりになった。
そして、それは秋元康に届いた。





ググタスの意味は、何度も繰り返し述べているので、ここでは述べない。
重要なことは、私達が「AKB48」がどういうものであるかを再発見したことである。
NMB48は、AKB48がヒットした後に出来たグループであったため、当初からマス的要素が強く出ていた。
AKB48が劇場での地味なスタートであったのに比較して、それに比べてNMB48は既存のアイドルに近いところからスタートしてしまったがために、AKB48のコアを継承していない状態だったのではないか。
AKB48は、メンバー、スタッフ、ファンが参加して、みんなで創り上げるところに、その必然性があって、顧客との関係性がAKB48の核心的要素である。
それを継承も踏襲も理解もしていないのがNMB48だったのではないか。
それでも、NMB48キャプテン山本彩が発信したメッセージから生まれたムーブメントによって、それが崩壊し、その中から「AKB48」を再発見できたことは、AKB48という組織に進化する力があることを示した。
AKB48が正真正銘の進化するアイドルであることを証明した出来事でもあった。
AKB48という組織が、その構造において、学習し進化する力を持っていることが、何よりも重要なことである。
そして、その情報発信を可能とするググタスの文化を醸成していったのは、秋元康とメンバーの意思であることは言うまでもないが、転換点となったのは松井咲子と菊池あやかの「黒歴史」であろうと見ている。
あれは、AKB48が新しい時代へ向けて動き出す転換点であったのだ。
◆◆◆◆◆◆
■ いま思うこと
当時、「AKB48 Now on Google+(通称:ググタス)」が始まったばかりだったため、
AKB48とSNSの相乗効果は、AKB48の本質を強化し、アイドル業界に革命的な構造変化を起こすであろうと、その興奮もあり、ちょっと表現が過ぎたかもしれない(笑)
でも、まだまだ不十分だが、方向性の認識としては間違っていなかったとも思うし、個人的なスタンスはあれからズレてもいない。
ググタスの登場で、AKB48関連のステークホルダー間のコミュニケーションのあり方は劇的変化をしたと思う。
ググタスに参加していない人もかなり大きな影響を受けている。
2ちゃんねる、まとめサイトがググタスの情報を参照しているため、ググタスに参加していなくてもググタスの影響を免れないからだ。
◆◆◆◆◆◆
■ 「信任決議投票」の歴史的意味
これも1つの転換点となるであろう。
SKE48のメンバー達が怒り悲しんだのは、
SKE48の代表たる湯浅支配人が公衆の面前で「研究生」扱いを受けたことが、
普段からの自分たち(SKE48)に対する扱いに重なって感じられたからだろう。
見ないようにしていた「支店」「バックダンサー」「2軍」・・・という現実を否応もなく見せつけられた出来事だったからだ。
マネジメントとしてどんなに出来が悪かったとしても、
仮にもSKE48立ち上げの時から苦楽を共にしてきた支配人が、本店では「研究生」である。
SKE48のメンバーとして、その現場にいる者であれば、
支配人のことをどんなに憎かろうが、気に入らないとしても、我慢のならぬ出来事である。
「屈辱」という言葉がふさわしい。
(だから現場にいた人とそうでない人、SKE48全体を考えている人とそうでない人との温度差は如実に出ている。問題がリアルに感じられたかどうかだ。)
その想いをファンと共有できないもどかしさ、それは彼女らのメッセージにありありと出ている。
自分たちの想いがこんなにも伝わらないのかと、行き場のない怒りだ。
-----------------------
残念ながら伝わらないのだよ。
握手会問題 松井玲奈の主張に共感したので、全く役に立たないアドバイスをしてみる。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/d1aedba76e9f278c737b3edcc362744a
-----------------------
この日は彼女たちの心の中で「TDCの屈辱」として歴史に刻まれるだろう。
「カノッサの屈辱」は11世紀に、ローマ教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の対立に関する話で、
ヨーロッパでは現在でも「カノッサの屈辱」は「強制されて屈服、謝罪すること」の慣用句として用いられている。
SKE48にとって、TDCの屈辱は、AKB48に強制的に屈服させられた出来事である。
(そんなつもり、全くなかったのだけど、そうなっちゃったという話。でもそれでいいのだ。)
■ 新たにSKE48が発見された日
「TDCの屈辱」ほど、SKE48のメンバーを覚醒させる出来事はあるまい。
本物のSKE48のメンバーが誰なのか、よくわかる出来事だ。
AKB48が再発見された日から1年。
1年後、今日という日は、「新たにSKE48が発見された日」と呼ばれるだろう。
そう呼ばれなければならない!
※まとちょっと表現が過ぎるけどね。