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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

大島優子「AKB48第2章のセンターは空中に存在する。」  ~ センターからサークルへ ~

2013-01-23 17:29:16 | AKB48_オピニオン
※表題は大島本人の言葉ではなく、当Blogの意訳解釈です。






大島優子はセンターになれないという風潮(akb(メ・ん・)?)
http://akbakb0048.doorblog.jp/archives/23087717.html


・・・古い。

古い「センター論」だ。

いつまで我々は第1章のセンター論を語るのか。

その点、大島優子はさすがである。

先を見ている。


AKB48大島優子 「センターというのは動くスポットライト」(芸能ニュース)
http://newslounge.net/archives/60710


メンバーにとってはとてもヘビーな「センター」という概念だが、大島は

「私にとってセンターというのは、それぞれのポジションがあって、そこに向けられたスポットライトがたまたまそのメンバーを指したというか。センター自体もすごく動いているように思えますね。空中に存在するというか、立ったポジションに(スポットライトが)当てられた状況が、センターなのかなと思います。」

と独自のイメージを語った。


これまでのAKB48にとっての「センター」というのは「立ち位置ゼロ」であり、要であり、中心点であったわけだ。


前田敦子の卒業が注目されたのは「スーパースター」だからではなく「センター」だから
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4a9b8457e8fb7616e78c129acf0924df


だがしかし、この「センター観」を脱却する哲学が今提示されているわけだ。

重要なのは次の部分だ。


センター自体もすごく動いているように思えますね。空中に存在するというか、


深い。

これは日本の哲学の伝統「主客一体」論である。(禅の境地)

さきほども述べたが、これまでの「センター」は序列の基点、グループの中心点であった。

AKB48は「センターとメンバー」の相対位置関係(=序列関係)が重視される、

ある意味での絶対主義(=冷酷なまでのガチ)を身上とするグループであった。

これは、夢に向かって皆が一丸となって突き進むことと、

つまりは、AKB48それ自身の歴史が成長物語(AKB48第1章)であったことと相性がよい。

むしろ相乗効果があった。

しかし、「絶対的エース(センター)前田敦子」が卒業し、AKB48がある程度に成長し、成長率が相対的に鈍化した今、

これまでのやり方では、新しい物語(AKB48第2章)は作れないことがわかった。

「第2章」といくら叫んでも、第1章と同じ道筋を辿れないわけなのだから、同じやり方で新しい物語が作れるわけがない。

思想的転換の必要性にを迫られているのだ。

そこで、これからは「メンバーとメンバー」の相対位置関係を重視する、

ある種の相対主義を身上とするグループに生まれ変わるのではなかろうか。

これからの「センター」は「立ち位置ゼロ」を意味するのではなく、「物語の生成点」を意味することになるのだ。

そして、その「物語の生成点」は、固定されておらず、命のゆらぎのように動的にゆれ動き、その形を絶えず変化させる。

意図的で明示的なものではなく、不確実だが動的で生成的なものなのだ。

まさに「センター自体もすごく動いているように思えますね。空中に存在するというかという言葉がふさわしい。

それこそが、「AKB48第2章」ということではないか。


という一つの視点ね。