NHK
『プロフェッショナル 仕事の流儀』のイチロースペシャルを観た。
非常に興味深い内容だったし、イチローという人間の深みがより増した気がする。
相変わらず見ている問題の次元が違う。
イチローが向き合っている問題は
「技術的」なことではなく、その先にある
「人間としての成長」なのだという。
条件は揃っているのに
「紙一重」の違いで変わる結果。
自分が気づけていない、心の奥底にある無意識の領域で自分を支配している何か。
イチローがバットを振るのは、その「紙一重」の正体を追求する為なのだ。
イチローにとってプロ野球選手であることは
人生を極めるための「修行」なのである。
当Blogと言ってることは似てるのに、イチローが言うと説得力がまるで違う。
これが一流と三流の違いかと自戒せざるを得なかったが、今日も三流なりの言葉で語ろうと思う。
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東京ドーム公演DVDのCMのために行われた「TOKYO DOME~1830mの夢~徹底討論!」の中で、こんなやりとりがある。
TOKYO DOME~1830mの夢~徹底討論!完全版 を見た。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e0cbe82d450362a1533f3a4e59811679
田原:
秋元さんがね、僕にね、AKBはプロ野球じゃない、高校野球だと。
で、高校野球はね、内野ゴロを打ってもね、一塁へ全力でいってヘッドスライディングだと。
これはどう?
濱野:
それはもうAKBは完全にそうですよ。
今回の東京ドーム公演にしたって映像にしても、
まさに常に全力投球っていうのは、
でもなんていうのか、しかしそれはあまりにも当たり前すぎる前提
なんというのかな
宇野:
AKBってやっぱ部活なんですよね
濱野:
そういう意味で言うと
初日のメイキングの映像で何が面白いって
たかみなが明らかに部活ですっげーキレる先輩にしか見えない面白さ
たしかにものすごい政治的リーダーシップ持っているんだけど、
その本質は、あんな怖い先輩いたら聞くよなっみたいな
そういう生々しさ
宇野:
何が面白いかって
部活ってみんながプロ野球選手になりたいわけでもなければ、
プロサッカー選手になりたいわけでもないじゃないですか。
ほとんどの人は普通に進学したり普通に就職したりするんですよ。
でも彼ら彼女らはすごく一生懸命に部活をやって、ほんとにそこで泣いたり、
本気で泣いたり本気で傷ついたりするわけですよね。
AKBってそれなんですよね。
みんな歌手になりたいモデルになりたい女優になりたい
別に要因があるんですよ。
でも、その夢の為の道具に利用してやるっていう計算高いことでやるんじゃなくて
あの独特のシステムの中にいるとそこに全力投球してしまうのですね。
そのことに僕らはすごく
(ここでよしりんが割り込んでチーム4の話題に展開していく)
(話を部分的に切り取るのは本意ではないし、話によって全体として力点を置く部分とそうでない部分があるわけなので、決してこのやりとりを批判するわけではないことだけ前もって書いておきます。)
このやりとりには、AKB48に関する重大な論点が出てきていない。
結局「なぜAKB48は一塁に向かってヘッドスライディングなのか?」という問いに答えられていないということだ。
「マジ」や「ガチ」に人が惹き付けられるから、ということだけが理由なのだろうか。
違う。
もっと哲学的、思想的なものなのである。
上で述べた番組の終盤で、番組スタッフから「野球選手としての終わり方(理想の完成形)は何なのか?」について質問されてイチローは次のようなことを述べた。
人間としての円熟期はもっと先にあると思う。
しかし、物事というのは、たいていそれを辞めてから(野球選手なら引退してから)理解することが多い。
僕は、現役の間にそれをわかりたいと思う。
それが僕の挑戦。
それがどういうものか見えてるものがあったりしますか?
何もわかっていない。
でも、それがわかっていないから、ありったけの気持ちを込められるのだと思う。
それをわかりたいから。
わかっていたら、ありったけは有り得ない。
これが、答えだ。
一塁に向かってヘッドスライディングをする理由だ。
なぜ、高校球児は内野ゴロで一塁にヘッドスライディングして、プロ野球選手はしないのか?
「マジ」や「ガチ」だからではない。
結果がわからないからだ。
いや、言い方を換えればこうなるだろう。
「可能性を信じているから」
「内野ゴロでアウトになるって誰が決めた?」という話である。
内安打を大量製造するイチローに聞いてみるといい。
「なぜ、あなたは内野ゴロでも一塁に全力疾走なのですか?」と。
(イチローはヘッドスライディングするよりも駆け抜けた方がセーフになる可能性が高いことを知っているから、ヘッドスライディングはしないけれど)
新しいことというのは、たいてい想定外なことなのである。
考えてみれば当たり前のことである。
それに意味があると思ったら、それ以前に誰かがやっているからだ。
それが新しいということは、それまでは何らかの理由で誰もやる意義を感じなかったということである。
「そんなことには意味がない」と言っていたら、何にも新しいことは起きない。
だから、AKB48では一塁にヘッドスライディングさせられるのだ。
それに意味があるかないかは走りながら考えろ。
それがAKB48の信条なのであろう。
ということである。
そろそろ「努力が報われるかどうか」などという古めかしい議論は卒業すべきではないか
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4221775c8e40413749a43c7091f0e26c
高橋みなみの努力、原みづきの努力、やすす先生の努力 ~努力と競争戦略と学習のトリレンマ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/955b300923bbc4c6a1a256fab4a5c0df