blog-atom 2

…漁師アトムの航跡… ~ある沖乗り漁師の綴記~

【ノルウェーに行きたい】!

2014年02月18日 | 私事

ノルウェーに行きたい!

乱獲の歴史から立て直したという「ノルウェーの漁業」を

この目で視てきたいと考えるようになった。

いろいろ検索すると、「大震災後気仙沼からノルウェーへ視察団」

が行って来たらしい…

四方を海に囲まれた国 日本は各地でいろんな漁法で

いろんな魚を漁獲しており、魚食の文化がある!

昨年12月 「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。

「和食」には日本国の「おもてなしの心」そういう文化

が反映されているらしい…!

「魚食」 漁獲された魚がそれぞれの土地で、それぞれの調理方法で

食べられている。

それぞれが郷土の文化だと思う…。

その郷土の文化は継承されていかなければならないとも思う!

「魚」はこの先の未来、代々まで残さなければならないとも思う…!

次の代、そしてまた次の代へと、いい形で漁業を繋いでいく事は

今、漁業に従事している者達の役割でもあると思う。

(今はそれどころじゃない! 今生活できるかどうかの時に!)

述べる漁師もいますが、本当にそうなのか? と問いたい時があった…

魚は(漁師)漁業者だけのものではなく、魚を美味しく食べる人達に至るまで

多くの方々と共有しなければならない。

そのためには品質の良い魚を提供する側が漁師であり、

魚価安を嘆いたり、大漁貧乏と云うのが記事にならないように、

漁獲量をきちんと管理したりしていく事にもっと重きを置くべき…!

…大震災後、我が町も集落も海沿いから人が減った…

沿岸部から内陸部へ移動した方々が多い…

未来を担う子供達の多くも安定した就職先を求めて

地域を離れるのが当然の流れになりつつある…。

やむを得ないとしかいえない…

4月から隣の気仙沼市と南三陸町は「過疎地域」に指定される事になった…!

古い考え方になりますが、我々が学生の頃、集落の各家庭の

長男は(家督としてその家庭を)跡取りとして家を継ぐと云う事が

当然の教え、習わし(なりゆき)だった…

商業として商売など、店を継ぐという同級生をうらやましいと思った事がある…

私は沖乗り漁師3代目、漁業家としては4代目であるが、

私が漁船に乗る事に、父親は猛反対

それでも静岡県焼津港の「大型カツオ一本釣り漁船」を皮切りに

今に至っていますが、漁師としての代は、私で終わりです!

息子が中学2年の時、「船に乗ったらダメ?」と私に聞いた事がありましたが

私は即答で「ダメ、漁師は無理だ」と答えてしまいました…。

しかし息子は海に関わりたいと、海に関わる仕事を模索したようです…

最近、よく思うのが漁業(私が携わっているのは沖乗り漁師ですが) に

将来性が見出せるようにならないかなぁ という事…

我々が子供の頃、集落の同年代の仲間達と海は遊び場だった…

春夏秋冬、いつでも釣りができ、夏には泳ぎ、潜ったり、

海で学んだ事が多くあり、自然の教材としてふれあった。

今は「海岸は危ないからと子供達は遊ぶ事もままならない」

大震災の後なので当然と云えば当然なのですが…

……ITのおかげでいろんな情報を収集できる時代になり、

ノルウェーなど、日本以外の漁業の情報をモニター越しに

見る事ができ、情報を読む機会も増えました。

これまで私の「漁」というキーワードにかからなかったのですが

先程、見つけて読んだサイト

「朝日新聞のGLOBEデジタル版」特集記事   「魚とつきあう」 

ますます、ノルウェーの漁業視察に行ってみたいという思いが強まった!

現在のノルウェーの漁業関連を、日本が追随できる規模なのか?

自分の目で視て、自分なりの視点で思考をまとめたい。

私個人で行くのは伝手も無く、言葉の壁もあるので無理がある…

今後、あとどれくらい漁船漁業に携わっていけるかはわかりませんが、

これから先、少しでも未来の日本の漁を考えながらやって行きたい!

10年単位で一区切りとして物事を捉えてきたし、

数年先を見据えながら自身の仕事を頑張ってきたつもり…

Blog-atom は、これからも漁の事を更新していきます。

将来の漁業が明るい未来に方向転換していけるように願いながら…