カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-485 『映画 アラモ』

2012年08月20日 | 日記





「独り言ー483」 の続きです。
















Marty Robbins - Ballad Of The Alamo










『 Ballad of the Alamo 』


In the southern part of Texas
In the town of San Antone
There's a fortress all in ruins that the weeds have overgrown
You may look in vain for crosses and you'll never see a-one
But sometimes between the setting and the rising of the sun
You can hear a ghostly bugle
As the men go marching by
You can hear them as they answer
To that roll call in the sky



Colonel Travis, Davy Crockett, and a hundred eighty more
Captain Dickinson, Jim Bowie
Present and accounted for



Back in 1836, Houston said to Travis"
Get some volunteers and go
Fortify the Alamo."
Well the men came from Texas
And from old Tennessee
And they joined up with Travis
Just to fight for the right to be free











「諸君、戦闘配置につけ、武運を祈る」




包囲開始から13日目の1836年3月6日の早朝、メキシコ軍の一斉攻撃が開始された。
















































































『 この時代の銃器は、米国製のスプリングフィールド銃、仏製のマスケット銃あたりではないかと思われるね。

火縄銃よりは進歩して雷管を使用して発火するまでにはなっていたようだけど、一発ごとに弾丸を銃口から詰め込む作業を要すので、

近代戦のように雨あられの如く撃ちまくるなんてのは出来ない 』



























『 撃つものと、弾丸を詰めるものが、コンビになれば1発の発射時間を短縮は出来るが人員を要す。

2列、3列に横隊を組んで、前列、後列が順次入れ替わりして撃てば効率はいい。しかし、これも人員を要す。

怒涛の如く押し寄せる敵兵に、気も焦れば、手元も狂う。撃っても外れれば意味はなく焦りも半端じゃなくなる 』




『 無ければ無いで、人は其れなりにコツを掴んで要領も良くなるんだろうけど、この時代の戦士たちは、大変だったろうね 』




























メキシコ軍は隊を、4つの部隊と捕獲、追跡、保安部隊に構成、マルティン・ペルフェクト・デ・コスの率いた400名程の最初の部隊は、

アラモの北西の角に向かって進んだ。フランシスコ・デュゲ大佐の指揮する400名程が2番隊。

第3部隊は、ホセ・マリア・ロメロ大佐の率いる400名程の軍人から成った。




4番目はホアン・モラレス大佐によって指揮され100人のカサドレス(軽歩兵)から成った。

アラモの壁に達する前に攻撃部隊は200~300メートル の広々とした地面をカバーする必要があった。

テキサス人の逃亡や援軍の侵入などの試みを防ぐために、サンタ・アナは、ラミレス・イ・セスマ准将配下の350騎の騎兵に

周囲の田園を警戒させるよう配置したとある。




























『 梯子を持って来られると余計に気が焦ると思うね。壁に取り付くまでに倒さないと蟻のように上がって来る。

上がって来る奴を払っていたら、走って来る奴等を撃つのが遅れる。「撃って撃って撃ちまくれえ~っ」って、号令は容易いけど、

1発撃っては、「銃口から弾丸シコシコ突っ込んでんだよっ」 「無理云うなっ」って腹も立つだろうね 』


























































トラヴィスが受け持つ北壁が破壊されコスの部隊が雪崩れ込む。


















北壁の砲座で指揮をとるトラヴィスは、砲撃で崩れた壁から襲い来る敵兵をサーベルで何人かを倒すが、敵弾を受けて戦死。




























ディッキンスン大尉も北の砲座で戦死。 






『 この役者さんは、ジョン・フォード一家って、云われる役者さんの中の一人だと思うけど、芸、云々よりも、死に方に問題があるね。

実際は、飛び交う弾丸は所構わずの状態ではあるけれども、映画ってのは、撃ったシーンが有って当るシーンに繋がるから、観る者は納得する。

兄貴分のジョン・ウェインのために張り切ったんだろうけど、この映画で「おまえほど無様な死に方した奴は居ない」





誰も撃った奴も居なければ、発射音も聞こえないのに死んでる。それも、無理して凝った死に方を自ら提案したのかして、一人勝手に当ったなりして

砲座を取り囲む杭に、逆さでぶら下がって死んでる。「オレが監督だったらチョッキン、カットだよ」 ぶらさがることに神経が行き過ぎだよ。

観てる者はね、意外と細かなところ見逃さず、「シラケさせるなっ」って、怒ってるんだよ 』


















増水する河の堤防が決壊したように、砦の中へ、次から次から敵兵が雪崩込んで、もう止めようもない。

















テネシーからの兵(つわもの)も、奮戦虚しく次々と倒れ往く。























『 ジョン・ウェインの息子さんだね、この役者さん。親の七光なんだろうけど鳴かず飛ばずだったね 』


































『 この映画は、超大作って謳って封切られたけど評論家に云わすと評判は良くなかったらしい。

でもね、ジョン・ウェインの映画への想いってのが伝わってくるよ。最高のものを創って観るものに満足を与えたいと、いう思いがね。

赤字になろうが、なるまいが、金を惜しまぬ心意気が感じれるよ。結果的には、大変な赤字だったようだね 』

























北壁が破れたことから、押し寄せる濁流のような勢いでサンタ・アナ軍が雪崩れ込んだために、守備隊の要所要所が総崩れになった。

守備隊は、白兵戦になれば数で圧倒するサンタ・アナ軍の敵ではなかった。

















































ついに最期の時が来た。簡易なバリケードは、呆気なく破られて「もう、後がない」 クロケットは松明を持って寺院に駆ける。























もう、寺院の中にも敵兵の姿が、至る所が敵兵で埋まってる。槍騎兵の槍がクロケット大佐を貫く。























「もはや、ここまで」 クロケットは、松明を武器庫の火薬に投げ込む。














脚を負傷したボウィ大佐は、建物の中に収容されていたが、其処へも敵が押し寄せる。奴隷から自由の身になったジェスロは、

自分の意思でボウィに付き従い、身をもってボウィを庇う。短銃を撃ち、ナイフをかざし相手を倒すが、冷たい銃剣に胸を貫かれてボウィ大佐は果てる。








































































ディッキンソン大尉の妻と娘、それに奴隷の男の子は保護される。




























「ありがとう」






































語り伝えよ のちの世まで           『 Ballad of the Alamo 』  サンタ・アナが帽子を斜めにかざし敬礼するに合わせてコーラス。












アラモの砦の輝ける十三日間











つづれの旗を誇らしく掲げ











永遠に名を残した砦の寺院











我等の自由を戦いとった











アラモの十三日は栄光の日々











今やラッパは沈黙し剣は錆び











兵士の群れは主の胸に眠る  











主の胸に眠る





                                           END









トラヴィスが、最期まで期待していた救援隊のジェームス・ファニン大佐の大隊は、アラモから南東に160キロ離れたゴリアドで

450人以上のテキサス軍を指揮していた。2月28日に320人の兵と大砲をアラモに送る行軍を組織的とは言えないやり方で試みたが、

不十分な輸送方法により救援を中止した。ファニンと配下の大部分は降伏後にメキシコ軍によって虐殺されたと、ある。





3月1日の午前1時頃に32人が、ゴンザレスの町からジョージ・キンベル大尉とジョン・W・スミスと共に到着し、

メキシコ軍の戦線をかいくぐってアラモの守備隊に合流した。彼らはトラヴィスの援軍要請に対する唯一の反応だったともあるね。

彼らの参戦は、守備隊にとっては、大きな弾みとなっただろうけど焼け石に水が事実だね。





サンタ・アナ将軍率いるメキシコ軍は、甚大な被害を被りながらもアラモを攻略したが、

46日後の4月21日、サン・ジャシントの戦いでは、サム・ヒューストン将軍の率いる783名の独立軍 に大撃破され、

死者630名、捕虜730名という被害を出してメキシコ軍は崩壊、 サンタ・アナ将軍は農夫に変装して逃げようとしていた所を捕らえられる。

このサン・ジャシント戦での独立軍 の死者はわずかに9名に過ぎなかった。

この二つの戦闘によりメキシコ側はテキサスの独立を承認せざるを得なくなり、ここにテキサス共和国が成立したようなんだね。





この「アラモ」の映画は、1960年度の作品なんだけど、2004年にも映画化されている。

史実自体が、あやふやな記録になってはいるけれど、こちらの映画の筋立てのほうが、其れに近しく描かれているね。

サム・ヒューストン将軍が、サンタ・アナを撃ち破るまでを描いて、史実通りデビィー・クロケットが捕えられ処刑で果てる。





クロケットと、その配下5~6人が捕えられ、サンタ・アナ自身が死刑を言い渡したとある。そのサンタ・アナは、サム・ヒューストン将軍に

テキサス独立の承認を引き換えに命乞いしたという。「もう、こうなると、ただのおっさんだね」





「アラモを忘れるな」を旗印にサム・ヒューストン将軍は勝利を得た。アラモの13日間は、まさしくテキサスを独立に導いた礎となったんだね。

どのような死に様であっても、我が身の「人生と命」を捧げて果てた人々に対しては、頭が下がるね。













ただ、引っ掛かるのは、クロケットが、トラヴィスに「自由」の思想を語るんだけど、テキサスは黒人奴隷の本場なんだね。

1861~1865年の南北戦争で奴隷制度が廃止になるまで、黒人奴隷の悲劇は続くんだね。

ボウィにも、トラヴィスにも奴隷がいたんだね。「人間の話に、奴隷を挟んではいけない」なんて云うのかな?





奴隷制度の歴史は、とんでもない昔からの世界中の習わしみたいなもので「わしゃ知らん」なんてとこ「無いのとちゃうのん?」とは、思うけどね。





人々の固定観念に泣くものは、自身から行動を起こして意識の改革を唱え広め、同調する有志を募って戦うしか改善は有り得ないのかね?

奴隷の中から、そういう人は出なかったのかな? 仮に出ても刈られてしまったんだろうね。

我が身の「自由と権利」は、義務を果たして我が身で守る。人任せで守られるもんではないようだね。



















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