カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

独り言-其の百十六 『過去を辿って』

2011年06月18日 | 日記






昔住んでいたところが懐かしくなり、数年前に大阪市の中央区(昔は南区)へカメラを持ってブラリと出かけたことがあります。

難波から日本橋筋の電気店街から堺筋、千日前や大劇通り、戎橋、道頓堀筋、心斎橋筋、長堀通りなど見て歩きました。

昔のままの趣を残す建物もちらほらと残ってはいますが大方が様変わりしていました。






戎橋と千日前筋の間に旧精華小学校の建物が昔と変わらず残っています。裏門のある校庭側の塀は取り払われて中が見通せるフェンスに変わっています。

そのフェンス沿いの道路には、食堂とかすし店とかのお店が昔ながらに軒を並べています。南区の一等地に繋がる一角なんでしょうね。

昔々のうちの代が、此の一角の広い土地を所有していた時代があったと親父とお袋に聞いたことがあります。






明治生まれの親父は、父親の放蕩が原因で此の土地を失って零落した後、5歳で丁稚奉公に出され辛酸を舐めた思い出話になると、

涙を堪えきれなかったようで鼻をかむ振りして誤魔化していたのを思い出します。






お袋の実家も、お袋の母親が娘時代(明治時代)には「お庭には噴水があってピアノがあって」

手代さん、奉公人さんが多く勤める裕福なお屋敷だったようです。それも零落の憂き目に会いお袋も苦労の人生でした。

なんの因果か親父もお袋も同じ境遇者同士の夫婦なんですね。






親父が大酒食らったら決まって云う台詞は「あのボンクラがっ」父親を指しての文句だったんですね。

機嫌のいい時は「此処には何もないが血筋だけはしっかりしているぞ。

お父さんもお母さんも、元々はお坊ちゃまとお嬢さまやってんからな」ってよく冗談を云って笑ってました。






足は知らぬ間に松屋町筋から高津神社を横切り上町筋を渡って下寺町の生玉神社に向いていました。「懐かしいなぁ」って思いがわきあがってきます。

坂を上がると連れ込みホテル街に変貌しています。昔も何軒かはあったように記憶しますが、もう軒並みって感じです。「スケベが多いんですねぇ~」

もう一つ小高い坂を上がると生玉の神社正門前に出ます。幻の親父が消えたところです。(其の百十五)






「親父もおふくろも自分の人生を忠実に生き切ったね。人はそれでいいんですよ。

最悪に負けず生ききることが務めなら、あなたたちは其れを全うした。次に生まれ変わらねばならないなら、

きっと楽しくて優しい人生を生きれますよ」そう願って合掌。遠い昔の思い出を辿るような散歩でした。

















「しかし、オレって、なんでこんなにカメラが下手なの?」一眼レフが泣くの通り越して笑うでぇ。






















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