精神力を鍛えるために竹刀でしばく、殴る、蹴る、暴言を吐いてコテンパンにする。大日本帝国かよ。
日本人は、こういうのが好きだねえ。血なんだろうかね。
これが、いかんなら、昔の学校の先公どもの大方が、悪もんだね。
日本人は、自発の精神に疎いのかね? 教えられなきゃ解らん、解らんから学校へ行く、解らんことが当たり前。
生徒の質も質だから、全てが指導する側が悪いとも云えないけど、叩き込むって指導は、熱が入ってるようで、実際は手を抜いているんだよ。
自主的に、考え、工夫する。目的があるなら我が身を我が身で絞れ。マゾっ気なくして修行は有り得んってことを教えろ。
そう云う精神を養うように導き教えるべきなんだよ。其れが習得できん奴は、才能がないんだよ。
才能も無い人に、一応のことを教えるだけのことで竹刀など必要ないだろうが。ロボット製造所みたいなことやめろ。
習う人に才能が無いからやめろと云ってるんではない、上を目指すには、その道に適した優れた能力ってのが備わってるもんだよ。
これには、凡人は適わない。指導するものは、其れを見抜く目を養わなくてはいかん。
特に運動系で、根性入れの手を出す、足出すなんて、本当のところ、やってない処を探すほうが難しいよ。どこでも遣ってるよ。長い歴史だよ。
スポーツは、大方、勝負ごとだから、気持ちで負けたら技術だけでは勝てない。
だから、精神を鍛える、張り手の一発や二発は致し方ない面もある。
「体罰を一切排除して、強い選手が育つか?」って問われたら、スパルタは、幾分かの効力はあるだろうね。無理からんところがあるとは思う。
勝負事の世界ってのは、そう云うところだからね。
煙草が、体に悪いって云ったら、ヒステリックに禁煙、禁煙と騒ぐ、長い歴史もクソもない。
運動系の暴力が、自殺者を出したからって、ヒステリックに、体罰、排除、排除って騒ぐ。
暗黙に認めていた効力を排除して、長い歴史を覆す、その代わりの効果ある指導法があるのかよ?
これで、すんなり体罰やめたら、長い歴史の体罰は一体なんだったんだよ? 指導者のサド的趣味だったのかよ?
お山の大将よろしく体罰なんて言葉で飾って、暴力で君臨する変態ではないか。
どつかれ、蹴られ、けなされまくって耐えた若者たちのように、この批判に対し、指導者の名誉にかけて、誇りをもって戦え、此の野郎。
信念に裏打ちされた指導だったんだろが? 反論があってしかるべきだろうが。おまえを信じて育った若者たちに聞かせてやれっ。
誰もが花形になれるもんではないんだよ。合わぬ子に、親は、期待をかけて無理強いして習わせる、オレに云わせれば、それが最も足る暴力だよ。
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