カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-908 『柔軟性』

2013年09月26日 | 日記






 明日(9/26)の分です。







更新のチェックを入れたつもりが、入ってなかったね。日を跨いでから気付きました。ごめんなさい。







自分では、別段、おかしいとも何とも思わずパソコンに向かったまま、黙々と作業をこなしている。

休みは、出かけなければ丸一日パソコンの前から動かない。時間にすれば15時間以上だね。

平日は、帰って風呂に入って食事を済ませれば寝るまでパソコンの前に居る。歳からすると、こんなのは珍しいんじゃないかね?





座り心地は、お世辞にもいいとは云えないイタリア製のリクライニングチエア、組み立ての不備を修正してからは、

エコノミー症候群みたいな症状は緩和されたけど、見た目とは裏腹に座り心地が悪いんだねえ。

オレは、物に対して、どうたらこうたら、しつこくないから在るがままで利用してる。でも、ケツが痛くなる。





至って気に入ってる27型モニターをじっと見詰めて15時間以上、そんなに目も疲れない。

なんだらかんだら文句をつけて、より快適なものを求めてばかりで歩み寄りをしないから病気になるんだよ。「どういうことや?」

足らない部分は我慢でこなし足ってる部分を喜んで相殺すんだよ。持ちつ持たれつで健康が維持できるんだよ。「ホンマかよ?」





「そんなの初めて聞いたよ」 気の世界だね。気と云うのは怖いよお~。理屈じゃない世界だよ。















何事にも奥ってのが存在してんだよ。極めるということに似てる。良いことにも、悪いことにも、其れは在るね。

快適を極める、確かに在ると思う。でもね、苦痛の中から奥に在るものを知ると、精神と肉体が同時に鍛えられて同調する効果があるよ。

崩れにくいんだよ。云わんとすることを伝えたいけど、此の表現で精一杯だよ。「解らんなあ」 ドツボへはまれ、解るよ。





簡単に云えば、会得するのはゴムのような精神と肉体だね。つまり、柔軟性だよ。幅の限界を感じ得ない柔軟性だよ。





「おまえは、其れを会得したのか?」 解んないけど、それに近いとこまで行ってんじゃないかなあ?

オレは、強くないよ。強くないんだけど弱くないんだなあ。「なんやねん、それはあ?」 此れだよ。「なにがいなあ?」

強くないけど弱くない、このどちらつかずの軟体性なる精神と肉体だよ。そうかあ、そうだったのかあ。よう解らんなあ~。「なんやねん?」





張り詰めた琴線は切れる、硬すぎる鉄は折れる、屹立したり萎えたりのチンチンぐらいが、ちょうどいいのかなあ? 「いい表現やねえ」 ホンマか?

「じゃあ、おまえはチ〇ポか?」 うっ、う~ん、そういうことになるのかねえ。ちょっと、伝えたいニュアンスが違うようだけれども。

なんで、椅子の話から、こんな結果になるのか、話してるオレが解らんわ。

















ちょっと、心を入れ替えて一眼レフの操作を真面目に勉強しておこ。こんなレンズが欲しいって思ってる人も居るはずだよ。

そんなの持っていて、なにも精進することなしに防湿庫に仕舞ったままってのは罰が当たるよ。

実は、オークションで売る場合、付属品を汚さず保管して置くといい値がつくので汚したくないんだね。発想がおかしいね?





「売るための一眼レフなのか?」 そうなるね。「売るための高級レンズなのか?」 そうなるね。

「じゃあ、思い切り使いたくても使えない、借りもののような物なのか?」 そうなるね。 

「自分の物であって、そうじゃない物なのか?」 そうなるね。 「じゃあ、誰のものでもないのか?」 オレのものだよ。「じゃあ、使えっ」 





オレも馬鹿だよ。「そんなのは、早くから解ってる」 いじましい思いがカメラやレンズを腐らせることに気付かなかった。

今、ようよう気付いたよ。道具は使ってこそ、その価値を発揮する。「そうっ」 

他人(ひと)さんの写真を、無断で勝手に貼るような泥棒の中国みたいで恥ずかしい。「中国が、モロに云われて気分悪るうしよんでえ」





よしっ、遣ると云ったら遣るっ、其れがオレだよ。壁紙みたいな写真を撮ってやるよ。そして、皆さんに自由に使って貰おう。「大きく出たねえ」
















最新の画像もっと見る

コメントを投稿