
漠然とした標(しるべ)は目の先にある。もう手が届くかなって思う時もあれば、遥か彼方の靄の中にすっ飛んで在るんだね。
オレの人生は、そうして生き長らえて来たとしか謂いようがない。
何かしらを必死に考えて苦しんでもがいて、今在る自分を支えて生きて来たに過ぎない。標は、在るんだけども想像なんだろうかね?
もう、歳に倣って意味のない人生で終わってくれても、悲しいとか虚しいとか顧みて後悔するようなものもない。
標は、夢の中に立ち尽くしたまま昔となんら変わず目の先に在るんだけどね、届くかと手を伸ばせば先へと遠のき遥か彼方で笑ってる。
我を見失わず、今を見失わず、生き続けて来ただけが全てだったのかも知らん。取るに足らん人生なんだけど、それすらも、別段、
しゃにむに取らいでかっなんて、あくせく思わんのだろうね。オレの目の届くところに、常に消えずに立っておればいい。
一匹狼の努めかね? 誇りだろうかね? 痩せ狼の辿り歩かねばならん道標(みちしるべ)だったのかもね? 「導かれてんか?」
そんなのを感じないこともない。一匹狼の背負ったツケかもしれない。 「払わねばならんツケとは幾らや?」
お金じゃないよ、なにか抜け落ちて忘れてるものがあるのかも知れん。つまり、ツケを払うために道を迷わず歩き通せってことだろうかね。

商売こけて、何処ぞまともな処で働き口を探そうにも、オレは働くって云っても向こうが要らんって相手にしよらんから仕方ない。
相手方の気さくな言葉に救われて行った処が下請けの会社だった。こんな仕事もあるんだねって思ったね。
大手の親方会社の倉庫管理の仕事だった。下請けの会社も其れなりに手広くやってんのかいね? 「自分の入った会社だろ?」
そんなの興味ないんだね。働けたら其れでいいって思ってた。大手親会社運営の倉庫で管理仕事を受け持ってんだよ。
派遣されたのは7人ほど居たね。其の場の状況に慣れるのに一カ月ほどかな?
或る日、親方会社の所長のボロクソを目の当たりにして、立場の有り様も理解できた。
此れはいかん、此れでは、いつまでもボロクソで遣られっ放しではないかいなと思ったから、其れから二週間ほどかね、
見よう見真似で仕事の遅れを改善しつつ、滞ってる山のような仕事は合間を見つけては片っ端から片付けて行った。それが良いのか悪いのか、
所長のボロクソの種を刈ればボロ草は生えないと解釈して、見渡せば覇気のない連中ばかりで問題意識なども希薄もいいとこだね。

オレは、こういう目端は利いてたね。弱い処を補強すれば解決するって、下請けの上司に了解貰って飛ばしに飛ばして長く滞っていた仕事を
嘘のように片付けた。一人で遣ったるって根性で日常仕事掛け持ちで飛ばしまくった。使える奴が居るって見抜いたから
褒めておだててその気にさせて人間を変えてあげたよ。一回や2回など役には立たない、流れを作らねばならん、継続は力、其れが実力よ。
次から次から入庫が連続する中、10トントラックが追い打ちかけて来よる。荷下ろしとともに続けて仕舞っていく。戦いだね。
糞重たい物からコマイものまで山のよう、山を山として置かせない。動かぬ奴らを笑わせて勢いつけてケツを煽って休ませない。
笑い飛ばして倉庫は、実に明るくなった。死んでるような人たちが冗談云ってゆとりが生じて動きが軽くなった。

入社して2カ月かね、流れは出来た。継続の力は板についた。脚を引っ張る人が居ったね、頭が切れるほうなんだけど活かさない。
活かさないから腐っていくんだよ。うちの上司との間で険悪なムードが漂ってる。親方会社の事務系のほうになびいた姿勢。
此の人はマズイねって思いつつも、そんなのはそいつの問題だから知らん顔。そのうち辞めていかれたね。
綺麗な水を絶えず流せば墨に染まった澱みの水も徐々に薄まり、やがて底を露わに姿を見せる。しかし、少し汚れが残る方がいい。「なんでや?」
水清くして魚棲まずだよ、人は生きてる、人が生きていける環境のほうが人間らしい。こころが互いを和ませて息が抜けるんだよ。
その後、5年間、親方会社は紳士的になって柔らかくなって仲間意識で持ち上げてくれた。実に、いい環境になったよ。
職場は、我が身で創るもの、誰にもゴチャゴチャ云わせる場所じゃないって誇りを生む。笑って、和んで、助け合う、成らぬものもなるもんさ。
まあね、身体が資本で遣れたから通った話だよ。持って生まれたような陽気な裏の顔も活きたね。「なんや、それ、裏の顔って?」
表の顔もあれば裏の顔もあるわいな。両方使い分けられるから策士で通る部分もある。「おまえの表の顔は?」 筋一本の鬱陶しい男だよ。

標ね、オレの目の先にある標はね、世話になった親方会社の所長が、しっかりしたものを建てろって云ってくれたのと同じだよ。
オレはオレが見えない。アホ丸出しでも、幸い、不快なオレ自身は見えずに笑って生きてりゃ済む。
蚊帳の外の肉体労働者など相手にせず無能呼ばわりで顎で使ってたね。それが変われば変わるもんで肩を並べて仕事の一端任せて相手を立てる。
そんな成り行きに野球チームも誕生して慰安旅行にもお呼びがかかって、結構、愉しい職場の恩恵を受けた。
徳島に渡る航路で、甲板に立って青い海を眺めてた。其処へ所長が寄って来て二人して海を眺めてた。所長が嬉しそうな顔をして 「〇〇〇〇」
ってオレを呼ぶ、「はあ?」 「おぬしは一匹狼やな」って顔見て笑ってる。「おぬしは、此れから先、まだまだ、何かを遣る男やのう」って
謂うんだよ。オレは、言葉が見つからなくて所長に笑顔で応えて海に目をやり、二人で、暫く、流れる海原眺めていたね。
オレの目の先の標は自由になることのみ睨んでた。覆い被さる負の責と戦わねばならん。「何かを遣る」 そう、生き延びることだったよ。
もし、人に見込まれたとしたら、いつかは応えねばならん。其れを聞いてから数十年が過ぎた。なのに、忘れないんだね。
あの時の所長の言葉が、其のまま、オレの心で生き続けている。表か裏かは知らんけど、頑として一匹狼の性根は揺るがない。