脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

支え

2011-12-18 20:19:48 | 私の思い 2
今の私を支えて下さっている人たち……



息子たち
娘はもちろん…


友達
その中には
娘の保護者仲間と
音訳仲間もたくさん…
一緒にNPOを立ち上げた仲間も


ブログを通して
知り合わせていただいたかたたち


いろいろと
不思議なご縁で繋がらせていただいているかたたち…

いつも私や息子のことまで心配してくださる娘のドクター
私の2人の主治医


そして
もうお会いする機会はないけれど
夫ばかりか私の支えにもなって下さった夫の3人の主治医…


混乱した私を支えて下さった東京の病院のドクターや看護師さんたち


娘が幼い頃お世話になった二つの通園施設の先生方とは
今も変わらずおつきあいさせていただいている


いつも一番身近で力になってくれている私の姉と義弟、
いつもメールをくれる姪たち
遠くに住んでいるけれどいつも心配してくださる義姉や甥、姪たち
夫の伯母や叔父


同じ地域に住む夫の親戚のかたたちや
夫の友人たちも
今でも時々声をかけて下さったり
お参りにきてくださる


近所のかたたちも
いつも私を気遣ってくださる


私の学生時代の恩師とも
初恋の彼とその奥様とも
不思議なご縁で
今も繋がらせていただいている


それから…
関係さえ書ききれない
友達とも同士とも言える
不思議な知り合いのかたたち……


たくさんの人たちの
たくさんの心に支えられて
今の私がある


弱っちぃ私だけど
たくさんの人から
たくさんの力をいただいたおかげで
ここまで歩いてくることができたんだと思う


夫がいない心の穴を埋めることは
誰にもできないけれど


それでも
たくさんの人に支えていただきながら
これからもやっとの思いで
歩いていくんだと思う…


すべての人に
心から
ありがとうございます…




初雪~

2011-12-17 22:44:42 | 日記 2
昨日から時々雪が舞っていたが今朝は思ったほどは積もっていなくて一安心……
南天の葉っぱの上にうっすらと……

でも今夜はハンパなく寒い部屋から一歩でると凍えそうな寒さ!

昨日は私の内科、心療内科、娘の皮膚科と病院のはしご受診をした。

心療内科のドクターとお話していて思ったコト。


私は弱虫だ。
後悔と懺悔と恋しさと切なさと心細さとがごちゃ混ぜになって
その混乱から抜け出せない。
昼間は、
しっかり者で明るい私を演じて、虚勢をはってがんばるから
帰宅してからの反動が大きい。

でも、これが私。
混乱も心細さも仕方ない。
解決などできるはずもないし、
だったらこのまま生きていくしかない。
今まではそんな自分が不甲斐なくて
前向きに生きられない自分を心の底で責め続けてきた。


それでいいんじゃないですか…とドクターに言われ、
……そうか……と思った。

変わらなくてもいい
私は私のままで生きていけばいい

後悔も悲しみも感じ方はみんな違うのだから
私は
私の悲しみを生きていこう。

悲しみの中でもできることはきっとあると思うから…
よく
「そろそろ落ち着いた?」とか
「(一人暮らしに)もう慣れた?」とか言われるけれど
いつまでたっても
慣れることもないし、
気持ちも変わらない。
でも変わらなくてもいい、
このままで
こんな私のままでも
夫と共に生きていければ
それでいい……………

2011-12-09 22:49:45 | 私の思い 2
断ち切られてしまった絆…
もう二度とつなぐことのできない現実の絆…

でも
心の絆は誰にも断ち切ることはできない…

左側にも麻痺が広がり、
もう手をつないでも
感覚はなくなっていたけれど…

それでも、
私の言葉にはかすかに反応してくれていた…

最後まで
心の絆は繋がっていたし、
今も繋がっている。


この写真を見ると
切ないけど静かな気持ちになれる。
現実があったころ。
でもどんな現実も過ぎ去っていくもの。
かつてあったけれど今はないもの。
今はないけれど、
現実としては存在しないけれど、
でも私の心の中では今も存在するもの。

そんなふうに思えるようになって……
それでも時折は
なくしたものの大きさを思って涙が止まらなくなるのだけれど……
なくしたものを数えないで、
今あるものを大切に生きていかなければならないと
自分自身に言い聞かせている。

夫の
たくさんの思い、言葉、愛情…それらは今も私と一緒に生きている。
私は夫と共に今も生きている。







月命日

2011-12-08 19:50:59 | 日記 2
昨日は4回目の月命日だった。
冬から春に移る、名古屋の病院で過ごした頃の記憶は鮮明なのに、
そのあとの日々は暑かったのか、暑くなかったのか記憶がほとんどない。
8月のあの日だけは
とても暑い日だったことは覚えている・・・
そしていつの間にか雪の季節・・・

昨日の空はどんよりと暗い雪雲。でもその合間から明るい青空が見えた。
まさに今の私!?

昨日は仕事を休んで母の定期の通院に付き添った。
母は90歳、ワケあり独身の兄と二人暮らしである。
夫が亡くなったあと、私が引き取ることも考えたが
まだ一人で身の回りのことができるので、できるだけ環境を変えないほうがよいと思い、月一回の通院だけは私が付き添っている。
年齢的にいろいろな問題が出てきていることは仕方ないので、
やりたいことができ、一日一日楽しめることがあれば…と思うが、
同じ年代の人たちはいなくなり、目も疎くなり、歩き方もぎこちなくなり、
体のあちこちが痛み、新しいことは覚わらなくなり、愚痴が多くなっている。
だんだん悪くなっていった頃の夫の気持ちを思い出してしまうので母の話を聞くのはちょっと苦しい。

一昨年、母の米寿の祝にと夫が伊勢への一泊旅行を計画してくれ
夫の運転で、姉と共に母を連れて出かけたのが最後の家族旅行になった。

夫が元気な頃、
母のことを心配してくれて
我が家に引きとってもいいと言ってくれたこともあった。
今は
私の仕事もあり
母を引き取ることは事実上不可能なのだが
夫の言葉を思い出しつつ
私にできることを
私にできる形でやっていこうと思っている。

今のところ
月1回の通院に付添い
その日はどこかにランチに連れて行くことだけが
精一杯のことなのだが・・・







音訳活動

2011-12-05 23:08:54 | 日記 2
今日は音訳の会の会議を兼ねた忘年会だった。

点訳は点字に訳すことで、
音訳は音に訳すこと、つまり、視覚にハンディのある方たちのために本や印刷物を録音することを指す。

私たちの会は、市の広報や図書館だより、新聞記事などを毎月音訳して利用者さんに届けている。
当然、毎月の当番が決まっており、仕上げの期日も決まっている。
夫が病気になってからは当番を交代していただくことが多く、
今年に入ってからは、全く活動できない状況だった。
たくさんの仲間が「大変な時だから…」と快く当番を変わって下さった。

9月末から活動に復帰したが、
仕事が忙しくなり、なかなか時間がとれなくなってきている…それでも、仲間に助けられてなんとか続けることができている。

今日は来年度の当番表を作り、皆に協力をお願いした。
それぞれに家庭の事情や仕事を抱えながらも
自分の時間をやりくりして当番をこなしてくださる。
それは、皆、音訳が楽しいから…
もちろん、読むときは利用者さんに伝わりやすいように、
音だけで聞いて理解していただけるようにということを第一に考えて読むのだけれど、
その「どう読めば伝わるのか」を一生懸命考えながら読むことが楽しいのだ。
会議になると、
自分がどう読むか悩んだところを皆に聞き、
いろんな読み方や考え方があることに気づく。
読み方に正解はないが、どうすれば一番よくわかるかを皆で話し合う。

「音訳」は一人で録音機に向かっての孤独な作業だが、
心は利用者さんのことを思い、
こうして会議になると皆とあーでもない、こーでもないと話しは尽きることがない。


どれだけ勉強してもこれで満点という録音はできない、奥が深い活動に出会えたこと、
いい仲間に恵まれたことに感謝している。

来年は今年皆に迷惑をかけた分、がんばろうと思っている……