脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

5年ぶりの・・・

2014-05-10 22:34:25 | 私の思い 3
若葉風の強い一日。



昨日は
娘の療育手帳の再判定だった。
成人になると、間があいて、5年ぶりの判定。

「5年前と何か変わったことはありますか?」と聞かれ
「もう成人になれば、そんなにできることが増えるわけでもないし
 特に変わりはないと思いますが・・・」と答えると
「ご家族も?」と尋ねられて絶句した。

5年前・・・
ケアホームができたばかりで
夫も元気だった。


こんな日がくるなんて
想像もしていなかった。
穏やかな日常が
ずっと続くと信じて
疑わなかった能天気だった日々。


娘の手術、
夫の病気、
娘の病状について
問われるままに答えた。

娘は今も服薬が必要で
定期的な受診が欠かせないこと。

娘の将来の生活が
とても心配なこと。
親はいつかは子どもを残してゆかなければならないのだから
そうなっても、
手厚い支援を受けて
幸せに暮らしつづけてほしいと願っていること。


何も望みなど、ない。
息子や娘が
必要な支援を受けることができて
生活を楽しむことができるように
それだけが
わたしの願い。

GWと誕生日

2014-05-10 21:10:26 | 私の思い 3
ゴールデンウィーク


3日に義姉と娘、その息子(小2、義姉の孫)が来てくださった。
6日まで滞在。


結婚以来、
GWとお盆、お正月にはいつも大勢の来客の接待だった。
夫や子どもたちと
どこかに出かけたいと思うこともないわけではなかったが
それが本家の勤めと思ってきた。
子どもたちが小さなころは
大変なときもあり
泣きたい思いをすることもあったが
年を経るにしたがい
それが楽しみになっていた。
いまでは
誰も来ないGWやお盆は考えられない。
そんな私の思いを察して
義姉家族が滞在してくださったのだと感謝。


調理ができないのは相変わらず。
でも、義姉に心配をかけるわけにはいかないので
なんとかごまかした。
小さな子どもがいることを言い訳に
冷凍のハンバーグや、
グラタン、エビフライやから揚げなど、
ほとんど味付けしなくてもよいものばかりを並べた。

義姉も気を使ってくださり
4日、5日の昼食は外食に誘ってくださった。


おかげで
時間を持て余すこともなく
忙しく過ごすことができた。
娘とふたりっきりだったら
行くところもなく
することもなく
きっと
泣いてばかりいただろう。


そして
5月7日は
娘の誕生日だった。

夫が発病した年(4年前)
娘は東京の病院を退院した後
体調不良で
大学病院に再入院していた。
5月6日に退院許可が出て
主治医と連絡が取れたのは
午後4時過ぎだったが
翌日の誕生日を
夫とともに過ごさせてやりたくて
ばたばたと退院してきたのだった。

翌日
まだ入院中だった夫のもとへ
娘の誕生日ケーキを持って出かけた。
翌年の誕生日には
夫がどうなっているか、とても不安だった。
夫の口から、娘に
「おめでとう」と言ってもらえる
最後になるかもしれないと思っていた。

翌年(3年前)
夫は名古屋の病院から
外泊で自宅に戻っていた。
車いすで
失語も進んでいた。
それでも
義姉家族も迎え
少し早いけれど
連休中に娘の誕生日を祝い
夫の手から
誕生祝に準備した「かるた」を
渡してもらった。
夫は
あまりよく意味が分からないようだった。
わたしに促されて
「おめでとう」と言ってくれたのだった。

あの
二回の娘の誕生日を
わたしは決して忘れないだろう。
それが
娘にとっても
思い出の宝物になることを祈っている。