脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

お風呂

2013-03-07 22:58:53 | 私の思い 3
今日は夫の月命日。
そして、一昨年のこの日、
名古屋の病院に入院前の夫が
自宅のお風呂に最後に入った日。

その2週間くらい前からふらつきがひどくなってきていて
特に、お風呂上りは、一人で立っていることもできなくなっていた。
主治医にお話しても
MRIは異常がなく
ちょうど増量したばかりの痙攣止めのせいではないかと言われるばかりだった。
主治医も、当時は大脳の原発巣のことしか考えておられなかった。
密かに、脳の深部にむかって増殖している腫瘍があることなど
知る由もなく、
その症状が、何処からくるものなのか、わからなかった。
だんだんと、ふらつきは進み、
お風呂上りは、たっていることができず、
居間の椅子に座らせて体を拭いてあげていた。
トイレにいくには、廊下をつたい、私が脇をささえてかろうじて行っていた。
自宅での生活はもう限界に近づいていた。
名古屋の病院への入院を翌日に控え、
お風呂の大好きな夫をなんとかして入浴させてあげたいとおもった。
体を洗い、洗髪もし、浴槽にも入ることができた。
今思えば、よく転倒しなかったものだと思うが・・
お風呂上りは、バスタオルで体を包み、
居間まで、後ろから両脇を支えてやっと歩いてきて
椅子に座らせ、体を拭いた。

朝、右手でお箸で食事をしていた夫が、
お昼にはフォークになり、
夕食にはフォークさえ右手でもてなくなっていたのは2月28日のことだった。
麻痺と失語はみるみるすすんだ。
そして、治療をしても、右半身麻痺はよくなることはなかった。

どんなに自宅のお風呂に入りたかったことだろう。
夫のおかげで増築したお風呂だった。
娘の介助が出来るように広くしてある。
だから、入院前、夫の介助にも入ることができたのだ。

仕事から帰ると、どんなに遅い時間でも、お風呂が先だった。
お風呂で手足を伸ばすとほっとすると言っていた。
どんなに、麻痺した手足を伸ばしたかったことだろう。
それでも、名古屋の病院から車椅子になって帰ってきてからの夫は
ひとこともそのことを言わなかった。


今も、お風呂に入るたび、
当時の夫の気持ちを思い、涙が止まらなくなる。
失語のために、自分の思いを言葉にすることはできなかった夫。
なぜ、あのとき、夫の心の底にある悲しみに寄り添えなかったのか、
なぜ、気付かないふりをしてしまったのか
今も、毎日、夫に「ごめんね」と言い続けている。