今日、娘と外出中に、夫の会社のバスを見かけた。
夫の会社には、路線バスと、高速や貸切に使う(赤い)バスの2種類がある。
(実際にはもっと車種はあるのだろうが、娘と私は車体の色しかわからないので・・)
今日のバスは赤いバス。
娘は夫がなくなってから、そのバスを「お父さんのバス」と呼ぶようになった。
誰が教えたわけでもないのだが、
そのバスは、娘にとって父親の思い出と直結しているからなのだろう。
夫は転職して、わずか1年9ヶ月で発病したので
夫の運転するバスに乗る機会はわずかしかなかった。
一度だけ、普段は路線にのっている夫が、貸切を運転したことがあった。
それは、娘と私の所属する「手をつなぐ育成会」の交流会で
隣りの市へ出かけたときだった。
なぜ、私は同行できなったのか、記憶にないのだが
娘はヘルパーさんと一緒に出かけた。
その貸切バスを運転したのが夫だった。
事情がよくわかっている夫のほうがよいだろうとの
会社側のご配慮だった。
午前中は、体育館で、レクリエーションをし、
午後は、バスで移動して、市内散策を楽しむという日程で
その待ち合わせ場所など、夫が細かく下調べをしてくれていたらしい。
おかげで、あまり長距離を歩かなくてもよく、
楽しく過ごすことができたのだと聞いた。
娘にとって
今まで貸切バスを意味していた「赤いバス」が
いつしか、「お父さんのバス」になっていた。
それは、娘にとって、大切な、父親の思い出になっているのだろう。
でも、私は、娘のその表現を聞くと
夫がもういないことを否応なく思い知らされる。
もう、夫はあのバスを運転することはない。
あんなに運転したがっていた夫。
あんなに復職を望んでいた夫。
夫の最初の受診がもう少し早くて
病巣があんなに大きくなっていなかったら
最初の手術のあと、
少しは復職できる時期があったのではないかと思えてならない。
どんなに思っても、それは取り戻せない時間。
夫の会社には、路線バスと、高速や貸切に使う(赤い)バスの2種類がある。
(実際にはもっと車種はあるのだろうが、娘と私は車体の色しかわからないので・・)
今日のバスは赤いバス。
娘は夫がなくなってから、そのバスを「お父さんのバス」と呼ぶようになった。
誰が教えたわけでもないのだが、
そのバスは、娘にとって父親の思い出と直結しているからなのだろう。
夫は転職して、わずか1年9ヶ月で発病したので
夫の運転するバスに乗る機会はわずかしかなかった。
一度だけ、普段は路線にのっている夫が、貸切を運転したことがあった。
それは、娘と私の所属する「手をつなぐ育成会」の交流会で
隣りの市へ出かけたときだった。
なぜ、私は同行できなったのか、記憶にないのだが
娘はヘルパーさんと一緒に出かけた。
その貸切バスを運転したのが夫だった。
事情がよくわかっている夫のほうがよいだろうとの
会社側のご配慮だった。
午前中は、体育館で、レクリエーションをし、
午後は、バスで移動して、市内散策を楽しむという日程で
その待ち合わせ場所など、夫が細かく下調べをしてくれていたらしい。
おかげで、あまり長距離を歩かなくてもよく、
楽しく過ごすことができたのだと聞いた。
娘にとって
今まで貸切バスを意味していた「赤いバス」が
いつしか、「お父さんのバス」になっていた。
それは、娘にとって、大切な、父親の思い出になっているのだろう。
でも、私は、娘のその表現を聞くと
夫がもういないことを否応なく思い知らされる。
もう、夫はあのバスを運転することはない。
あんなに運転したがっていた夫。
あんなに復職を望んでいた夫。
夫の最初の受診がもう少し早くて
病巣があんなに大きくなっていなかったら
最初の手術のあと、
少しは復職できる時期があったのではないかと思えてならない。
どんなに思っても、それは取り戻せない時間。