脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

「お父さんのバス」

2013-03-03 23:00:04 | 私の思い 3
今日、娘と外出中に、夫の会社のバスを見かけた。
夫の会社には、路線バスと、高速や貸切に使う(赤い)バスの2種類がある。
(実際にはもっと車種はあるのだろうが、娘と私は車体の色しかわからないので・・)
今日のバスは赤いバス。
娘は夫がなくなってから、そのバスを「お父さんのバス」と呼ぶようになった。
誰が教えたわけでもないのだが、
そのバスは、娘にとって父親の思い出と直結しているからなのだろう。

夫は転職して、わずか1年9ヶ月で発病したので
夫の運転するバスに乗る機会はわずかしかなかった。
一度だけ、普段は路線にのっている夫が、貸切を運転したことがあった。
それは、娘と私の所属する「手をつなぐ育成会」の交流会で
隣りの市へ出かけたときだった。
なぜ、私は同行できなったのか、記憶にないのだが
娘はヘルパーさんと一緒に出かけた。
その貸切バスを運転したのが夫だった。
事情がよくわかっている夫のほうがよいだろうとの
会社側のご配慮だった。
午前中は、体育館で、レクリエーションをし、
午後は、バスで移動して、市内散策を楽しむという日程で
その待ち合わせ場所など、夫が細かく下調べをしてくれていたらしい。
おかげで、あまり長距離を歩かなくてもよく、
楽しく過ごすことができたのだと聞いた。
娘にとって
今まで貸切バスを意味していた「赤いバス」が
いつしか、「お父さんのバス」になっていた。
それは、娘にとって、大切な、父親の思い出になっているのだろう。

でも、私は、娘のその表現を聞くと
夫がもういないことを否応なく思い知らされる。
もう、夫はあのバスを運転することはない。
あんなに運転したがっていた夫。
あんなに復職を望んでいた夫。

夫の最初の受診がもう少し早くて
病巣があんなに大きくなっていなかったら
最初の手術のあと、
少しは復職できる時期があったのではないかと思えてならない。
どんなに思っても、それは取り戻せない時間。