LOTUS BLUE DIARY

インテリアとリビングと手作りのお話

木版と更紗

2015-07-17 09:57:24 | 更紗
一年以上ブログを停止していたので、書きたいことが溜まっています。
で、続けて書きます。

思えば4年前の9月、長く暮らした東京を離れ、
中学3年生までの15年間を暮した飛騨高山に戻ってきました。

これまで手掛けてきた室内装飾の仕事は、東京をはなれても続けることができるという確信があったこと、
デザインと版画を彫る仕事を選任することになったこと、
そして、古道具の在庫を山ほど抱え、どうしてもお店を持ちたいという思いが募りに募って、
37年ぶりに高山に戻ってきたのです。

帰ってきて、すぐに版画を彫り始めました。
印刀を握るのは、十数年前に一版彫った時以来。
さらに、キャリアといえば中学生まで図工の時間に彫った版画の、義務教育レベルの技術程度です。

東京では、中野先生に師事し、更紗の手ほどきを受けていました。
先生の彫った版を使わせていただいて押した木版更紗数点、線描きの更紗数点を抱えて帰り、
更紗を続行していく決意を固めていました。
先生に手ほどきを受けたのは、わずか半年間です。
たった半年の修行で、果たして更紗ができるのかという不安もあります。
しかし、実は母方の京都の親戚が「絵更紗」の家本で、創始者が故元井三門里氏という人物であったことから、
母は若いころから更紗を学んでいました。
私自身、子供のころから更紗が生活の中にあるという環境で育っていたのです。

母の更紗、父の木版。
その二つを私が引き継ごうと思ったことは、自然といえば自然。
そして中野先生との出会いは、偶然です。

4年間、版画を彫り続け、私の右腕は筋肉隆々となりました。
版画を彫るという責任が私の背中を押し、機が熟して、
今年の1月から、自分の更紗のための木版を彫ろうと一念発起しました。

骨董市で買った一枚の小さな古裂がありました。



大正時代のものと思われる、銅版の更紗です。
これをどうしても、復刻したいと思いました。

欠損している部分を推測しながら、連続模様を構成させます。



そして、新年㋀6日から第一版を彫り始めました。





第二版と掘り進みます。



そして、第3版。



3版が8割彫れたところ。
夜なべの製作は、気が付くと朝方になっていたこともありました。



3週間とちょっとで、3版を彫り上げました。



これから版を押し、彩色します。
一年をかけて、襖を染めようと思います。

古い更紗の風呂敷

2011-01-20 08:14:55 | 更紗
高山で古裂を扱う「お月さん」というお店で、
古い和更紗の風呂敷を買いました。

ペーズリーがボーダーになって、
なおかつ縞が入った柄でした。



ほころびた部分に、同じ時代のプリント布でかけはぎがなされていました。



そこで、思い出しました。
同じような更紗の風呂敷があったのを。

おそらく虫食いになったのか、もとは正方形だった風呂敷の
いい部分だけ残して、長方形になっていた布は、
一部かぎ裂きになっていました。

色はあせていますが、
柄は典型的更紗文様、「鋸歯文」(きょしもん、といって鋸の歯のような形の柄のルーツはインド)です。



「お月さん」で手に入れた風呂敷に習って、
かけはぎして、再生することにしました。



古い縞の残り裂で、かけはぎした様子がこちら。

昔の人のかけはぎのメソッドを真似て、
ボロだった布がヴィンテージとして生き返りました。

染めものの材料が埃をかぶらぬよう、
掛け布にして使うことにしました。

更紗の教科書のような布を傍らに、
頑張って製作にいそしまなくてはな、と思っています。

絵更紗を教わりに その3

2009-04-22 12:55:30 | 更紗
芋版は、やり始めたら楽しくて
次々にいろんなパターンを押してみたくなりました。

伝統的な「立涌」で芋版作品を2点作りました。



ベースにベージュの色をブロックの芋版で全体に押してから
「立涌」の枠の文様を連続して押し、
次に枠の中の文様を押します。
枠の中の文様を”彫り”と“抜き”にして
リバース文様になるようにしてみました。

連続文様という制限の中で、こうした規則性を考えて
図案のデザインをする作業というのは、
なかなか楽しいものでした。



枠の版をもう一度使い、枠の中の図案を変えて
違った版を彫って、もうひと作品作りました。
今度は版の色をブルーとベージュで「立涌」のコントラストを作りました。
どことなく「大正っぽい感じ」にしてみたかったのですが
いかがでしょうか。

使用した布は、”絹ちりめん”です。
絹の布だと、木綿や麻とはまたちがった高級感が出ます。

きれいに染まったので、”数寄屋袋”でも仕立ててみようかな
と考えているところです。
「大正時代の女学生に似合いそうな袋物」に仕上がるでしょうかね。


絵更紗を教わりに その2

2009-04-20 16:32:43 | 更紗
絵更紗の芋版作品をいくつか作りました。

芋版に使う版には”さつまいも”を使います。
芋を縦に切って、移した図案をデザイナーズカッターで彫ります。
お手本のパターンをアレンジしてデザインを考え
テーブルセンターになるように作りました。



一枚だけだともったいないので、色を変えてもう一枚押しました。
ランナー用に帯状に織り上がった布を切って、端をほどいて
フリンジを作ったら小さな敷物になりました。



こちらは、あらかじめマットになっているものに
オールオーバーなパターンとストライプを押して
ランチョンマットを作りました。



ちょっとむずかしそうだったけれど、どうしてもやってみたかったのが
こちらの連続模様です。
途中色を変えて、帯状に変化をつけました。
うっかり付けてしまった染料のシミを、
「M」と彫ったイニシアルを押してごまかしました。

芋版の彫ったものは次の日に持ち越して使えないので
その日のうちに一気に押して染め上げなければなりません。
5枚の敷物を作るのに、2本のさつまいもがあっという間になくなりました。

こうした小さい作品は、あっという間に押し上がって完成できます。
ですが制作している時間よりも、図案を考えている時間がうんとかかりました。
芋版の面白さは、連続して効果のある図案を考えるところと、
連続模様を押しながら完成が見えるところにあります。

「押す」という、「描き」とは違った絵更紗の醍醐味にハマッテしまい、
立てつづけにできた小作品を、次回もご紹介します。

絵更紗を教わりに その1

2009-04-16 12:05:52 | 更紗
久々のブログの更新です。
実は、2週間ばかり修行の旅に行っていたのです。

実家の母は「絵更紗」の作家をしています。
子供の頃から母が「絵更紗」を描くのを見て育っていた私ですが、
なぜか突然「絵更紗」を習いたいと思いついて
このたび母に手ほどきをお願いしたというわけです。

「更紗」という言葉は聞いたことがあっても、
「絵更紗」は聞きなれないかもしれません。
古くは、インド更紗、ジャワ更紗そしてイギリスではチンツと呼ばれる更紗が
日本に渡来したのが「渡り更紗」というもので、
それを写したのが日本の「和更紗」です。

「絵更紗」は、更紗に絵画的な表現を加味したもので、
独自に京都でおこりました。
創始者の”元井碧”氏は、母の親せき筋にあたります。
母は若いころに、元井の家に弟子入りして「絵更紗」を学んでいたのでした。

「絵更紗」とは、布に染料で文様と図案とを染めつけていくもので、
その手法は大きく二つあります。
一つは、”糊”を伏せて描く手法、
もう一つは、”芋版”で押して染めつける方法です。

二週間の間に、手本を写しながら十数点の習作をつくりました。
その中で、私がハマッてしまったのが“連続模様”です。



小さな布に染めつけた連続模様は、なんだか「モダン」に見えます。
図案を描くのがすごく面白かった習作です。

何しろ染料を混ぜて思った色を出すのはにわかには難しくて、
母がつきっきりでようやくできた配色です。

少し慣れてきて、ちょっとお気に入りの習作ができたので
額に入れてみました。



額縁のようになった文様の中にいる人物は、
キリスト教徒のように見えます。

”元井碧”氏は、熱心なキリスト教徒でもありました。
多くの弟子をとって「絵更紗」を教えていた目的の一つは、
キリスト教の伝道だったといいます。

「絵更紗」には、相反する要素が共存しているように思います。
西洋的なものと東洋的なもの、伝統的なものとモダンなもの、
有機的な線と直線的な線の表現、絵画的な要素と文様的な要素、
規則性と不規則性、染料の計算された効果と偶発的な効果など。

2週間という期間は、あまりにも短く瞬く間に過ぎました。
自分の更紗を描くまでにはまだまだ長い期間の修行を要しますが、
まずは初めの小さな一歩を踏み出したところです。