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リタイアーのよもやま話

ジムで長時間鍛える必要なし!

2013-09-25 22:12:11 | 健康

ヤフーの記事である。

 

【衝撃研究結果】ジムで長時間鍛える必要なし!
 10分以内の運動でもシャープなボディを手に入
れられることが判明


たるみのない引き締まった体を見ると「羨ましい」
と感じながらも「キツイ運動をするのは避けたい」
「スポーツジムなどに通う時間がない」と思う人
は多いのではないだろうか。シャープな肉体は、
ジムなどで何時間も鍛えた末に得られるものと思
われがちだ。

しかし、アメリカで行われた研究によると、メタボ
対策や体重を落とすためなら短時間の運動で十分

それどころか方法によっては、ジムで長く過ごすよ
りも効果が大きい
ことが分かった。ジムに通って長
時間自分の体をいじめる必要などなかったのだ。

ユタ州立大学のジェシー・ファン博士をリーダーと
する研究チームは、18~64歳までの約4500人を対
象に臨床実験を行った。目的は、10分以下の適度な
運動が体重の変化に影響を与えるかどうか。運動の
時間と質、それらがもたらす肥満指数の変化を計測
した。

・運動の時間より質

結果から言えば、10分以内の運動でも、余計な脂肪
を落とすために意外なほど大きな効果を得られるこ
とが判明。多くの人は、「シャープな体型を目指す
なら、スポーツジムなどで長時間過ごさないと」と
思いがちだが、そうでもないことが医学的実験によ
り証明される形になった。

具体的に言うと、質の高い10分以内の運動は、ジム
で長時間みっちり運動した場合と同じ影響を見込め
るという。それだけではない。長時間ジムにいても
軽い運動をしている場合なら、10分以内の質の高い
運動の方が有効だというのだ。

「太らないためには、運動した時間より活発さが重
要なのです」。ジェシー・ファン博士はそう述べて
いる。

・階段を使うだけでもOK

「活発さ」と言われると腰が引けてしまう人がいる
かもしれない。しかし、レポートによると、エレベ
ーターの代わりに階段を使ったり、バスを一区間先
に降りてその分歩いたり、ショッピングモールの入
り口から遠い位置に車を止めて歩く距離を増やすよ
うにするのもアリ。

・毎日続けることが肝

時間にすれば数分、短ければ数十秒の運動かもしれ
ないが、毎日の習慣にすれば、肥満になる見込みが
男性なら2%以下、女性なら5%以下になるとのこ
と。

ちなみに、身長約165cmの人が仕事で毎日階段を使
うようにすれば、エレベーターを使う場合と比べて
約0.2kg差が出るらしい。

・気持ちが大事なのは同じ

ここまで手軽に効果が出るのなら、特に「忙しくて
運動する時間が取れない」と嘆く人にとっては是非
取り組みたいもの。ただし、よく考えれば、毎日エ
レベーターの代わりに階段を使うといっても、それ
はそれで大変な気が……。とにかく、使える言い訳
はもうないという覚悟で臨めばなんとかなる!

以上。

なんとも、大変嬉しい記事である。

悪玉コレステロール値が高くて、内科にいったら、
30分、週3回のウォーキングをするように言わ
れた。

ところが、実際の話しになると、なかなかである。

しかし、このような記事があると、つい嬉しくなって
しまう。

悪玉コレステロール値を下げるというシトルリンを飲
んでいるのだが、運動のハードルが下がって嬉しい。


脱線事故

2013-09-25 06:24:51 | 社会

ヤフーの記事である。

 

<JR北海道>レール異常新たに170
カ所 基準誤って検査

 JR北海道がレール幅の拡大など多数の

異常を放置していた問題で、JR北海道は
25日未明、新たに7路線で約170カ所
の異常があったと明らかにした。レール検
査の際、誤った基準を適用していたという。

同社は「異常放置ととられても仕方ない」
と釈明。これにより、「異常放置」は、これ
まで明らかになった97カ所を大きく上回
り、260カ所を超すことになった。

(毎日新聞)

 

以上。

 

最近、脱線事故があって、話題になり、いろ
いろと調査するうちに、異常放置の実態が露に
なった。


ここまで、酷いと、これまでの事故は、職務専
念義務違反の常態化になっているとしか言えな
い。

これまでの事故は、業務上過失で法的責任を問
われたのか、気になるところだ。

また、他のJRが、どうなっているかも気になる
ところだ。


問題は、これが、民営化のツケか、単なる現場
の職務怠慢か。労使の馴れ合いか。どうなんだ
ろう。興味深いものがある。

 


平等

2013-09-23 22:05:17 | 読書

次の文章は、サマーセットモームの文章だ。

若者は自分を不幸だと思っている。様々な
もっともらしい理想を吹き込まれた挙句、
いざ現実に直面すると、決まって理想から
はほど遠いものであって、心は傷つくばか
りなのだ。

若者向きの推薦図書は上品なものが多いし、
年長者は過去をバラ色のもやを通して見る
ため、とかく話はきれいごとになる。こう
いう図書や話は現実の人生に備えるのに役
立たない。

これまで読んだ本も聞いた話も、すべて粉
飾されたものだったと、若者は自力で発見
しなければならない。

人生の十宇架に傑になっているとも言える
若者の体は、その発見の度ごとに釘を一本、
また一本と打ち込まれていくことになる。

以上。

 

このモームの文章を読んでいるうちに、何か
と感ずるものがあった。

やはり、年をとったせいだろう。

そして、数日前に読み終えた北野武の「全
思考」という本にも、興味深い内容があった
のを思いだした。

それは、次の文章だ。

法の下の平等を
勘違いしてはいけない

子供は素晴らしい、子供には無限の可能性が
ある。

今の大人は、そういうふざけたことを言う。

子供がみんな素晴らしいわけがないじゃない
か。

残酷な言い方だが、馬鹿は馬鹿だ。足が遅い
ヤツは遅いし、野球がどんなに好きだって、
下手なヤツはいくら練習しても下手なのだ。


そんなことわかりきっているのに、本気で努
力すれば誰でも一流になれる、なんてことを
平気で言う。

そうじゃなくて、才能のある人間が、誰より
も努力をして、ようやく一流になれるかどう
かという話だ。イチローと同じ練習をしたら、
誰でもあんな風になれるのか。


戦後民主主義だかなんだかで、人間はみな平
等ということになった。その平等は、あくま
でも法の下の平等であって、金持ちも貧乏人
も、同じ法律で裁かれて、同じ基本的人権を
与えられますよというだけの話だ。実際には、
その平等だってかなり怪しいものだが、とり
あえずタテマエとしては、そういうこと
になった。 

それで、勘違いしてしまった。人間はみな平
等だ。


法の前では平等であっても、人間そのものが
平等なわけはない。

顔だって、背の高さだって、頭の中身だって、
百人いれば百通りだ。


そして世間を見渡せば、道端の雑草を喰って
飢えをしのぐ年寄り夫婦がいたかと思えば、
もう一方には自家用ジェットで外国まで飯を
喰いにいく金持ちもいる。


 どう考えたって、平等なんかじゃない。な
のに、どういうわけかみんな平等だってこと
にしたくて、努力すればなんとかなる、なん
てことを言いだした。


 子供に「お前は馬鹿なんだから」と言うよ
り、そっちの方がよっぽど残酷だ。

 今の小学校の一クラスが何人かわからない
けれど、20人か30人の子供の集団ひとつとっ
てみても、子供の能力にははっきり差がある。


だけど最近は、運動会の徒競走でも、ひとり
ひとりに順位をつけない学校が多いらしい。

 クラスの全員が走るリレーをやらせて、みん
なで協力してひとつのことを成し遂げましょう
とか、手をつないで仲良く一緒に走りましょう
とか。

 まるで、テレビのインチキ臭い学園ドラマだ。

 受験にしても、社会に出てからの競争にして
も、将来は完全な勝ち抜き戦が待っているとい
うのに、だ。

 その中で戦っていかなきゃならないのに、誰
にでも無限の可能性があるなんてことにしてし
まったから、逆に、落ちていく人間に対しては
愛情の欠片もない。

 ほんとうは勝負をさせるべきなのだ。負けて
悔し涙を流す子供には「だけど、お前は算数の
勉強はできるんだから」とか、フォローの仕方
はあるだろう。

 誰にでも無限の可能性があるという前提では、
お前の努力が足りないという結論で終わってし
まう。

 負けたのは、努力が足りなかっただけだ。
そう子供に言い続けるのは、見込みのない漫才
師志望の若者の耳元で、「頑張れば、いつかは
売れるよ」と囁くようなものだ。

愛情でもなんでもない。どんなに努力したって、
できないヤツはできないのだ。

 早い話が、芸能界を目指す人間が1000人い
たとして、そのうち何人が飯を喰えるようにな
るか。せいぜい1人いるかどうかが。
あとの999人は諦めるのが前提なのだ。

それでも、努力すれば夢はかなうと言えるのか。
そんな馬鹿な話はない。

 どうしてそういう無理をさせるのだろう。

 なんでも努力のせいにして、人間には本来差
があるという現実をうやむやにする。

 おかげで今の子供は、その努力すらしないで、
夢さえみていればいつかはかなうと思うように
なった。

そんな状態で、いきなり社会にほっぽり出され
るから、頭がおかしくなる。自分の思い通りに
ならないことを、何でもかんでも人のせいにす
る。

親が悪いと言ってば、バットで殴ったり。社会
が悪いんだと言って、引き籠もったり。ワケの
わからない新興宗教に夢中になったり。

 ストーカーだってそうだ。努力すれば夢はな
んでもかなうなんて教えこまれてるから、いつ
までも相手を追いかけ続ける。挙げ句の果てに
は、自分の気持ちがわからない相手が悪いと決
めつけて殺してしまう。

 高嶺の花なんて言葉が昔はあっだけど、今は
そんなこと誰も言わなくなってしまった。

 要するに、引き龍もりもストーカーも、世の
中には、諦めなきやいけないことがあるってこ
とを知らないのだ。

泣きさえすればミルクがもらえる赤ん坊の状態
から、ぜんぜん成長していない。

 それで慌てて、ウチの子供をどうしたらいい
んでしょうなんて、テレビの電話相談なんかに
泣きついてる暇があったら、お前なんかには無
理だったんだよって、言ってやれよと思う。

お前が間違っているんだよ、と。

 努力すればなんとかなるなんて、おためごか
しを言ってないで、子供の頃からちゃんと叩き
込んでおいてやった方がいい。

人間は平等なんかじゃない。お前にはその才能
がないんだと、親が言ってやるべきなのだ。い
くら努力したって、駄目なものは駄目なんだと、
教えてやらなきやいけない。

 そんなこと言ったら、子供が萎縮してしまう
っていうなら、萎縮さえしなければ、運動神経
の鈍いヤツが、オリンピック了金メダルを獲れ
るようになるのか。

 自分の子供が、なんの武器も持っていないこ
とを教えておくのは、ちっとも残酷じゃない。

それじゃ辛いというなら、なんとか世の中を渡
っていけるだけの武器を、子供が見つける手助
けをしてやることだ。

 それが見つからないのなら、せめて子供が世
の中に出たときに、現実に打ちのめされて傷つ
いても、生き抜いていけるだけのタフな心を育
ててやるしかない。

 子供の心を傷つけることを恐れちゃいけない。
傷ついて、へとへとになって、諦めればいいと
俺は思う。欲しいものを手に入れるには、努力
しなきゃいけない。だけど、どんなに努力して
も駄目なら諦めるしかない。

 それが現実なのだということを、子供のうち
に骨の髄まで叩き込んでおくことだ。

 それが、父親の役目だろう。

 

以上。

 

通常は、口に出せない話しだ。気付いている人
は、口をつぐんでいる。彼だから、言える話し
だ。

ただ、皮肉なことに、「父親の役目」について
は、それこそ、彼の望む「お笑い」になってし
まう。

彼には、残念ながら、そのような能書きを垂れ
る資格はない。

彼が、自著で自ら語っているので、わたしの妬み
による嘲笑ではない。

家庭人としては、彼の人格は破滅的である。
いや、人格の形成不全というべきかもしれぬが。

よく動物園で、育った動物が、子育てが出来ない
のが、出たりするが、彼は、まさに、そのような
タイプの人間だ。結婚にも適しないし、父親にも
適しない。人格的に欠落している。

だから、皮肉であるし、彼が一番望む。「お笑い」
になってしまっている。もしかすると、本望かも
しれない。

芸人春秋で、水道橋博士が、北野武をおおいに
持ち上げていたので、興味をもって、彼の本を
重点的に読んでいる。

最近、「余生」「孤独」「時効」を読み終えた。

昭和22年生まれ、団塊の世代の一人に、このよ
うな人物と生き方があったなんて、である。

ところで、それと、相通ずる話しをする人がいる。

 

千田琢哉である。彼のとある本にこういうのが
あった。

10代は
どういう10年だろうか?

 

早く勝つためには、
早く負けておくことだ。

負け続ける時期だ。

学校には負けるために通っているのだ。

もちろん故意に負けるために通っている
わけではない。

全力を出し切っても敵わない相手がゴロ
ゴロいることを人生の早い段階で知って
おくことは大切なことだ。

「ああ、自分はこの分野に手を出したら
エライことになるな」と知っておく。

そうすれば20代で社会人になってから、
周囲に先んじて自分の長所に集中すること
ができる。

この差は非常に大きいだろう。

ほとんどの10代はこれに気づかずに、
努力すれば報われると信じている。

人の何倍も努力して苦手を克服したこと
こそが自分の長所だと信じている。

現実はどうだろう。

人の何倍も努力して苦手を克服したことは
長所ではなくむしろ短所だ。

学生時代の5段階評価の3というのは、
社会に出てから0点という意味だ。

「努力は必ず報われる」を、座右の銘に
してはならない。

 

以上。

 

本田氏のこの本を読んだ時には、心当たり
があって、耳が痛い話だ。目眩がしてしま
った。

この辺の生きた知恵というのを、どうして、
人生の早い時期に、知り得なかったのだろ
うと、地団駄をふんで悔しがっている。

ところで、北野武は自分の才能についてこう
語っている。

 俺ひとりを作るために
何万人死んだと思ってんだ

 俺も綾小路も売れた。その陰に何人の落伍者が
いたことか。10人や20人じゃない。何百人とか
何千人の中の、たった2人だ。

 綾小路が売れて嬉しかった気持ちのなかには、
お互いほんとうに運が良かったなあという気持ち
もあった。売れない芸人は、ほんとに辛い。人間
性まで、否定されるような気分になる。地獄のよ
うな戦場で、2人だけ生き残った兵隊の連帯感と
でも言えばわかってもらえるだろうか。

 「東京の芸能界で、ビートたけしをひとり作る
ために、何万入部死んだと思ってんだ」若い衆に
は、よくそう言う。

 浅草に帰れば、昔の先輩に「お前さえいなかっ
たら」と言われる。

 「お前みてえなのが出てきたから、こっちはす
っからかんになっちまったよ」

 「たけしが出てきたときは、俺やめようと思っ
たもん」そんなことを、いまだに言われながら酒を
飲んでいる。

 そういうことを言ってくれる人は、まだ現役で
芸人を続けているわけだけれど、実際にこの世界
を抜けていった人もかなりいる。

 弱音を吐いてしまえば、ずいぶん悪いことをし
たなあと思う。足の引っ張り合いみたいな汚いこ
とをしたつもりはない。あれは食い物における殺
生みたいなものだった。豚や牛を殺して、俺たち
は生きているわけだ。

 漫才で売れるか脱落するかなんて、せいぜい何
千分の一の確率だが、生命はその最初から、はる
かに厳しい殺し合いを生き抜いている。

 最近の研究では、精子にもそれぞれ違う役割が
あることがわかっているらしい。

 まず「エッグゲッター」という精子がいる。こ
れは文字通り、卵子をゲットする、つまり受精す
るのが役目の精子だ。

 そのエッグゲッターに襲いかかって殺すのが、
キラー精子。自然界は必ずしも一夫一婦制じゃな
いから、雌の子宮には他の雄の精子が入っている
可能性もある。キラー精子は他の雄の精子を殺し
て、自分たちのエッグゲッターを有利にするわけ
だ。さらには、敵のキラー精子から、エッグゲッ
ターをガードする役割の精子もいる。

 生命は精子の段階から、敵と味方に分かれて、
猛烈に争いながら、卵子を目指す。卵子にたどり
ついて生き延びるのは、そういう何億個もの精子
のなかのたった一匹でしかない。

 生きることは、殺すことなのだ。

 芸人だって、同じことだ。しがない芸人として
は、他人のことを考えて、受けないネタをやるな
んてできるわけがない。俺たちの漫才がウケ過ぎ
て、先輩が霞んでしまおうがどうなろうが、そん
なことを斟酌する余裕はなかった。

 喰っていくには、自分の漫才で勝負するしかな
いのだ。

 それでも自分だけが出世していったとき、後ろ
めたさみたいな気持ちをちっとも感じなかったと
言えば嘘になる。

 人間はそんなに強くできていない。

 寄席には符丁があって、いちばん最後に出る人
を「トリ」という。その前に出る芸人は「バラシ」
といって、漫才か、手品のような色物と決まって
いた。

 トリの師匠の噺に集中できるように、今までさ
んざん笑っていたお客を、いったん平たくする、
つまり落ち着かせることを、符丁で「客をバラす」
といった。

 「お前たちはバラシなのに、客を余計かき混ぜ
てどうするんだ」

 よく師匠たちに怒られたものだ。

 自分の前の芸人が、あまりにもウケでいたら、
後に出る人はやり難いに決まっている。

 けれど、いくら怒られたって、こればかりは仕
方がない。そのうちトリ前のバラシを外されて、
俺たちは4番目くらいに出されるようになった。
間をあければ安心だと思ったんだろうけれど、そ
うはいかなかった。

 俺たちの漫才を見終わると、客が席を立ってし
まうのだ。ツービートの漫才が目当てのお客があ
まりにも増えて、トリの師匠が出る頃には空席だ
らけになっていた。

 ショーの前座をやったときも、同じことが起き
た。

 『内山田洋とクールファイブ』のショーの前座
を、俺たちは半年契約でやることになった。最初
の頃は何も問題はなかったのだけれど、そのうち
ツービートの人気が爆発してしまう。

 客席は満員になるのだが、前座のツービートの
漫才が終わったら、メインのクールファイブの歌
を聴かずに、お客がどんどん帰ってしまうことに
なった。

 だけど、内山田さんは偉かった。俺にこう頼ん
だのだ。

 「タケちゃん。悪いけど、順番を変えてくれ」

 自分たちが、先に歌うと言うのだ。それじゃ、
クールファイブが俺たちの前座ってことになって
しまう。

「だって、これはクールファイブのショーじゃな
いの?」

 俺がそう言ったら、内山田さんはもう笑ってい
た。

「いいよもう、お前らのショーで」

 この人、すごい人だなあと思った。

以上。

 

才能を持つのも、大変な人生を強いられることに
なり、そう簡単に羨望するものではないと、教え
られる。

それはそうとして、結局、大方の人の人生は、褒め
殺しの人生を歩むことになるのかもしれない。

話しは、北野武についてだが、彼の「たけしくん、
ハイ!」という本を読んで、ショックを感じた。

彼のあまりにも、貧しい幼少期に。

皮肉なことに、彼の不幸の全てが、大人になってから
の栄光につながったようだ。

若干、わたしの父親の人生とダブるよう気がしてなら
ない。

彼が、どんなに我が儘な生き方をしても、咎めようも
ないほど、通常の人間からしては、筆舌しがたい不幸
を前提しているようだ。

 


睡眠不足

2013-09-22 22:18:54 | 健康

今日は、バイクで遠出をする予定だった。
ところが、夜中の3時30分頃、目が覚めて
それ以来、寝つけない。

睡眠剤の「ぐっすりん」を飲んだのに、どう
して? である。


想定外の睡眠不足、午後から一人、バイク
で病院へ出かける予定だったが、体調的に
自信がなく、車検で借りてきた代車で、出
かけた。


車でも遠出できそうにないので、予定変更、
病院にいく途中、カフェに寄ることにした。

最近、本で紹介されていた店で、コーヒー
が美味しいなんてあったからだ。

 

グーグルや地図で確認したが、よく通って
いる道でもあるので、大方どのあたりと、
検討はついている。


件のカフェ、すぐ見つかったが、車が一杯して
往生していたら、店の人が一杯ですと、告げに
きた。

せっかく来たが、出直すしかない。
そこで、予定変更して、とあるホテルのラウン
ジで、コーヒーを飲むことにした。

 

このホテルのコーヒーは、セルフサービで飲ん
でいるので、味の方は、残念な味である。

 

天井は低めで、受付カウンターも小さく、リゾ
ートホテルにしては、小振りである。しかし、
建物の雰囲気と漆喰の壁が、粋な雰囲気で、
気にいっている。

 

いつもは、貸し切り状態で使っていたが、観光
客で一杯である。


やっとこさ、奥の方にテーブルがひとつ、あい
ているのを見つけた。

陽差しが避けられて、いい席だ。わたしとして
は。

外を見ると、林の中にいるような気分になり、
ほっとする。若干、風も吹いていて、好まし
い気分になって、いい時間を過ごすことがで
きた。

 

PHSのカメラなので、いま一つ写りが、ばっとしない。
風で、木々が気持ちよく揺れているのが、写らない。
残念だ。

その後、病院へ行き、父親のリハビリをして
過ごす。

途中、ソファでひっくり返って、体力回復に
つとめたが、なかなか回復しない。

 

父親のリハビリを終え、病院の駐車場に出る
と昨日まで、雨が降ったわりには、天気は回
復してまずまずの空模様だ。

睡眠不足で、もったいないことをしてしまっ
た。

と、思いながら、突然、気付くことがあった。

 

それは、昨晩、9時から、テレビに夢中にな
ったことを。これだ。これが、夜中に目が覚
めて、寝れなくなった理由だ。

 

最近、夜から興奮すると、睡眠が浅くなるように
なった。

 

昨夜、見た番組は、

神の数式
第1回 この世は何からできているのか
~天才たちの100年の苦闘~

この番組に夢中になってしまった。

ドラマや試合でもないので、大丈夫と思ったのだ
が、残念ながら、やはり、神経は興奮したようだ。

 

今夜は、第二回だが、諦めるしかない。女子サッ
カーもやっているが、これも残念だ。

 

50代中半までは、夜中の12時まで、DTMのアレン
ジをしていたのが、信じられない。

 

最近、65歳以上は高齢者に入るのかと、定義に疑問
を投げかける記事が新聞にあった。わたしも高齢者
という言葉に違和感を感ずるが、しかし、残業がで
きなくなっているというのは、現役ではなくなって
いることかもしれない。

 

「大人でもない子どもでもない」という言葉があっ
たが、「高齢者でもない、さりとて現役でもない」
中途半ば存在かもしれない。

 

体力は落ちている。バイクで出掛ける日の前日の
晩は、テレビを見ず、楽器の練習もせず、となる
が、はてさて、何をしたらいいのだろう。

養命酒のコマーシャルで、64歳は、体調の変化が
表れると言っていた。10月になると、64歳になる
体調の変化って、どういうことが起こるのだろう
か。

寝たきりの父親がいるので、90歳までは元気でな
いといけないのだが。

 

 


A.S.A.P. 翳りゆく部屋

2013-09-17 21:53:49 | 音楽

コンピュータの外付けのフォルダーを開いて
いたら、懐かしい曲がでてきた。

もともとは、ユーミンの曲だ。わたしが最初の
職場にいた頃、帰宅途中に、たぶんラジオから
流れていたと思う。ユーミンの陰りゆく部屋を
聴いて、気に入ってしまった。20代後半の
頃だ。

その後、この曲を不当な左遷人事を食らった
かの南の島で、聴くことになった。最初に聴
いてから、10年を経ることになった。

おそらく、この日も夜遅くまで、残業し夕食を
すませた後、何かしら、ブラブラしたかったの
だろう。

暗く狭い路地を歩き回りながら、たまたま見つ
かった二階にある喫茶店に、入っていった。

店に入ると、全体に暗めの照明で、入り口にダ
ーツの道具がセットされていた。そこを通り過
ぎ、奥のカウンターに一人座り、コーヒーかな
んかを飲んでぼんやりしていると、突然、かっ
こいい前奏が流れてきた。

バスドラムは、皮を叩く音も聴かせ、地の底で
響くかのようだ。
そして、やはり地を這うようなベースの音等々。

それは、A.S.A.P.  翳りゆく部屋であった。


ユーミンの声が低くて、わたしなどはオリジナ
ルキィでは歌いにくいが、このA.S.A.P.のキィ
は、心地よく響く。

そして、黒人特有の歌いまわしのかっこいいこ
と。

その後、彼女たちのCDを買ったはずだ。

今日は、懐かしい曲に出会った。街灯も無い入り
組んだ暗く狭く路地を通ったのは、今でも覚えて
いるが、もう一度あの店にゆける自信はない。
もっとも、あの店がまだあるのか厳しいと思う。

もうあれから、20年以上経ってしまったのだから。

それにしても、今日は、懐かしい曲に、出会った。

あの暗いカウンターで、よそ者のわたしは、一人
ぼんやりと、座っていたのを思いだした。

遠い昔の話だ。