人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

瑜伽山蓮台寺不動明王

2007-01-03 07:01:21 | Weblog
 今日は瑜伽山蓮台寺の巨大な厄よけ不動について紹介しようと思う。
一般公開されてまだ日の浅い昨年末に家から歩いて蓮台寺まで行った。
目的は、この不動明王を拝顔するためだ。

 不動明王について書く前に瑜伽山蓮台寺について簡単に紹介しておこう。
ここは神仏混淆(こんこう)の社寺である。神社の方は瑜伽大権現である。
 瀬戸内海を渡ると香川県の琴平には金比羅大権現がある。江戸時代には
両参りと言って、両方の権現様にお参拝してこそ御利益があるとされていた。
従って、日本全国から訪れた参拝者はまず、ここ瑜伽大権現に参拝して
金比羅に向かった。瑜伽大権現周辺や麓の町には宿屋があって宿泊客で
賑わった。
 また、瑜伽山蓮台寺は岡山藩池田公ゆかりのお寺で壮大な建築物や由緒
ある書画が残されている。参道に並んだ玉垣には日本全国の信者の名前が
刻まれている。中には江戸本所の大商人であった塩原太助などの名前も
残っている。

 金比羅大権現は、今も海の神様として信仰が篤く、日本全国からの観光
客や参詣者が多い。一方の瑜伽大権現の御利益については、あまり聞いた
ことがない。
 そんな事もあってか瑜伽山の方は社寺ともに明治以降、急速に寂れて
しまったようだ。かつての参道だったという道の両脇には崩れた家などが
あって見る影もない。
 参詣者の数も圧倒的に金比羅大権現の方が多い。瑜伽山の方は平日など
閑散としている。地の利が良くないこともその理由の一つかも知れない。
ここは海から遠く離れているし、児島市街地からも離れている。自家用車
かバスでないと行けないような山間地にある。
 実は瀬戸大橋が開通するまでは瑜伽山蓮台寺も瑜伽大権現も顧みるような
人はいなかった。しかし、伝統ある歴史的遺物をこのままにしておくのは
もったいないと社寺の関係者が再建を図り今日に至っている。

 そもそも神社にせよ仏閣にせよ、信仰の対象であると同時に物見遊山の
対象でもあった。特に江戸時代以前には娯楽も少なく、人の集まる場所が
観光地であった。
 しかし、昨今のように娯楽の対象が広がるに連れ、また、輸送手段の
進歩が観光の対象範囲を広げ、極端な話、日本全国が観光地になって
しまった。それだけ人の集まりも分散してしまった。
 また、同じところに二度、三度と訪れる人は少ない。そんなわけで
どこの観光地も人集めに躍起となっている。倉敷美観地区など日本有数の
観光地でありながら観光客が少なくなったと言って夜間照明までするように
なった。その効果はどうなのだろう。

 さて、辺鄙(へんぴ)な山の中にある社寺に観光客の目は向くのだろうか。
寂れてしまった参道(町並み)と、御利益等という魅力のさしてないところ
へ観光客を呼ぶためには、そのような仕掛けが必要である。
 そこで考え出されたのが「厄よけ不動」なのではないだろうか。光背で
ある火焔を入れた高さ(総高さ)が7メートル59センチ、不動明王本体
の背丈が3メートル66センチである。実に巨大な木像である。
 身の丈の366センチという数字は一年365日+1日と言う意味で
一年と更に翌年までも私達をお守り下さると言う意味が込められている
ようだ。
 作者は京都の大仏師荒木啓運師である。不動明王は岩の上に座し、真っ赤
な火焔光背を背にした黒い裸身の像は見る者を圧倒する。ぜひ一度は御参拝
され御利益を頂いてはどうだろうか。

 この不動明王の建立をもって瑜伽山蓮台寺がかつてのような賑わいを
取り戻す事を期待したい。ちなみに、ここまでの交通機関を紹介しておこう。
JR利用の方は瀬戸大橋線児島駅で下車し、下電バス王子ヶ岳線の由加山
行きに乗っていただきたい。約30分ほどの道のりである。また、近くには
山の宿、由加温泉「ホテル山桃花」があるのでお勧めしたい。
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明けましておめでとう御座います

2007-01-01 07:25:24 | Weblog
 新年明けましておめでとう御座います。皆さん如何お過ごしでしょうか。
穏やかな瀬戸内海に満ちあふれた太陽の光を見ていますと、平和である
ことのありがたさをつくづく感じています。同じ太陽の光を見ても戦火の
下ではとてもこのようには見えないことでしょう。

 人は見方や考え方をほんの少し軌道修正するだけで、自分自身も世の中
も大きく変わります。また、四角いものでも斜めから見るのと上から見る
のとでは、まるで形が変わって見えます。
 何事もこうでなければならないと言うのではなく、もっと物事を柔軟に
考えてみたらどうでしょうか。どっぷりと物質文明の中に浸かっていますと
物事の真の姿がなかなか見えてこないものです。
 私達は生まれてきたときも裸なら死んでいくときも裸です。何でこれ
ほどまでにお金や物に執着しなければならないのでしょうか。野や山に
出かけてみると、自分の周辺では決して味わうことの出来ない素晴らしい
景色に出会うことが出来ます。
 また、人と人との心の触れ合いでは、お金では買うことの出来ない友情
という温かさを感じることが出来るはずです。自分の生き方や考え方を
変えることから始まることです。

 心豊かな明るい未来が展望できるような社会を作る。それは私達自身の
心構え一つで出来ることなのです。私達に不可能と言うことはありません。
また、道は決して一つではないと言うことも忘れないで下さい。
 「森に木を植えた男」「ハチドリのはなし」「千の風になって」など、
心温まる、勇気の貰えるような話はたくさんあります。どうか今年一年、
何か一つでも社会のためになることをしながら心豊かに過ごしませんか。
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