合計特殊出生率が1.25パーセントと深刻さを増す中で、今度は65歳以上
の高齢者の全人口に占める割合が20パーセントを超えたと報じられていた。
いよいよ少子高齢化の問題は深刻さを増してきたようだ。その上、自殺者
が毎年三万人を越えているという。その内、経済的理由や生活苦のために
自殺している人が四分の一もいると言うから驚きだ。豊かだと言われて
いるこの国で、いったいどんな変化が起きているのだろうか。
結婚したくない人、結婚したくても出来ない人、理由は色々あるのだろ
うが、結婚しても夢や希望が持てないと言うのも現実の姿ではないだろうか。
結婚しても苦労するくらいなら独身のままの方が気楽で良いと言う人も
多いだろう。
結婚しても共稼ぎでは子育てが出来ないとか、妻が出産のため会社を
辞めたら食べていけないとか、若い世代には若い世代なりの悩みが多い。
昔の夫婦のように「愛する人とならば手鍋を下げも苦楽を共にしたい」と
いう考えは、今の若者には通用しない。そこそこ生活を楽しみながら子育て
をしたい、子育てのために自分たちの生活を犠牲にしたくないと言うのが
若い人達のライフスタイルではないだろうか。
今や少子化に歯止めをかけるためであれば「少しくらい我慢をしなさい」
と言う説得は通用しない。もし、戦前のように生めよ増やせよと言うので
あれば、それなりの施策が必要であろう。しかし、政府は口では「何とか
しなければ」と言いながら、現実には何もやっていないに等しい。
頼るべき政府は、社会保障の改悪こそしても、若い世代の夢が持てる
ような政策は何もない。果たしてこれで豊かな国だと言えるのだろうか。
また、金持ちも貧乏人も、いずれはこれからの世代に何らかの形でお世話
にならなければならない。よもや世話など要らぬと言い切れる人はいない
だろう。こればかりは、お金を積めさえすれば済むというものではない。
気持ちよく看護して貰おうと思えば、心の通い合った社会を作ることが
必要だ。
お金持を持っている人は税の支払いを通じて社会に還元する。これが
仏教で言う布施の心だ。その金は必ず何らかの形で戻ってくるはずである。
若い世代が子育てで悩んでいるときには優しく援助の手をさしのべる。
お金で解決できることであればお金を提供することで社会を豊かにし、
若い世代が安心して子育てが出来るようにするのが勤めではないだろうか。
幾ら持っていても墓場まで持っていけるものではない。政府は均等に等と
言わずに持っている人達から税を徴収すべきではないだろうか。
年金、医療、子育て支援、就職支援、労働条件の向上等、緊急に手を
打つべき事は山ほどある。夫婦二人が残業続きではきちんとした子育てを
せよという方が無理な話である。
しかし、残業をしなければ食べていけないと言うのも今の社会である。
その限りに於いては労働組合ももっとしっかりしなければならない。連合
もラジオで組織作りを呼びかけるだけでなく、直接現場に出向いて実状を
調査し、組織作りや労働相談に乗ることが必要だ。
ともあれ、格差社会を助長してきたのは政府と自民党だ。阿部官房長官
は落ちこぼれ組にも再チャレンジのチャンスを作り、ダイナミックな躍動
感ある社会を作ることが格差社会の是正に繋がると言っている。しかし、
落ちこぼれにもなれなかった若者が多い現代社会に於いて、そんな絵空事
が通用するとでも思っているのだろうか。
また今必要なのは、そんなダイナミックな社会ではなく、安心して暮ら
していける、そして、子育てが出来る安定した社会なのではないだろうか。
の高齢者の全人口に占める割合が20パーセントを超えたと報じられていた。
いよいよ少子高齢化の問題は深刻さを増してきたようだ。その上、自殺者
が毎年三万人を越えているという。その内、経済的理由や生活苦のために
自殺している人が四分の一もいると言うから驚きだ。豊かだと言われて
いるこの国で、いったいどんな変化が起きているのだろうか。
結婚したくない人、結婚したくても出来ない人、理由は色々あるのだろ
うが、結婚しても夢や希望が持てないと言うのも現実の姿ではないだろうか。
結婚しても苦労するくらいなら独身のままの方が気楽で良いと言う人も
多いだろう。
結婚しても共稼ぎでは子育てが出来ないとか、妻が出産のため会社を
辞めたら食べていけないとか、若い世代には若い世代なりの悩みが多い。
昔の夫婦のように「愛する人とならば手鍋を下げも苦楽を共にしたい」と
いう考えは、今の若者には通用しない。そこそこ生活を楽しみながら子育て
をしたい、子育てのために自分たちの生活を犠牲にしたくないと言うのが
若い人達のライフスタイルではないだろうか。
今や少子化に歯止めをかけるためであれば「少しくらい我慢をしなさい」
と言う説得は通用しない。もし、戦前のように生めよ増やせよと言うので
あれば、それなりの施策が必要であろう。しかし、政府は口では「何とか
しなければ」と言いながら、現実には何もやっていないに等しい。
頼るべき政府は、社会保障の改悪こそしても、若い世代の夢が持てる
ような政策は何もない。果たしてこれで豊かな国だと言えるのだろうか。
また、金持ちも貧乏人も、いずれはこれからの世代に何らかの形でお世話
にならなければならない。よもや世話など要らぬと言い切れる人はいない
だろう。こればかりは、お金を積めさえすれば済むというものではない。
気持ちよく看護して貰おうと思えば、心の通い合った社会を作ることが
必要だ。
お金持を持っている人は税の支払いを通じて社会に還元する。これが
仏教で言う布施の心だ。その金は必ず何らかの形で戻ってくるはずである。
若い世代が子育てで悩んでいるときには優しく援助の手をさしのべる。
お金で解決できることであればお金を提供することで社会を豊かにし、
若い世代が安心して子育てが出来るようにするのが勤めではないだろうか。
幾ら持っていても墓場まで持っていけるものではない。政府は均等に等と
言わずに持っている人達から税を徴収すべきではないだろうか。
年金、医療、子育て支援、就職支援、労働条件の向上等、緊急に手を
打つべき事は山ほどある。夫婦二人が残業続きではきちんとした子育てを
せよという方が無理な話である。
しかし、残業をしなければ食べていけないと言うのも今の社会である。
その限りに於いては労働組合ももっとしっかりしなければならない。連合
もラジオで組織作りを呼びかけるだけでなく、直接現場に出向いて実状を
調査し、組織作りや労働相談に乗ることが必要だ。
ともあれ、格差社会を助長してきたのは政府と自民党だ。阿部官房長官
は落ちこぼれ組にも再チャレンジのチャンスを作り、ダイナミックな躍動
感ある社会を作ることが格差社会の是正に繋がると言っている。しかし、
落ちこぼれにもなれなかった若者が多い現代社会に於いて、そんな絵空事
が通用するとでも思っているのだろうか。
また今必要なのは、そんなダイナミックな社会ではなく、安心して暮ら
していける、そして、子育てが出来る安定した社会なのではないだろうか。