東日本大震災から5年が過ぎようとしている。あの日、あの時、私は偶然にもカーラジオの
スイッチを入れ大地震発生後の津波警報を知った。実は同じような体験が以前にもあって
人間には何となく予知能力のようなものがあるのかなと思っている。
身も心も凍るような情景が、テレビ画面にリアルタイムに映し出され、まるで実況中継を見ている
ような感じだった。そしてテレビ画面から目を離すことが出来なかった。過去の伝承として数多くの
書き物は残されているが、映像として目の当たりにすることが出来たのは、人類史上初めての体験
だったのではないだろうか。
画面に釘付けになりながら、私の手は興奮と恐怖で小刻みに震えていたのを今でも記憶している。
黒い濁流が仙台平野をなめるように進んでいく。そして、その濁流に呑み込まれていく自家用車
濁流を横目にするように走って行く車は気が付いているのだろうか、いないのだろうか。迫り来る
濁流の直前に走り去っていった車、あの乗用車はいったいどうなったのだろう。
広い平野に整然と立ち並んだビニルハウスが次々に飲み込まれていく。他の画面では膨張した海水が
易々と海岸の堤防を乗り越えて内陸部に入っていく。その先の建物には、人の姿が見える。海水が街に
浸入し、車も家も巻き込んで流れていく。みるみる内に、どの道路も路地も進入した水で満たされ
何もかもが易々と押し流されていく。
私は以前から津波に関心があって、色んなことを知っていたつもりだったが、こうして水の威力を
目の当たりにし、猛威を感じた瞬間であった。水の力はすごい。本当にすごい。そして、改めて
感じたのは、水をあまりにも粗末にしてきたことへの報いのようなものであった。
先進国に住む私たちは水を無造作に使い、汚染したものを川に流し、湖を汚し、更には海を汚してきた。
それは異常気象という形で現れ始めている気候変動にも通じるものがある。限られた資源を無造作に使い
それらをゴミとして放棄する。そんな生活を何年間にもわたって続けてきた。
被災地の方々には誠に気の毒だが、何かしら人類に対する警鐘のように感じられてならなかった。
心の中では、いつか我が身にもこんな日が来るのではないか、そんな気がしてならない。老いてなお
このような報いを受けるとしたら、逃れようにも逃れられないのではないだろうか。
その時は、心静かに天命を待つしかないように思う。良いことがあれば、その分、悪いこともある。
全てのことは、プラス、マイナス、ゼロである。それが人の世の定めというものであろう。
3.11は、被災地の人だけでなく、日本人全て、いや世界中の人達に対する気付きのチャンス
だったのではないだろうか。そして、その日一日だけで終わらなかったものがあった。それが原発の
事故だった。
人間の作ったもので原発ほど罪深いものはない。無限のエネルギーを手に入れたという反面、制御の
利かない恐ろしい動物を飼っているようなものだ。プラスマイナスで言うとマイナスの方が遙かに
大きいのが原発だ。使った後の処分も難しいし、更に言えば事故は、それ以上に恐ろしい。
福島の原発が冷却水の機能を失ったと聞いたとき、大津波以上に心が凍るのを覚えた。まき散らされた
死の灰が日本全土を覆うのではないかと考えたからだ。これから先、どのようなことが起きるのか予測が
付かなかった。私はひたすらヨウ素を取り込むために昆布をかみ続けていた。底冷えの続く早春のことで
あった。
過ぎ去ってみれば事件前も事件後も被災地以外、何ら変わりのないように思える。しかし、残された
放射能汚染は長く影響を及ぼし続ける。皮肉なことに広島、長崎、第五福竜丸と日本は放射能という
恐ろしいものとの縁が切れない。
そして人類は隠蔽された数々の放射能汚染や原水爆実験による汚染、そしてチェルノブイリ、福島と
汚染され続けている。それらは人間や動植物に少なからず影響を及ぼし続けている。化学物質による
汚染もさることながら、この美しい地球を何処まで汚せば済むのだろうか。
スイッチを入れ大地震発生後の津波警報を知った。実は同じような体験が以前にもあって
人間には何となく予知能力のようなものがあるのかなと思っている。
身も心も凍るような情景が、テレビ画面にリアルタイムに映し出され、まるで実況中継を見ている
ような感じだった。そしてテレビ画面から目を離すことが出来なかった。過去の伝承として数多くの
書き物は残されているが、映像として目の当たりにすることが出来たのは、人類史上初めての体験
だったのではないだろうか。
画面に釘付けになりながら、私の手は興奮と恐怖で小刻みに震えていたのを今でも記憶している。
黒い濁流が仙台平野をなめるように進んでいく。そして、その濁流に呑み込まれていく自家用車
濁流を横目にするように走って行く車は気が付いているのだろうか、いないのだろうか。迫り来る
濁流の直前に走り去っていった車、あの乗用車はいったいどうなったのだろう。
広い平野に整然と立ち並んだビニルハウスが次々に飲み込まれていく。他の画面では膨張した海水が
易々と海岸の堤防を乗り越えて内陸部に入っていく。その先の建物には、人の姿が見える。海水が街に
浸入し、車も家も巻き込んで流れていく。みるみる内に、どの道路も路地も進入した水で満たされ
何もかもが易々と押し流されていく。
私は以前から津波に関心があって、色んなことを知っていたつもりだったが、こうして水の威力を
目の当たりにし、猛威を感じた瞬間であった。水の力はすごい。本当にすごい。そして、改めて
感じたのは、水をあまりにも粗末にしてきたことへの報いのようなものであった。
先進国に住む私たちは水を無造作に使い、汚染したものを川に流し、湖を汚し、更には海を汚してきた。
それは異常気象という形で現れ始めている気候変動にも通じるものがある。限られた資源を無造作に使い
それらをゴミとして放棄する。そんな生活を何年間にもわたって続けてきた。
被災地の方々には誠に気の毒だが、何かしら人類に対する警鐘のように感じられてならなかった。
心の中では、いつか我が身にもこんな日が来るのではないか、そんな気がしてならない。老いてなお
このような報いを受けるとしたら、逃れようにも逃れられないのではないだろうか。
その時は、心静かに天命を待つしかないように思う。良いことがあれば、その分、悪いこともある。
全てのことは、プラス、マイナス、ゼロである。それが人の世の定めというものであろう。
3.11は、被災地の人だけでなく、日本人全て、いや世界中の人達に対する気付きのチャンス
だったのではないだろうか。そして、その日一日だけで終わらなかったものがあった。それが原発の
事故だった。
人間の作ったもので原発ほど罪深いものはない。無限のエネルギーを手に入れたという反面、制御の
利かない恐ろしい動物を飼っているようなものだ。プラスマイナスで言うとマイナスの方が遙かに
大きいのが原発だ。使った後の処分も難しいし、更に言えば事故は、それ以上に恐ろしい。
福島の原発が冷却水の機能を失ったと聞いたとき、大津波以上に心が凍るのを覚えた。まき散らされた
死の灰が日本全土を覆うのではないかと考えたからだ。これから先、どのようなことが起きるのか予測が
付かなかった。私はひたすらヨウ素を取り込むために昆布をかみ続けていた。底冷えの続く早春のことで
あった。
過ぎ去ってみれば事件前も事件後も被災地以外、何ら変わりのないように思える。しかし、残された
放射能汚染は長く影響を及ぼし続ける。皮肉なことに広島、長崎、第五福竜丸と日本は放射能という
恐ろしいものとの縁が切れない。
そして人類は隠蔽された数々の放射能汚染や原水爆実験による汚染、そしてチェルノブイリ、福島と
汚染され続けている。それらは人間や動植物に少なからず影響を及ぼし続けている。化学物質による
汚染もさることながら、この美しい地球を何処まで汚せば済むのだろうか。