人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

戦中生まれの反戦論者

2016-03-01 06:13:53 | Weblog
 テレビ画面に映し出される映像を見ていると、何かしら近未来の地球をテーマにした
SF映画の一シーンようにも見えてくる。これらは特撮でもなければ、CGでもない。
ありのままの今のシリアの街の姿だ。

 かつてのシリアは美しい街だったと言われている。それが、今は廃墟と化している。
実は、70数年前の日本も主要な都市のほとんどは、こんな状態だった。シリアは
レンガや石の建物。日本は紙と木と土壁の建物。家を支えている柱が燃えてしまえば
残るのは焼けた瓦と土壁だけだった。

 岡山市も大空襲で焼け野が原になった。隣県の福山市も焼け野が原になった。そして
東京も大阪も主要な都市はほとんど破壊された。その上、広島や長崎は一瞬のうちに
何もかもが消えてしまった。

 こんな悲惨な体験をしたのは、太平洋戦争においては日本だけであった。だからこそ
戦後の日本は戦争を放棄し、憲法九条にそのことを認めた(したためた)。右も左もなく
みんなの心の中に、もう戦争はいやだという強い思いがあったからだろう。

 かつて、時の総理大臣だった吉田茂はアメリカに強いられた再軍備化に頑なに抵抗した。
疲弊した国民に再軍備による疲弊を強いることを恐れたからだ。こうして再軍備をしなかった
日本は未曾有の経済発展を遂げた。

 今、日本は「戦争への道」を、ひた走りに走っている。少なくとも私にはそう見える。
それにはアメリカからの強い要求と、様々な事情があるのだろうが、戦争に突入して
しまったら全ては終わりである。また、アメリカが守ってくれるなどと幻想を抱いては
いけない。アメリカは自国の利益のためにだけ行動している国である。

 私は先に書いたブログで戦後の悲惨な状況について、さりげなく書いた。それらは私の
幼い頃の記憶であって、当時の多くの大人たちは、様々な悲しい思いを抱きながら厳しい
戦後を過ごしたのだと思っている。私の両親も若くして、人生に大きな方向転換を強いられた。
また、家内の両親も私の両親とは、形こそ異なるものの戦後の厳しい人生を歩んできた。

 何があろうとも戦争を起こすようなことは、決してしてはいけない。ことを進めている
政治家や、それを後押ししている人には、それぞれの主張があって、そうしているので
あろうが、私たち悲惨な戦後経験をしているものには、その思いが強い。

 しかし、戦後生まれの、それも日本が戦後復興で一番勢いのあった高度成長期に育った
人たちには、さして実感はないのだろう。そういう人たちが、今の政治の実権を握り
憲法を曲解し、あらぬことを考えている。

 仮に自分たちの将来のことを考えた上でのことだと言うのであれば、戦前、戦中、戦後の
ことを、もう一度よく勉強し直して欲しい。その上で議論をしたらどうであろうか。軍閥が
台頭し、それに押し切られるようにして国は戦争への道を走り続けた。その先には悲惨な
結果しか待っていなかった。

 戦後教育の中で最も欠けているのは、近代史の勉強である。古事記も日本書紀もある意味
大事かも知れないが、近代史こそ私たちが生きて行く上での、多くの教訓を残している。
ドイツでは、ヒットラー時代のことを特別教科として学んでいるらしい。

 先の太平洋戦争については、様々な評価があるだろう。しかし、多くの人は、近代史を
ほとんど勉強せずに議論している。勉強せずして良い悪いを論ずることは出来ない。実態を
知らずして太平洋戦争を論ずることは出来ない。ましてや先の高市総務大臣の発言など
論外である。

 安倍内閣は、ますます右傾化し、自民党の中に、それを止めようとするものがいない。
NHKという中立を守るべき立場にあるものが籾井氏のような人物を会長の座に据える
など、見え透いた言論統制を行っている。言論はあくまで自由であるべきである。
そうでなくてもスポンサーによって左右されやすいマスコミ業界である。

 言論抑制や言論統制の先にあるものは、間違いなく先の太平洋戦争の悲惨さを再び
味わうことになるのではなかろうか。参院選を前に投票権を得た若者には、是非とも
伝えておきたいことの一つである。
コメント
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