このブログを書いている間に、またまた大きな地震が発生した。先の大地震の余震なのだろうか。
被災状況が懸念される。まだまだ地殻変動は落ち着いてはいないようだし、今後の動向が懸念させる。
千年近くも前に、この地方一帯で今回の大地震と同じような地震が発生したことがあるようだ。
最近の調査で判明したことである。その対策を急がなければと説明会などを開こうと作業を進めていた
矢先の事であったらしい。歴史は繰り返すと言うことであろうか。
また、原発事故に関しては一進一退の状況が続いているようだ。どうやら頑丈に作られていると
思われていた格納容器のあちこちに損傷が見られ、そこから冷却水が漏れだし、冷却水とともに
放射性物質も洩れだしているようだ。冷却を続けなければ暴走しかねない、冷却のため通水を続ければ
核物質による汚染水が漏れだしてくる。ジレンマが続いている。
さて、これらに関する報道も様々である。大丈夫だという報道がある反面、本当に大丈夫なのかと
言った報道もあり、私達はどちらを信じたら良いのか分からない。まあ、中ほどを捉えておけば良い
のだろうか。特に懸念されるのは一部のニュースショー番組での軽口の批判や煽り立てるような問題
の取り上げ方である。
ソ連のチェルノブイリの事故の時は報道管制が敷かれていたので正確な事は分からなかった。日本
での事故に関しては全くのオープンである。それだけに事故対応を一つ誤ると国際的な批判を受け
かねない。
チェルノブイリがソ連邦という国家体制の崩壊に繋がったことを考えれば、今回の原発事故は実に
やっかいな問題である。これを機会に世界中から核に関する全てのことを凍結すべきではないだろうか。
いたずらに危険きわまりないものを持っておく必要はない。
いま、私は50年前の先進各国が競うようにして核実験をしていたときのことを思いだしている。
あの頃、私は高校在学中であった。高校には原子力研究班なるものがあって、私はそのクラブ活動に
加わっていた。
忘れもしないのは核実験が行われるたびに数日を経て、日本中に死の灰と呼ばれた物質がたくさん
降り注いでいたことである。その頃、汚染物質による危険性の衆知も、ましてや、どれくらい取り
込んだら危険かというような規制もなかった。ある意味、放射性物質の降下は野放しの状態であった。
ただ被爆国として核実験の危険性を訴えての抗議行動は繰り返し行われていた。
ソ連は自国内の広大な領土の中で、アメリカはビキニ環礁で、フランスはムルロア環礁でと言った
自国とは遠く離れた美しい珊瑚礁の南太平洋で行っていた。近隣の島の住民は強制疎開をさせられて
いたが、今も被爆による後遺症は残っている。当然、大気だけでなく海も著しく汚染されていたはず
である。
先に旅行でタヒチを訪れた際、フランス軍に徴用された島の住民の中に被爆による後遺症のことが
語られていた。私達は繰り返し核の脅威にさらされ、また、知らぬ間に様々な形での放射能汚染を
経験してきた。あれから、かれこれ50年、その影響はどのようになったのであろうか。
私達に体内被曝は残っているのだろうか。その後を追跡調査したという話を聞かないし、そのような
ニュースに接したこともない。当然の事ながら、その後に核保有国になった国も大なり小なり自国内で
の核実験を行ってきた。中国、インド、パキスタンなどである。私達は夥しい核を様々な形で保有して
いる。これらを直ちに放棄すべきであろう。
さて、今回の大地震や津波による被災状況はどのように報道されているのだろうか。かつてケネディ
大統領が暗殺された時のようにリアルタイムで報じられたのであろうか。各国から夥しい励ましの
メッセージや援助物資やお金が届いているようだ。これらの反響を見る限り、世界中の人が一様に
ショックを受けたことが良く分かる。この報道は実にセンセーショナルであったに違いない。
日本人より遙かに所得の低い人からも義援金が届いているようだ。ありがたいことである。日本人は
当然のことのようにして尽くしてきたことが、当の日本人は忘れていても過去に支援を受けたことの
ある国の人は覚えていてくれた。私達は、その限りに於いて感謝の心とともに、私達のことを誇りに
思っても良いのではないだろうか。
今回の大事件が引き金となって世界中が一つになれるような意識革命が生ずることを願っている。
私達は一国の被災でも世界中が巻き込まれかねないような小さな天体に住んでいる、核実験による
汚染物質は実験後、瞬く間に地球を覆い尽くした。今回の原発事故も同じである。海、空の境なく
汚染が進んでいる。
しかし、50年前にはその危険性を知らせる基準もなく、ましてや大国を相手にしての抗議すら
無視されるような繰り返しの中で、夥しい数の核実験が行われてきたのである。もう一度、かけがえ
のない、この小さな地球という天体の未来のことを考えてみたい。
この冬、極北ではかつてないほどの巨大オゾンホールが出没したと報じられている。フロンガスに
よるものだ。私達の飽くなき欲望とエネルギーの浪費の果てに生ずるものは何なのか。
被災状況が懸念される。まだまだ地殻変動は落ち着いてはいないようだし、今後の動向が懸念させる。
千年近くも前に、この地方一帯で今回の大地震と同じような地震が発生したことがあるようだ。
最近の調査で判明したことである。その対策を急がなければと説明会などを開こうと作業を進めていた
矢先の事であったらしい。歴史は繰り返すと言うことであろうか。
また、原発事故に関しては一進一退の状況が続いているようだ。どうやら頑丈に作られていると
思われていた格納容器のあちこちに損傷が見られ、そこから冷却水が漏れだし、冷却水とともに
放射性物質も洩れだしているようだ。冷却を続けなければ暴走しかねない、冷却のため通水を続ければ
核物質による汚染水が漏れだしてくる。ジレンマが続いている。
さて、これらに関する報道も様々である。大丈夫だという報道がある反面、本当に大丈夫なのかと
言った報道もあり、私達はどちらを信じたら良いのか分からない。まあ、中ほどを捉えておけば良い
のだろうか。特に懸念されるのは一部のニュースショー番組での軽口の批判や煽り立てるような問題
の取り上げ方である。
ソ連のチェルノブイリの事故の時は報道管制が敷かれていたので正確な事は分からなかった。日本
での事故に関しては全くのオープンである。それだけに事故対応を一つ誤ると国際的な批判を受け
かねない。
チェルノブイリがソ連邦という国家体制の崩壊に繋がったことを考えれば、今回の原発事故は実に
やっかいな問題である。これを機会に世界中から核に関する全てのことを凍結すべきではないだろうか。
いたずらに危険きわまりないものを持っておく必要はない。
いま、私は50年前の先進各国が競うようにして核実験をしていたときのことを思いだしている。
あの頃、私は高校在学中であった。高校には原子力研究班なるものがあって、私はそのクラブ活動に
加わっていた。
忘れもしないのは核実験が行われるたびに数日を経て、日本中に死の灰と呼ばれた物質がたくさん
降り注いでいたことである。その頃、汚染物質による危険性の衆知も、ましてや、どれくらい取り
込んだら危険かというような規制もなかった。ある意味、放射性物質の降下は野放しの状態であった。
ただ被爆国として核実験の危険性を訴えての抗議行動は繰り返し行われていた。
ソ連は自国内の広大な領土の中で、アメリカはビキニ環礁で、フランスはムルロア環礁でと言った
自国とは遠く離れた美しい珊瑚礁の南太平洋で行っていた。近隣の島の住民は強制疎開をさせられて
いたが、今も被爆による後遺症は残っている。当然、大気だけでなく海も著しく汚染されていたはず
である。
先に旅行でタヒチを訪れた際、フランス軍に徴用された島の住民の中に被爆による後遺症のことが
語られていた。私達は繰り返し核の脅威にさらされ、また、知らぬ間に様々な形での放射能汚染を
経験してきた。あれから、かれこれ50年、その影響はどのようになったのであろうか。
私達に体内被曝は残っているのだろうか。その後を追跡調査したという話を聞かないし、そのような
ニュースに接したこともない。当然の事ながら、その後に核保有国になった国も大なり小なり自国内で
の核実験を行ってきた。中国、インド、パキスタンなどである。私達は夥しい核を様々な形で保有して
いる。これらを直ちに放棄すべきであろう。
さて、今回の大地震や津波による被災状況はどのように報道されているのだろうか。かつてケネディ
大統領が暗殺された時のようにリアルタイムで報じられたのであろうか。各国から夥しい励ましの
メッセージや援助物資やお金が届いているようだ。これらの反響を見る限り、世界中の人が一様に
ショックを受けたことが良く分かる。この報道は実にセンセーショナルであったに違いない。
日本人より遙かに所得の低い人からも義援金が届いているようだ。ありがたいことである。日本人は
当然のことのようにして尽くしてきたことが、当の日本人は忘れていても過去に支援を受けたことの
ある国の人は覚えていてくれた。私達は、その限りに於いて感謝の心とともに、私達のことを誇りに
思っても良いのではないだろうか。
今回の大事件が引き金となって世界中が一つになれるような意識革命が生ずることを願っている。
私達は一国の被災でも世界中が巻き込まれかねないような小さな天体に住んでいる、核実験による
汚染物質は実験後、瞬く間に地球を覆い尽くした。今回の原発事故も同じである。海、空の境なく
汚染が進んでいる。
しかし、50年前にはその危険性を知らせる基準もなく、ましてや大国を相手にしての抗議すら
無視されるような繰り返しの中で、夥しい数の核実験が行われてきたのである。もう一度、かけがえ
のない、この小さな地球という天体の未来のことを考えてみたい。
この冬、極北ではかつてないほどの巨大オゾンホールが出没したと報じられている。フロンガスに
よるものだ。私達の飽くなき欲望とエネルギーの浪費の果てに生ずるものは何なのか。