人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

活弁口演終わる

2009-12-14 06:28:08 | Weblog
 12月に入って活弁口演が4回もあった。何かとハプニングの多い
活弁口演ではあるが、何とか無事に終わって良かった。

 私達にとって最大の懸案事項は私の母の容態であった。私の母は
今年の夏以来、入退院を繰り返している。一時、医師からは余命の
短いことを告げられ私達家族もそれなりの覚悟を決めていた。

 ところが入院中、当の本人からのたっての願いだと言うことで
一時は諦めていた手術を受けることになった。そして手術は成功し
退院して自宅養生を続けてきた。

 しかし、11月の末になって再び入院せざるを得なくなった。
日に日に衰弱している母を見ていると、いつお迎えが来ても不思議
ではない状態が続いている。

 丁度、そのような次期に公民館関係で三カ所もの活弁口演の日が
迫ってきた。これらの口演は母の容態が顕著になり始めるより
ずっと前から依頼を受けていたものである。

 また、私達にとっては、より多くの人達に活弁を知って貰える
またとないチャンスでもあった。それだけにぜひ実現させたかった。

 また、公民館という公の場所での口演なので、ぎりぎりになって
お断り出来るような状況ではなかった。12月に入って以来、私達に
とっては落ち着かない薄氷を踏むような日々が続いた。

 そして、やっと先週の土曜日を最後に全ての口演が終了した。活弁
口演と言えば代替の効かない企画であった。私達夫婦しか出来ない
話芸であり、それだけに母の容態だけでなく、私達夫婦のいずれかが
欠けても出来ない事である。

 それだけに新型のインフルエンザにも最大の注意を払ってきた。
外に出かけたら必ず手洗いとうがいは欠かさないようにしてきた。
私達もVIP並の注意を払ってきたわけである。

 今回の活弁口演は岡山市の一の宮公民館を皮切りに始まった。
続いて地元の琴浦公民館、更には岡山市の興除公民館、そして最後が
私の属している健康生きがいづくりアドバイザー協議会の交流会での
発表であった。

 岡山市の二つの公民館は岡山市の光南台公民館でのワークショップ
などが縁となって取り上げていただいたものである。そして、地元の
琴浦公民館では倉敷市内の他の公民館長さんも鑑賞してくださった
ようで、来年に向けての広がりが期待される。

 私達も当然の事ながら新しい作品に取り組むべく準備中である。
私にとっては環境問題への取り組みと活弁という二足の草鞋を履く
ような状態が当分続くことになるのではなかろうか。
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基地問題は他人事ではない

2009-12-14 05:12:06 | Weblog
 私が初めて沖縄を訪れたのは、沖縄が日本に返還される前であった。
沖縄返還要求をする総評議会が企画した船での訪問であった。当然の
事ながら、当時の沖縄はアメリカの支配下にあり、パスポートを持って
の渡航であった。

 その当時、基地近くの街では、基地の中に沖縄があると言ったような
雰囲気であった。いたる所に軍事施設があり、貸し切りバスの窓から
軍事施設方向にカメラを向けていると、どこで監視していたのかMP
(米軍の軍事警察)のジープがバスの傍まで来て撮影を阻止した。

 夜の裏町へは近づかないように注意されていたが、那覇市内の国際
通りから少しだけ裏町へ入ると、そこは英語だらけの酒場が建ち並び、
アメリカ兵達が大騒ぎをしていた。いつ拳銃の音がしても不思議では
ないような殺伐とした雰囲気であった。今の沖縄からは想像も付かない
姿であった。

 当時、沖縄県民の生活は貧しく、屋根の低い藁葺きの家も建ち並んで
いて、女性が頭の上に荷物を載せて歩いていた。当時の沖縄は米軍基地
に多くを依存していた。

 あれから40数年が過ぎたが、今も沖縄は基地の街である。そして
沖縄返還後もベトナム戦争時にはB52など戦略爆撃機がベトナムへ
向けて飛び立った。まさに前線基地であった。

 そして今、普天間基地の移転を巡って政府の方針ははっきりしない
まま推移している。それもこれも、かつての自公民政府が米軍に約束
した事が尾を引いているからだ。

 一部の週刊誌などは面白可笑しくこの問題を論じているようだが
そんな問題ではないだろう。自らの問題としてしっかり捉えるべき
問題ではなかろうか。

 これは沖縄の問題と言うより日本自身の問題である。日本が名実
ともにアメリカから独立しようかどうしようかという瀬戸際の問題
である。政府の中で多少のごたごたがあっても無理はない。

 折しも民主党は小沢さんを団長として中国に大訪問団を派遣している。
一部マスコミなどは意味のない大名行列だと揶揄しているようだが
そんな事はない。大いなる戦略を秘めているはずである。

 また、次世代を担う中国の主要人物だと言われている人の招待を
巡って、天皇の政治利用だと言われているようだが、国賓として迎える
のであれば、それ相応の待遇はあってしかるべきだ。これも長い目で
見れば歴史的に意義のある事だったと評価されるときが来るのでは
なかろうか。

 米軍の沖縄撤去を巡っては米軍内部では着々とグアム集結で動いて
いるようだ。米軍としては当然の事であろう。かつての東西の冷戦時代
は終わった。その時点から米軍は新時代に向けた戦略を考え、計画を
進めてきたに違いない。

 対テロ戦争は、どこに敵がいるか分からない戦いである。当然の事
ながら従来のように共産圏に銃口を向けていただけでは意味がない。
極端に言えば全方位に向けた戦略が必要になってくる。

 また、アメリカ政府は膨大な軍事費に苦しんでいるはずだ。だから
日本には何かと口実を付けて直接的に間接的に軍事費を要求してきたし
今も要求し続けている。

 今回の普天間基地の移設も、実は移転が必要なのではなく、何とか
日本に軍事費を出させたいという思いが見え見えである。

 米軍は極東において巨大な軍事施設二カ所は必要なく、維持費が
かさむばかりである。内実はグアム一局に集中しようとしているはず
である。今更、世界自然遺産にも匹敵するような辺野古の美しい海を
埋め立てる必要はない。

 繰り返し言うようだが私達は新しい政党を選び、新しい時代を選択
した。国民が一丸となってアメリカからの真の独立を考えてみたい。
今は、そのための千載一遇のチャンスである。

 日本の安全保障には米軍の存在が欠かせなかった。それは東西冷戦
時代までの事である。アメリカにとって今は中国が最大の仮想敵国だと
言われている。

 しかし、中国も決して好んで戦争をしようとは思っていないはずで
ある。それどころか中国は日本と同じようにアメリカの債権を大量に
買っている。そんな国と戦争をするはずがない。

 そのような国際情勢の中で、最も近い国である中国と友好関係を
築くことこそ急務だと言えよう。そうすれば敵対国はなくなるはずで
ある。米軍に依存しなくても軍事的な安定は保てるはずである。

 アメリカとは軍事面だけではなく、別な観点からの友好国として
従来通りの関係を続ければよい。
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