12月に入って活弁口演が4回もあった。何かとハプニングの多い
活弁口演ではあるが、何とか無事に終わって良かった。
私達にとって最大の懸案事項は私の母の容態であった。私の母は
今年の夏以来、入退院を繰り返している。一時、医師からは余命の
短いことを告げられ私達家族もそれなりの覚悟を決めていた。
ところが入院中、当の本人からのたっての願いだと言うことで
一時は諦めていた手術を受けることになった。そして手術は成功し
退院して自宅養生を続けてきた。
しかし、11月の末になって再び入院せざるを得なくなった。
日に日に衰弱している母を見ていると、いつお迎えが来ても不思議
ではない状態が続いている。
丁度、そのような次期に公民館関係で三カ所もの活弁口演の日が
迫ってきた。これらの口演は母の容態が顕著になり始めるより
ずっと前から依頼を受けていたものである。
また、私達にとっては、より多くの人達に活弁を知って貰える
またとないチャンスでもあった。それだけにぜひ実現させたかった。
また、公民館という公の場所での口演なので、ぎりぎりになって
お断り出来るような状況ではなかった。12月に入って以来、私達に
とっては落ち着かない薄氷を踏むような日々が続いた。
そして、やっと先週の土曜日を最後に全ての口演が終了した。活弁
口演と言えば代替の効かない企画であった。私達夫婦しか出来ない
話芸であり、それだけに母の容態だけでなく、私達夫婦のいずれかが
欠けても出来ない事である。
それだけに新型のインフルエンザにも最大の注意を払ってきた。
外に出かけたら必ず手洗いとうがいは欠かさないようにしてきた。
私達もVIP並の注意を払ってきたわけである。
今回の活弁口演は岡山市の一の宮公民館を皮切りに始まった。
続いて地元の琴浦公民館、更には岡山市の興除公民館、そして最後が
私の属している健康生きがいづくりアドバイザー協議会の交流会での
発表であった。
岡山市の二つの公民館は岡山市の光南台公民館でのワークショップ
などが縁となって取り上げていただいたものである。そして、地元の
琴浦公民館では倉敷市内の他の公民館長さんも鑑賞してくださった
ようで、来年に向けての広がりが期待される。
私達も当然の事ながら新しい作品に取り組むべく準備中である。
私にとっては環境問題への取り組みと活弁という二足の草鞋を履く
ような状態が当分続くことになるのではなかろうか。
活弁口演ではあるが、何とか無事に終わって良かった。
私達にとって最大の懸案事項は私の母の容態であった。私の母は
今年の夏以来、入退院を繰り返している。一時、医師からは余命の
短いことを告げられ私達家族もそれなりの覚悟を決めていた。
ところが入院中、当の本人からのたっての願いだと言うことで
一時は諦めていた手術を受けることになった。そして手術は成功し
退院して自宅養生を続けてきた。
しかし、11月の末になって再び入院せざるを得なくなった。
日に日に衰弱している母を見ていると、いつお迎えが来ても不思議
ではない状態が続いている。
丁度、そのような次期に公民館関係で三カ所もの活弁口演の日が
迫ってきた。これらの口演は母の容態が顕著になり始めるより
ずっと前から依頼を受けていたものである。
また、私達にとっては、より多くの人達に活弁を知って貰える
またとないチャンスでもあった。それだけにぜひ実現させたかった。
また、公民館という公の場所での口演なので、ぎりぎりになって
お断り出来るような状況ではなかった。12月に入って以来、私達に
とっては落ち着かない薄氷を踏むような日々が続いた。
そして、やっと先週の土曜日を最後に全ての口演が終了した。活弁
口演と言えば代替の効かない企画であった。私達夫婦しか出来ない
話芸であり、それだけに母の容態だけでなく、私達夫婦のいずれかが
欠けても出来ない事である。
それだけに新型のインフルエンザにも最大の注意を払ってきた。
外に出かけたら必ず手洗いとうがいは欠かさないようにしてきた。
私達もVIP並の注意を払ってきたわけである。
今回の活弁口演は岡山市の一の宮公民館を皮切りに始まった。
続いて地元の琴浦公民館、更には岡山市の興除公民館、そして最後が
私の属している健康生きがいづくりアドバイザー協議会の交流会での
発表であった。
岡山市の二つの公民館は岡山市の光南台公民館でのワークショップ
などが縁となって取り上げていただいたものである。そして、地元の
琴浦公民館では倉敷市内の他の公民館長さんも鑑賞してくださった
ようで、来年に向けての広がりが期待される。
私達も当然の事ながら新しい作品に取り組むべく準備中である。
私にとっては環境問題への取り組みと活弁という二足の草鞋を履く
ような状態が当分続くことになるのではなかろうか。