先日、ラジオを聴いていて驚いたことがある。学校給食に関し親が
「いただきます」と子どもに言わせるのはやめて欲しいと申し入れて
来たというのだ。
早速、聴いたことを家内に話すと同じようなことが新聞にも書いて
あったと言っていた。本当なら我が耳を疑うような話である。理由は
給食費をきちんと納めているから「いただきます」と言うのは変だと
言う事らしい。
給食費を払わない親や給食費を払っているのだから「いただきます」
と言う必要がないという親など、この国はいつからこんな変な国に
なってしまったのであろうか。
まったく恥を恥とも思わないような破廉恥な親が増えていることに
驚かざるを得ない。そして「いただきます」「ありがとう」「おはよう」
「こんにちわ」「こんばんわ」「ありがとう」、こんな当たり前の挨拶
さえ出来ないような子どもが増えている。
電車に乗ればあたり構わず大声で話したり笑ったりしている高校生達。
鞄を乗降口に投げ出したまま携帯に夢中になっている男女の高校生、
座席を独り占めしたうえ、靴のまま座席に投げ出している高校生。
こんな高校生達の親の顔が見てみたい。誰がこんな子ども達を育てた
のだろうか。化粧をして外見は大人ぶっているが中身はまるで発達
していない女子高生達。こんな大人になりきれないような子ども達が
赤ちゃんを産んで親になっていくことを考えると実に空恐ろしい。
先日、NHKの朝ドラを見ていて考えさせられたことがある。離婚
した両親に主人公の瞳はこう言う。「お父さんやお母さんは自分たちの
結婚は失敗だっだと言うけれど、お父さんとお母さんが結ばれたから
こそ私が生まれたのだ」と。「その私の前で軽々しく失敗だったと
言わないで欲しい」「お父さんやお母さんは失敗だったと言う前に
どれくらい努力したのか、家族は努力して作るものだと」。
この言葉の意味は重い。昨今のように簡単にひっつき簡単に別れて
しまう親たちに、この言葉を聞かせたい。二人の間に生まれた子ども
こそ良い迷惑である。
簡単に一緒になり良い家族を作る努力もしないままに簡単に別れて
しまったことから家族を失った子供は実に多い。そんな家庭に家族
らしい会話はあるのだろうか。親から子へ子から親へと多くの教訓が
受け継がれていくのが家庭である。近頃の若者は常識的なと思われて
きたことをほとんど知らない。それは親たちが教えて来なかったから
である。
「いただきます」は誰から強制されたわけでもなく、食べ物を作って
くれた人や命あるものを頂いているいることへの感謝の言葉である。
私達人間は他の生き物の命を頂いて生きている。穀物も野菜も肉も
卵もみんな生き物の命そのものだ。
それを「給食費は払っているから」と言うのは、あまりにも無知
すぎると言わざるを得ない。
食の安全に関し国内外共に騒がしい。米は日本人にとって一番大事
な食べ物である。生産力の低かった頃は白米を食することの出来ない
人が大勢居た。
お百姓さんの多くは米を作りながら、自分たちは食べることが出来
ないまま、ヒエやアワや芋と言った代用食を食べていた。だから今でも
お米を炊いたものを「銀しゃり」と呼んでいる。「銀しゃり」とは炊きたて
のきらきら光るご飯のことである。
日本人の多くが「銀しゃり」を口に出来るようになったのはやっと
戦後のことである。その大切なお米を利用して金儲けをたくらむなど
もっての他である。それも農薬やカビに汚染された米である。
販路がどこまで広がっているか検討がつかないほど汚染米は様々な
ところで使われているようだ。汚染米だと知って売った業者も悪いが
その危険性を知りつつも監督を怠ってきた農林水産省も悪い。
食は国民の生活の根幹をなすものである。また、健康や生死に関わる
ものである。監督官庁の「たが」のゆるみは想像以上に根が深い。
端的に言えばまったく当てにならない状態である。
さて、農薬の混ざった餃子問題が中国側に起因するものだと認めた
ばかりの中国では、こともあろうに赤ちゃんに飲ませる粉ミルクに
メラミンという化学物質を故意に混ぜていたという実にショッキング
なニュースが連日報じられている。
農家から買い取った生乳にメラミンを混入したようだ。中国のモラル
の低下は、そこまで来たかと驚かざるを得ない。もともと儲けのため
ならなりふりを構わないと言うのが中国商人のたくましさであるが、
ことは人が口にするものである。それも幼い命が食するものであって
みれば、その罪は重い。
日本と言い中国と言い、儲けのためなら何をしても構わないと言う
この仕組みが恐ろしい。そして今はアメリカ経済の破綻である。金が
金を生むという、このシステムこそ問題だ。そして環境問題を犠牲に
してまで自動車のGMは大量消費型の大型車を作る続けてきた。それが
ガソリンの高騰で経営に行き詰まりが生じている。
アメリカも儲けのためなら何をしても構わないと言う点においては
中国や日本と変わらない。
今の経済システムは既に破綻している。行き着く先は見えている。
今の経済システムの先に私達人類の幸せはない。環境問題も結局は
経済問題だと言い切る人も多い。私もそう思っている。
環境問題を考えるとき、今の経済システムの方向転換なしには
考えられない。儲けるためにものを売る、売るためには目新しいもの
を作らなければならない。目新しいものが出来れば古いものは必然的
に捨てられてゴミになる。
戦後一貫して企業が取ってきた姿勢は、いかにして消費者の購買心
をあおるかと言うことであった。こうして買うと言うより買わせられる
システムが作られてきた。それにはテレビが大いなる力を発揮して
きた。使えば何十年でも使えるようなものが簡単に捨てられ新しい
ものに置き換えられていった。
反省の意味を込めて言うなら私もその一人であったことは間違いない。
「いただきます」と子どもに言わせるのはやめて欲しいと申し入れて
来たというのだ。
早速、聴いたことを家内に話すと同じようなことが新聞にも書いて
あったと言っていた。本当なら我が耳を疑うような話である。理由は
給食費をきちんと納めているから「いただきます」と言うのは変だと
言う事らしい。
給食費を払わない親や給食費を払っているのだから「いただきます」
と言う必要がないという親など、この国はいつからこんな変な国に
なってしまったのであろうか。
まったく恥を恥とも思わないような破廉恥な親が増えていることに
驚かざるを得ない。そして「いただきます」「ありがとう」「おはよう」
「こんにちわ」「こんばんわ」「ありがとう」、こんな当たり前の挨拶
さえ出来ないような子どもが増えている。
電車に乗ればあたり構わず大声で話したり笑ったりしている高校生達。
鞄を乗降口に投げ出したまま携帯に夢中になっている男女の高校生、
座席を独り占めしたうえ、靴のまま座席に投げ出している高校生。
こんな高校生達の親の顔が見てみたい。誰がこんな子ども達を育てた
のだろうか。化粧をして外見は大人ぶっているが中身はまるで発達
していない女子高生達。こんな大人になりきれないような子ども達が
赤ちゃんを産んで親になっていくことを考えると実に空恐ろしい。
先日、NHKの朝ドラを見ていて考えさせられたことがある。離婚
した両親に主人公の瞳はこう言う。「お父さんやお母さんは自分たちの
結婚は失敗だっだと言うけれど、お父さんとお母さんが結ばれたから
こそ私が生まれたのだ」と。「その私の前で軽々しく失敗だったと
言わないで欲しい」「お父さんやお母さんは失敗だったと言う前に
どれくらい努力したのか、家族は努力して作るものだと」。
この言葉の意味は重い。昨今のように簡単にひっつき簡単に別れて
しまう親たちに、この言葉を聞かせたい。二人の間に生まれた子ども
こそ良い迷惑である。
簡単に一緒になり良い家族を作る努力もしないままに簡単に別れて
しまったことから家族を失った子供は実に多い。そんな家庭に家族
らしい会話はあるのだろうか。親から子へ子から親へと多くの教訓が
受け継がれていくのが家庭である。近頃の若者は常識的なと思われて
きたことをほとんど知らない。それは親たちが教えて来なかったから
である。
「いただきます」は誰から強制されたわけでもなく、食べ物を作って
くれた人や命あるものを頂いているいることへの感謝の言葉である。
私達人間は他の生き物の命を頂いて生きている。穀物も野菜も肉も
卵もみんな生き物の命そのものだ。
それを「給食費は払っているから」と言うのは、あまりにも無知
すぎると言わざるを得ない。
食の安全に関し国内外共に騒がしい。米は日本人にとって一番大事
な食べ物である。生産力の低かった頃は白米を食することの出来ない
人が大勢居た。
お百姓さんの多くは米を作りながら、自分たちは食べることが出来
ないまま、ヒエやアワや芋と言った代用食を食べていた。だから今でも
お米を炊いたものを「銀しゃり」と呼んでいる。「銀しゃり」とは炊きたて
のきらきら光るご飯のことである。
日本人の多くが「銀しゃり」を口に出来るようになったのはやっと
戦後のことである。その大切なお米を利用して金儲けをたくらむなど
もっての他である。それも農薬やカビに汚染された米である。
販路がどこまで広がっているか検討がつかないほど汚染米は様々な
ところで使われているようだ。汚染米だと知って売った業者も悪いが
その危険性を知りつつも監督を怠ってきた農林水産省も悪い。
食は国民の生活の根幹をなすものである。また、健康や生死に関わる
ものである。監督官庁の「たが」のゆるみは想像以上に根が深い。
端的に言えばまったく当てにならない状態である。
さて、農薬の混ざった餃子問題が中国側に起因するものだと認めた
ばかりの中国では、こともあろうに赤ちゃんに飲ませる粉ミルクに
メラミンという化学物質を故意に混ぜていたという実にショッキング
なニュースが連日報じられている。
農家から買い取った生乳にメラミンを混入したようだ。中国のモラル
の低下は、そこまで来たかと驚かざるを得ない。もともと儲けのため
ならなりふりを構わないと言うのが中国商人のたくましさであるが、
ことは人が口にするものである。それも幼い命が食するものであって
みれば、その罪は重い。
日本と言い中国と言い、儲けのためなら何をしても構わないと言う
この仕組みが恐ろしい。そして今はアメリカ経済の破綻である。金が
金を生むという、このシステムこそ問題だ。そして環境問題を犠牲に
してまで自動車のGMは大量消費型の大型車を作る続けてきた。それが
ガソリンの高騰で経営に行き詰まりが生じている。
アメリカも儲けのためなら何をしても構わないと言う点においては
中国や日本と変わらない。
今の経済システムは既に破綻している。行き着く先は見えている。
今の経済システムの先に私達人類の幸せはない。環境問題も結局は
経済問題だと言い切る人も多い。私もそう思っている。
環境問題を考えるとき、今の経済システムの方向転換なしには
考えられない。儲けるためにものを売る、売るためには目新しいもの
を作らなければならない。目新しいものが出来れば古いものは必然的
に捨てられてゴミになる。
戦後一貫して企業が取ってきた姿勢は、いかにして消費者の購買心
をあおるかと言うことであった。こうして買うと言うより買わせられる
システムが作られてきた。それにはテレビが大いなる力を発揮して
きた。使えば何十年でも使えるようなものが簡単に捨てられ新しい
ものに置き換えられていった。
反省の意味を込めて言うなら私もその一人であったことは間違いない。