ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

奥多摩の低山へ――久し振りの単独登山で雪山ハイキング

2014年02月28日 | 雪山/奥多摩

2014/2/21  前日までは青梅線も御岳駅までしか開通していませんでしたし、御岳山ケーブルカーも22日土曜日から再運行の予定でした。ですから、前回の10日同様、武蔵五日市駅から直接歩いて取り付ける尾根を選びます。
それが深沢北尾根。前回の金比羅尾根の北隣りの尾根で、日の出町とあきる野市の境界線になっています。武蔵五日市駅北口をほぼ北方向へ進み、小机という辺りから取り付くのです。この尾根には無雪期、とりわけ山桜の咲くころには幾度も歩いたことがありました。お花見をよくしたものです。
今日はS子の体調がいまいちなので久し振りの単独登山。

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▲里山がすぐ間近にある武蔵五日市の街には道路脇の雪がまだたくさん残っています。
前方の尾根が深沢北尾根のはず。7:55ころ。

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▲前回の反省を踏まえ、今日は二万五千図はもちろんですが、高度計も持参しました。町場の標高点、208mと224mの2箇所で合わせました。
写真は二万五千図の小机にある224m標高点から100mほどの小さな峠です。ここから左の山へ取り付きます。8:09ころ。

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▲向こうに見える山は戸倉三山なのでしょうか? 8:42ころ。

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▲標高は300m前後、バレンタイン豪雪から1週間もたっているのに、まだこの積雪です。登山靴だけの壺足ではやたらと深く潜ります。8:44ころ。

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▲と言うわけで、ワカン装着。こんな奥多摩の低山でワカンをつけるとは! 8:52ころ。

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▲鹿の足跡が随所で見られました。8:54ころ。

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▲ワカンの締め具合が緩かったようです。左足の踵が赤紐の上に乗っかてしまっています。締め直しました。8:59ころ。

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▲お地蔵さんです。麓の町の方角を向いていますが、何を守ってくださっているのでしょう? 9:20ころ。
この深沢北尾根は小さなピークがたくさん現れる尾根なのですが、注意深く見ていないと地図を読み間違い易い所のようです。案の定、僕も間違えました。
この地点での高度計は340mを示していました。東から登って来て、北西方向へ少し下る場所なのですが、そんな場所は327m標高点の西、390m地点しかないと判断したのです。高度が50m違っていますが、その違いはおおよそ5hPaの違いでしかありませんから、「少し気圧が上がって来たのかな?」と考えました。
自宅で守屋氏の『奥多摩東部登山詳細図』を見ると、お地蔵さんの位置は327m標高点の200mほど南東の小ピーク(標高は330mに近いはず)にあるとのこと。この地点も東から登って来て、北西方向へ少し下っているのです。
ここで390m地点まで登って来ていると間違えましたから、その後、深沢山460mや勝峰山への分岐などになかなか到着しないことを不思議に思うことになったわけです。

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▲再びの鹿の足跡。9:26ころ。

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▲これは鹿の仕業だと思います。足跡がたくさんありましたから。雪をどかして、餌となるものでも探していたのでしょうか? 9:27ころ。

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▲右のなだらかなピークが勝峰山454.4mだと思います。9:35ころ。

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▲見晴らしのいい尾根に出て来ました。矢印のあたりに武蔵五日市駅があるのだと思います。9:55ころ。

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▲写真の向こうに左右に延びている尾根が入山尾根だと思います。雪で白く見える箇所は土砂の採掘現場だったように思います。9:55ころ。

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▲二万五千図で調べると、こんなふうだと思います。金比羅尾根は正しいと思います。金比羅山はほぼこの矢印辺り、刈寄山687.0mは多分これかなぁっと・・・・・・ 9:56ころ。

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▲見たことのない東屋が現われました。10:00ころ。

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▲ここでちょっと休憩です。快適な場所。「多宝美徳山荘 平成25年十月建設」「どうぞご自由にお休み下さい 光」と書いてありました。10:17ころ。
高度計は395mを示していましたから、先ほどの誤差を考慮すると、実際の標高は430~440mくらいだろうと考えました。それくらいの標高で、周辺の地形がだいたい合う地点を探すと、460m標高点である深沢山のすぐ近くだろうと予想したわけです。でも実際は、まだまだずっと手前の標高が390mあたりの地点だったわけです。

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▲ワカンをしていても膝近くまで潜ることしばしばでした。10:21ころ。
降雪後、1週間もたっていますから、融けて凍ってを繰り返し、雪はザラメ状になっています。しかも今日の高温で、雪は腐っているのです。

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▲妖しい空気を醸し出している合体木がありました。根元のあたりと地上3mあたりで、幹同士がくっ付いています。左の木はケヤキでしょうか? 10:28ころ。

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▲これが深沢山460mだと思って撮ったのでしょうね。でも、まだまだ先です。10:42ころ。

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▲もうこの頃には完全に読図が間違っていたことに気付いていますね。進めど進めど、勝峰山の分岐は出て来ませんから。歩いて来た道を振り返って、撮ってみました。11:16ころ。

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▲ついに出て来ました。勝峰山との分岐です。読図で分かるのではなくて、こんな標識に教えられるのは恥ずかしいことですが、まあ、良しとしましょう。11:28ころ。

ここで今日の今後のプランを再検討しました。次の二つの選択肢があります。
①このまま来た道を引き返す。
②勝峰山経由で幸神へ下山する。
この時点で、予定通り金比羅尾根へ向かうプランは諦めざるを得ませんでした。小机からここまで3時間ですから、金比羅尾根に3時半くらいには合流出来、途中暗くなっても先週通ったばかりの尾根なので問題なく下山できるとは思ったのですが、S子には「明るいうちには下山するから」と約束して家を出ましたし、さすがに2週続けて日没後下山はまずいですから。
①は絶対に嫌ですから②しかないと、ほぼ決まりかけていたのですが、このコースは無雪期に歩いたことがありますし、勝峰山からの下りはあまり楽しくなさそうな記憶があります。ここから真藤ノ峰543mや梵天山607m方面へもまだ1回しか歩いたことはなかったと記憶していますので、そちらへの未練もおおいにあるのです。
二万五千図を見つめていると、あるルートが浮かんで来ました。それは真藤ノ峰の手前(東)にある送電線の記号です。尾根上に鉄塔が立っているのも見えています。その送電線は南へ向かっていて、南に派生している支尾根上を通っています。とてもなだらかな尾根です。
送電線は常時保守管理が必要ですから、必ず点検員が通える作業道があるのです。いま見えている鉄塔を保守管理するには、どこへ作業道をつけるのが安全で楽なのかを考えれば、自ずとそのコースが決まって来ます。その支尾根には作業道があるはずだ。そうでなくとも、なだらかなので楽に下山できるはず。と、予想したのです。
③真藤ノ峰の少し東にある南へ降りるなだらかな支尾根を下る。
このアイデアを採用することに決めました。

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▲少し進むと、右下に採石場のような光景が広がります。おそらく太平洋セメント(旧・日本セメント)の石灰岩採掘現場なのでしょう。11:52ころ。
一番左の矢印で示している鉄塔が目指す鉄塔です。その鉄塔の後方に真藤ノ峰があります。梵天山や631.7m三角点も重なって見えているのだと思います。
鉄塔から右へ、麻生山794mと日の出山902.0m・・・・だと思います。

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▲麻生山と日の出山を望遠で捉えました。11:52ころ。

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▲この辺りは日当りがいいのでしょうか? 山道から雪がほとんど消えていました。12:01ころ。

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▲旧い社名の看板がありました。12:09ころ。

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▲ワカンでもやはり30cmくらいは潜ってしまいます。12:27ころ。

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▲448m標高点を過ぎた460m地点あたりで休憩しました。そのあたりの雪は30cmくらいだろうと予想していましたが、ピッケルを刺してみると御覧の通り。50cmはあります。13:02ころ。

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▲現われました! 鉄塔です! 新所沢線の17号鉄塔なんですね。13:21ころ。

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▲これがその鉄塔。13:25ころ。
ここの鉄塔がある地点の標高はおよそ500m。高度計は550mを示していましたから、500mに修正しました。
ですから、当日は前半の読図ミスを気付かないままだったわけです。お地蔵さんのところで高度計に50mの誤差が出ているな、と認識していたのと同じ誤差がここでも確認されたわけですから。おそらく、午後になって気圧が数hPa上昇したのでしょう。

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▲鉄塔の下は日当りがいいはずなのに、意外と雪の量が多いのです。70cmは積もっていますね。13:30ころ。

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▲今日はこのお尻の下に引いて滑る橇(そり)を持って来ました。昨シーズンも雪山幕営の際に持って行ったのですが、大きなザックがこの橇からはみ出して雪面にどっかと乗って、滑るどころではありませんでした。今日は日帰りのザックなので、この鉄塔からの下りの尾根で試してみたかったのです。13:35ころ。
結果どうだったかですが、駄目でした。
傾斜が緩すぎたというのもありますが、それ以上に雪が腐り過ぎていました。橇にお尻を載せると、そのまま雪の中に沈んでいってしまうのです。1mも進みませんでした。

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▲尾根を下って行くとすぐに、次の鉄塔が現われました。新所沢線16号です。13:51ころ。

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▲標高は470mくらいに下がりましたが、積雪はまだ御覧の通り。50cm以上あります。13:56ころ。

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▲16号鉄塔の真下から見上げました。今日は一日中、快晴! 14:00ころ。

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▲15号鉄塔への下降路があることを示した道標です。15号は谷を挟んで反対側に立っていますから、ここから里にいったん降りてから再び登らなくてはなりません。まあ、今日の僕は里に降りればそれでいいのです。予想通り作業道がありましたから、これで安心。14:01ころ。

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▲雪があっても明瞭に分かる作業道が続いています。14:05ころ。

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▲もっと分かり易い作業道になりました。14:10ころ。

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▲谷の底の様子が見えて来ました。集落のさらに奥の林道の除雪作業をしているようです。14:29ころ。

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▲この小屋の右側の尾根を下って来たのです。土木会社の置き場になっていました。14:36ころ。

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▲深沢家屋敷跡です。この屋敷跡にどれほどの歴史的だったり文化的だったりする価値があるのか、僕はまったく知りませんでした。家に帰ってネットで調べてみました。なんと! ここはすごい場所なんですね! ここの土蔵であの五日市憲法草稿が発見されたのだそうです。憲法問題が姦しいこの頃ですが、五日市憲法の理想も僕たち日本人は忘れないようにしないといけないと思います。いつか再び、ここを訪れたいものです。14:52ころ。

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▲これはいったい何なのでしょう? 僕にはお地蔵さんのように見えるのですが・・・・ 14:55ころ。

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▲またありました。14:56ころ。

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▲雪に埋まって、頭だけ出しています。14:58ころ。
「小さな美術館」という名前の美術館があるようです。これもネットで調べてみました。
http://art-avenue.jp/avenue19.html で見て下さい。ここも訪れてみたいですね。

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▲今日唯一のポートレートです。胴体がずんぐりと見えますが、道路の丸いミラーに映しているので、膨らんでいるのだと思います(本当だよ)。14:59ころ。

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▲この道路沿いにはいろいろな見どころがあるのですね! 14:59ころ。
これを参考にして下さい。
http://www.city.akiruno.tokyo.jp/cmsfiles/contents/0000001/1642/RangerNewsVol.36.pdf

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▲本当にいろいろな見どころがありますね。東京一の大樫が大岩を抱くように生えているのだそうです。15:00ころ。
以下を参照してください。 http://juneberryp.exblog.jp/11977893/ 

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▲武蔵五日市駅に近づいて来ました。今日は無風快晴の暖かい一日でした。猫も日向ぼっこしながら心地良さそうです。15:42ころ。

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▲この猫もゆったりとしています。「にゃお~~っん」と呼びかけると、こちらを向いてくれました。15:46

15:50ころに駅に到着しました。15:57の電車に乗って帰宅。家には余裕で5時前には着きました。
ただ、山から下りて街が近くなってきたところで、携帯をonにすると、仕事がらみの連絡が入っていました。帰宅してしばらくはそれでバタバタ。目処が立ってから、やっとお風呂に入り、汗を流すことができました。

今回は単独でしたから、歩くスピード自体はS子と一緒の時よりも速いはずです。でも、前回と違ってトレースがありませんでしたから、その分、遅くなっています。結果的にはさほど変わらないか、今回の方が遅いのかもしれません。
それはともかく、やっぱり安全な時間帯に下山しておくことの当り前の重要性を感じた山行でした。

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