8月17日の先生のブログに、こんな句とコメントが掲載されていました。
丸腰のまま花束を持たされる/平賀胤壽
第二句集『水摩』(二〇〇八年)に収録された一句。
初読のとき、おお、というような感じがあって付箋をつけた。
ただ、その、おお、の内実を説明しようとすると、ことばがうまく見つからない。
ことばの意味でわからないところはないのに、と言うかむしろ、
わからないところがないからこそ、説明がつかないのかも知れない。
あからさまに日常的/社会的な事象とつながる比喩や寓意は、
川柳を解釈しやすくはするのだが、表現としての強度を損ねてしまう。
この句は逆に、何かを強烈に伝えている分だけ解釈はしづらいようだ。
やや強引に、丸腰→武器を持たない→戦争放棄と連想して、
この花束を憲法第九条だとする読解も可能ではあろう。
ただ、そんな解釈を思い浮かべるのはたぶんいまが八月中旬だからなのであって、
他の時期に読めば他の解釈が生じるのではないかという気はする。
なるほど! 遅足
丸腰のまま花束を持たされる/平賀胤壽
第二句集『水摩』(二〇〇八年)に収録された一句。
初読のとき、おお、というような感じがあって付箋をつけた。
ただ、その、おお、の内実を説明しようとすると、ことばがうまく見つからない。
ことばの意味でわからないところはないのに、と言うかむしろ、
わからないところがないからこそ、説明がつかないのかも知れない。
あからさまに日常的/社会的な事象とつながる比喩や寓意は、
川柳を解釈しやすくはするのだが、表現としての強度を損ねてしまう。
この句は逆に、何かを強烈に伝えている分だけ解釈はしづらいようだ。
やや強引に、丸腰→武器を持たない→戦争放棄と連想して、
この花束を憲法第九条だとする読解も可能ではあろう。
ただ、そんな解釈を思い浮かべるのはたぶんいまが八月中旬だからなのであって、
他の時期に読めば他の解釈が生じるのではないかという気はする。
なるほど! 遅足