575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

忘れられない人   ー 画家 三岸節子 ー 竹中敬一

2020年07月21日 | Weblog




仏ヴェロン村の自宅で毎朝、般若心経を唱え、お祈りをする
三岸節子さん 。
ドキュメンタリー 「 赤い魂 〜 画家 三岸節子の軌跡 〜 」より



平成元年、三岸さん84 歳の時、私とカメラマンは仏ヴェロン村のアトリエで

制作場面やインタビューに応じて頂いたばかりでなく、毎朝、欠かしたことが

ないというお祈りなど日常生活まで撮らしてもらいました 。

「 絵が描けないと私、お祈りをするんです 。

どうか、私に絵を描かせて下さいませ、とお祈りをするんです 。

そうしますと、形が出てきて、絵ができるんです 。」

O 平成元年の秋、三岸節子は久しぶりに木曽川沿いの生まれ故郷 ( 現、愛知県

一宮市小信中島 )を訪れ、小学校時代の同級生とも再会しました 。

「 男性の同級生 “ 節ちゃん 百まで生きような” 」

「三岸節子 “ 私は百二十歳まで生きるの “ 」

「男性の同級生 “ ワシは百で ええ” 」

平成元年、三岸節子は長男夫婦と20年振りに帰国、神奈川県の大磯に住まいを構え

引き続き旺盛に制作を続けました 。




名古屋 松坂屋本店で開かれた三岸節子さんの個展会場 ( 平成元年 9月 )で 。
右が杉本健吉さん 。
ドキュメンタリー 「 赤い魂 〜 画家 三岸節子の軌跡 〜」より



この写真は三岸節子さんが平成元年、フランスから20年振りに帰国した際、

名古屋の松坂屋本店で開いた個展の会場に名古屋在住の画家 杉本健吉

( 当時 83 )が突然、姿を見せた時の映像 から 。

カメラはお二人のつぶやきをとらえていました 。

「 杉本健吉さん

やぁ、しばらくでございました 。元気じゃないか 。どの作品もいいね 。」

「 三岸節子さん

何年ぶりかしら 。いつか この前、展覧会していただいた時にお目に

かかりましたね 、

「杉本健吉さん

大先輩、 ヴェロンへは いつ帰るの 。早く帰りなさい 。

自由にできないもの 、日本の画壇じゃ 。」

「三岸節子さん

だって、あなたも日本の画壇にいらっしゃるじゃない。」

「杉本健吉さん

私はもう …… 」

三岸節子さんは海を見下ろす大磯で平成11年 、94歳で亡くなっています 。終

コメント
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