575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

琵琶湖にて

2020年07月18日 | Weblog


河合曽良。芭蕉の「奥の細道」できわめて重要な
役割を果たしたといわれています。しかし、与謝
蕪村の筆による芭蕉の蕉門十哲に曾良は含まれて
いません。

芭門十哲には、宝井其角、向井去来、服部嵐雪、
内藤丈草、杉山杉風、森川許六、各務支考。越智
越人、立花北枝、志太野馬と江戸中期を代表する
錚々たる俳人たちが描かれています。

宝井其角、向井去来は芭蕉門弟の双璧。去来は京
「落柿舎」で野沢凡兆と「猿蓑」を編集。杉山杉
風は深川の芭蕉庵近くに居を構え、芭蕉の経済的
な支援者として有名。

ところで、芭蕉と曽良の関係はどのようなものだ
ったのでしょうか。童門冬二著「師弟 ここに志あ
り」では曽良の性格は硬質、芭蕉は軟質な性格の
ため、芭蕉が「荒海や 佐渡によこたふ 天の河」と
詠んだ8月18日は、曽良の日記では大雨。また天
の河は佐渡島と逆の方向であると間違いを指摘し
ています。曾良は芭蕉の句に対し異論を抱いてい
たことは間違いないようです。

芭蕉の葬儀は琵琶湖畔の義仲寺で行われましたが、
曾良は出席していません。芭蕉没後の8年目に曾
良は芭蕉の墓参に訪れ歌を詠んでいます。

「一翁の 墓に参りてー おがみ伏して紅しぼる汗ぬぐい」<曾良>

朴訥な性格と稚拙な文章能力。曾良は芭蕉から最
も俳句を学べる立場でありながら、俳人として成
功していません。しかし、師弟の愛情は深く芭蕉
は不肖の弟子として曾良を見守るしかなかったの
かもしれません。河合曾良。長野県諏訪市の生ま
れ。享年62歳。

文と写真<殿>
コメント
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