2018.07.04 二の丸から中の丸、本丸へと続いて登城します。

左側中の丸、右側二の丸の空堀。

中の丸南面の土塁。

中の丸土橋左側崖下には腰曲輪がある。

⑩ 中の丸南側の防御(櫓門の推定)

中の丸枡形虎口。


⑪ 中の丸(本丸に次に重要な曲輪)

国民宿舎跡 ここにスタンプが設置されている(屋外)

中の丸より北側眺め。 山腹には腰曲輪と呼ばれる平場が多摩川に向かって設けられていた。

本丸への引橋。


引橋からの本丸虎口枡形。

本丸、下段部 井戸跡もあります。

本丸、下段部広場 北東部に霞神社がある。

本丸 霞神社。

本丸下段部より本丸上段部への虎口が左に見えます。

本丸、上段部 虎口を登り、南より写す。

本丸、上段部の広場 金毘羅社が祀られている。

⑫ 滝集落から本丸への侵入路(搦手口からの侵入路)

同上 出丸の先端部分には馬出を備え、縦横の堀と共に
強力な防御態勢を整えていたと思われる。


⑬ 本丸下段部南側枡形虎口(小宮曲輪からの城道)
本丸への主たる出入口は2ヶ所ある。
1か所は中の丸からの引橋を渡って入る枡形虎口。
もう1か所は南側に設けられている。


⑭ 本丸への木橋(最終的な砦へ導く橋)

同上 「大堀切」はもっと深かったことが試掘によって確認されている。

二の丸へ戻り信濃屋敷方面に行く。

信濃屋敷跡

かたらいの路

刑部屋敷跡 要害部を守る家臣屋敷で南側に一段低く通路が設けられている。

木橋 右側土塁上はカゾノ屋敷跡、左崖下は大池。

⑮ 木橋(引き橋)唯一尾根続きのこの場所は、滝山城の弱点であったと考えられる。
そのため防御は厳重を要した。
ここが、縄張り場南東方面の一大防御線であったと思われる。
滝山城は10倍の兵力で侵攻した武田軍を防いだ堅城でした。

左側中の丸、右側二の丸の空堀。

中の丸南面の土塁。

中の丸土橋左側崖下には腰曲輪がある。

⑩ 中の丸南側の防御(櫓門の推定)

中の丸枡形虎口。


⑪ 中の丸(本丸に次に重要な曲輪)

国民宿舎跡 ここにスタンプが設置されている(屋外)

中の丸より北側眺め。 山腹には腰曲輪と呼ばれる平場が多摩川に向かって設けられていた。

本丸への引橋。


引橋からの本丸虎口枡形。

本丸、下段部 井戸跡もあります。

本丸、下段部広場 北東部に霞神社がある。

本丸 霞神社。

本丸下段部より本丸上段部への虎口が左に見えます。

本丸、上段部 虎口を登り、南より写す。

本丸、上段部の広場 金毘羅社が祀られている。

⑫ 滝集落から本丸への侵入路(搦手口からの侵入路)

同上 出丸の先端部分には馬出を備え、縦横の堀と共に
強力な防御態勢を整えていたと思われる。


⑬ 本丸下段部南側枡形虎口(小宮曲輪からの城道)
本丸への主たる出入口は2ヶ所ある。
1か所は中の丸からの引橋を渡って入る枡形虎口。
もう1か所は南側に設けられている。


⑭ 本丸への木橋(最終的な砦へ導く橋)

同上 「大堀切」はもっと深かったことが試掘によって確認されている。

二の丸へ戻り信濃屋敷方面に行く。

信濃屋敷跡

かたらいの路

刑部屋敷跡 要害部を守る家臣屋敷で南側に一段低く通路が設けられている。

木橋 右側土塁上はカゾノ屋敷跡、左崖下は大池。

⑮ 木橋(引き橋)唯一尾根続きのこの場所は、滝山城の弱点であったと考えられる。
そのため防御は厳重を要した。
ここが、縄張り場南東方面の一大防御線であったと思われる。
滝山城は10倍の兵力で侵攻した武田軍を防いだ堅城でした。