
ぐっと冷え込むようになった東京地方。半袖で風を切って、というシーズンは終わり。それでも、青空の下、川辺を走るのもまた、よし。
ということで、荒川を少しばかり。ただ西岸のサイクリングロードは途中、工事中。自動車の行き交う堤防の下を走るはめに。ちょっと残念でした。それでも、発見が少し。
遠く「扇大橋」。上方の橋脚は、「日暮里舎人ライナー」。かなり高く荒川を越えていくので、見晴らしがすばらしい。河川敷にある「あらかわ福祉体験広場」は、雑草に覆われている。
車いす体験など福祉・障害者体験周遊コースになっているが、目的がもう一つはっきりしない。用具もなさそうだし・・・。今は閉鎖中?
このあたりはグランドが広がっている。広々とした道が続く。ジョギングやサイクリングに最適。
「西新井橋」上流にはまだ灌木や葦などが生い茂るところが1㎞ほど残っている。河川敷に住まう人々の青いテントがちらほら。
道路に出てきた大型のカマキリ。野良猫の姿も見え隠れ。
「千住新橋」。この橋の上流、下流は整備されて野球場などの運動広場・グランドが続く。
「千住新橋」付近。通りかかるとこの藪の中からやかましいくらいのスズメの鳴き声。一斉に枝の中から飛び出した。ちょっと顔をだしたスズメ。
「千住新橋」から下流を望む。青空の下。
「堀切橋」下流。「隅田水門」の説明板。
この水門は、荒川と隅田川を結ぶ水路(荒川―旧綾瀬川―隅田川)として二つの川の流れを調節する。荒川は、北区岩淵水門付近から明治末期から大正中期にかけて開削された放水路。 都内の治水事業としては最大級。旧綾瀬川は隅田川に流入していたが、荒川沿いに流れを変え、中川も荒川をはさんで分断された。また田畑や寺社、街並みなども移転・廃絶を余儀なくされた。
「荒川放水路(現「荒川」)」開削以前の地図(大正8年)。東に曲がり今の「荒川」中流付近を通っていた東武伊勢崎線が、荒川放水路開削のために現行のような線路になった。
当時は「堀切」駅はなかったようで、下の方(南側)に「鐘ヶ淵」駅が見える。また、京成電車(上野~青砥)はまだ開通していなかった。
水門から見た荒川。
水門脇にある東武線・「堀切駅」。昔ながらの駅。この付近はTVの「金八先生」でたびたび登場。
北西に曲がりながら北千住方向に進む。
線路越しに望む「スカイ・ツリー」。
「四ツ木橋」から上流を望む。
ということで、荒川を少しばかり。ただ西岸のサイクリングロードは途中、工事中。自動車の行き交う堤防の下を走るはめに。ちょっと残念でした。それでも、発見が少し。

















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