おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

秩父鉄道武川駅~寄居駅。その1。白鳥の飛来地。植松橋。「見目池」。(「荒川」を遡る。第6日目。)

2021-05-06 19:48:54 | 荒川を遡る

4月18日(日)。晴れ。

夜来の雨も上がったので、少し遅めに出かけました。今回は、熊谷駅でSLに出会いました。お客さんを順次誘導して、間もなく出発です。

            

 

当方は、各駅停車で「武川駅」に向かいます。

今回は、ここからスタート。大きな案内板。

                         「ここは白鳥の飛来地です」 

残念ながら市としての取り組みは終了したようです。  

深谷市白鳥飛来地の管理終了のお知らせ

川本地区の荒川河川敷では平成3年から白鳥への餌付けが行われ、白鳥飛来地として多くの人々が訪れてきました。しかし、鳥インフルエンザの問題や生態系への影響などを考え、平成20年度から餌付けを廃止しました。その後、白鳥飛来数は減少し、お越しいただく方々も同様に減少しております。
この現状を受け、深谷市及び深谷市観光協会では平成24年3月31日をもって、白鳥飛来地の管理を終了することとしました。ご理解いただきますようお願い申し上げます。
なお、今後も荒川に白鳥は飛来してきますので、ご覧になる場合には以下のことをお守りください。

  • 静かに観察してください。
  • 白鳥に餌を与えないでください。
  • 火災予防のため、禁煙にご協力ください。
  • ごみはお持ち帰りください。

白鳥の種類

白鳥1

白鳥の仲間は世界中に8種類です。北極に近い地方で繁殖しているオオハクチョウとコハクチョウ、 そしてアメリカコハクチョウ、北アメリカの一部に住むトランペッタースワン(ナキハクチョウ)、 南アメリカのアルゼンチンやチリに住むクロエリハクチョウと1番小型のカモハクチョウ、 ヨーロッパに広く住み皇居のお堀にも放鳥されているコブハクチョウです。 オーストラリア大陸北部には体も足も黒色のコクチョウが住んでいます。

コハクチョウとオオハクチョウ

深谷市に渡ってくる白鳥はコハクチョウとオオハクチョウです。オオハクチョウは、東北地方や北陸地方に主に渡り、関東地方に現われるのはまれです。
コハクチョウは、北極に近いシベリアのツンドラ地帯で子どもを育てます。ツンドラ地帯は夏には表面の氷が溶けて、温地帯となり大量の昆虫が発生します。コハクチョウは3~5個の卵を産み、29~30日でヒナが生まれます。ヒナは急速に大きくなり、エサのない厳しい冬が来る前に長い旅に出ます。
2種類の見分け方はオオハクチョウは体が一回り大きいこと、くちばしの黄色の部分が先の方までくさびのように広がっているところで区別できます。

(この項、「深谷市」HPより) 

現在は、もう少し荒川上流のところに「白鳥飛来地」があります。

川本白鳥の飛来地。(「Wikipedia」より)

その付近で、通りがかりの地元の方にお聞きしたら、たくさん白鳥が飛来してくるよ、見物客も大勢来る、さらにキジがけっこういて甲高い鳴き声がするよ、とのことでした。

この付近の荒川の流れ。  

                

遠くに「植松橋」が見えてきます。 

       

植松橋が開通する以前は植松の渡しと呼ばれる小川道に属する船二艘を有する官設の渡船で対岸を結んでいた。 渡船場はいつから存在していたかは定かではないが徳川幕府が渡船場に橋を架けることを禁じたことから遅くとも1867年慶応3年)12月9日までには存在していたと考えられる。場所は現在の橋のやや下流側に位置していたの位置が変わる度にそれに合わせて渡船場の場所を変えていた。馬渡しも行われ、2艘ある内の1艘は荷馬車を積載できる馬船もしくは耕作船と呼ばれる大型の船を運行していた。大政官令により架橋が解禁された1871年明治4年)より減水期である冬場を中心に木造の板橋による仮橋が架けられるようになった。渡船の運行は6時から20時までだが、時間外でも船頭に知らせて利用したいことを告げろことで渡してもらえた。渡船賃(通行料)は運行時間内であれば無料であった。渡船の廃止時点である1951年(昭和26年)までは県が運営を行っていた

植松冠水橋(昭和30年代)

日本初のコンクリート製の冠水橋(かんすいきょう)として架橋され1951年(昭和26年)4月28日完成および開通した。 橋長133メートル、幅員3.6メートル。増水時における水圧に対処するため、水面からの高さは2メートルと低くなっている。欄干は設置されなかった。道幅が狭いことから片側交互通行であった。大型車の通行は可能で、多い日は一日約500台の大型トラックが通過した。橋は河川区域内を通る左岸側の取り付け道路が橋面よりも低くなっていてその箇所が冠水しやすく、年に数回渡橋が不能になるため、南側延長工事を行ない、昭和36年完了した。これにより橋の長さは175メートルに延長された。 この橋の開通は沿岸両村の合併のきっかけとなり、1955年(昭和30年)2月11日両村は合併して両岸とも川本村となった。 冠水橋は現在の永久橋が竣工した後も使用は継続されたが後に撤去された。

(この項、「Wikipedia」参照)

この先に「水管橋」が架かっています。

              

いったん「秩父往還(国道140号線)」に出ます。

                          通りの向こうは秩父鉄道。

さらに一本、川寄りの道を進みます。

右手に「見目池」。「見目池絶えることなく清水湧く」。

深谷市の上水道の水源の一つとなっているようです。

かつてこの池のそばには、大きな古いケヤキがあったそうです。

右手奥に「水管橋」。

                       

     

               


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