おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「隅田川」。千住から岩淵水門まで。その1。カミソリ堤防。お化け煙突。帝京科学大。

2021-03-01 18:56:08 | 隅田川

                左手上に、「京成上野線」鉄橋。

2月28日(日)。晴れ。さっそくやってきました。

千住大橋から下流は以前、断続的に探索したので、今回は、京成線「千住大橋」駅下車、「隅田川」左岸に。

堤防(俗に言う「カミソリ堤防」)が高くそびえ立ち、京成線の鉄橋も少し見えるのみ。ここからスタート。

しばらくはこんな道を。出来るだけ、「隅田川」沿いに。

運送会社のところも進んでいきます。

堤防脇の道。かなり高くなっています。この辺は、地面より水面が高いのでは? 

やっと金網越しに「隅田川」の水面が。

対岸(荒川区町屋側)の風景。

下流方向。釣り人もチラホラ。

テラス風のところへ。右手は「帝京科学大学キャンパス」。

          

以前の汚さが嘘のよう。水鳥の姿も。

 

   遠くにスカイツリー。                   上流にある「尾竹橋」。

右手にはモニュメントが。

右手奥に煙突(一部)。手前が煙突の20分の1のモデル。

                    上部が実物の煙突。

「お化け煙突モニュメント」解説板。

『お化け煙突』は、大正15年1月から昭和38年3月までこの地で操業した千住火力発電所に設置され、約40年間親しまれてきました。この煙突は4本ありましたが、時には3本になり、2本、1本に見えました。実際には4本の煙突が左図のように薄い菱形に配置されていたため、見る角度によって4本から1本に変わりました。このように場所によって煙突の本数が異なって見えたのが名前の由来です。・・・

千住火力発電所は、昭和39年11月に解体され、その後、煙突の一部が足立区元宿小学校で滑り台として残され、このたび帝京科学大学千住キャンパスにモニュメントとして再生することになりました。モニュメントの上半分が実物の煙突です。縮尺20分の1のモデルで煙突の見え方を体験して下さい。

点線部分が「帝京科学大学」。

現在、敷地の一部は、東電の変電所等に使用されています。

 

 お化け煙突は千住火力発電所の4本の煙突で、上から見ると、ひし形に配置されていたために見る場所により1本にも2本にも、さらに3本にも見えました。1本に見えるのは千住の旧区役所(現あだち産業芸術プラザ)方向と本木一丁目27番南側の荒川左岸(北側)の2方向でした。

 発電所は、現在の千住桜木一丁目13番北側の荒川(現隅田川)右岸に大正15(1926)年1月に建設され、煙突の高さは83.82メートルあり、レンガでできていました。その後、昭和30年代に周囲を鋼板で補強しました。しかし、老朽化と効率化のため昭和38(1963)年に発電所が解散され、翌年秋から解体工事を実施、11月末には完全に姿を消してしまいました。不思議な煙突は、五所平之助監督の映画「煙突の見える場所」(昭和28・1953年)で全国的に知られるようになったほか、漫画や文芸作品にも数多く取り上げられ、親しまれました。

  

1本                2本

 

3本                4本

(この項、「足立区」HPより。写真も。)

稼働時の千住火力発電所(昭和20年代の撮影)(「Wikipedia」より)

京成電車に乗ると、この「お化け煙突」に見入ったものです。京成電車は一つ手前の関屋駅から高架線になり、右に左にカーブし、千住大橋駅となります。煙突の本数が刻々と変化していくのを眺める、そんな楽しみがありました。ただ、上記によると、1本、または2本に見えることはなかったのですね。今回初めて知りました。

「帝京科学大学」。

 


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