![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/ba/58ad05b2e51509222f67d5fea16de1a1.jpg)
「風の子公園」(左手)。
「保育園」を過ぎ、「クスリのアオキ」のところを右折、「公園」に向かいます。公園のところから旧道が復活します。「県道312号線」に出ますが、その道沿いの「女塚会館」に道標があるということで探しましたが、会館が見当たらず(空き地?)、道標も見つけられません。
(9:00)そのまま東武線の踏切に向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/14/ea333116bc4616b5d10bc75eafe8b6e2.jpg)
「県道312号線」が「日光例幣使街道」をほぼなぞっています。踏切を越えると、右、左と直角に曲がっていきます(旧道は失われています)。
途中にあった、摩滅した庚申塔。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/09/8c24785d879a883819709e1fcee19faa.jpg)
(9:10)やがて「早川」を「三ツ木橋」で渡ります。左手遠くに「赤城山」が。今回、初めて見ました。(↓)
「国道17号線バイパス(上武道路)」の高架の手前で「太田市」に入ります。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/0b/25eb6bc05b4ef6ffa57fc38ec7338ce0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/72/a906b81081bd686e2fac580c1cf61aa7.png)
1880年代のようす。○が「三ツ木橋」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/6c/98ffb3c61eb5659c27ff1e1cede86d50.jpg)
2010年代のようす。
「小角田」交差点にあるコンビニで食料を調達がてら涼む。暑い!
その先、道は「国道354号線」の土手にぶつかるので迂回し、回り道をして「小角田北」交差点から国道を進み、旧道に復帰します。
(9:40)国道の向こう側、来た道(西側)を望む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/7a/695c8895396821ca544ab4fb67c7a8c2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/80/7050d1355b2ccdbe079030e3eb4cc2b7.jpg)
1880年代のようす。○が上の写真の位置。 2010年代のようす。
左手奥に「赤城山」。
「新田中江田町」交差点が行く先に見えます。そのまま「県道312号線」を進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/4d/8186b4150b22a9482a575dcb8485bcf0.jpg)
(9:44)「県道312号」という標識。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/a9/592a61ed3c2a50c69383aa873e9368bc.jpg)
しばらく木陰のない単調な道を東に向かいます。「矢抜神社」、「来迎寺」と過ぎます。
暑さの中、日陰もない道を歩いていると、どこかに涼しいところはないか、お店はないか、と。コンビニが唯一の逃げ場です。
人も通らず、車もたまに。
ところでこんな話があります。
ゆすり(強請)の語源は、日光例幣使にあった!
例幣使一行は、京都から中山道、日光例幣使街道を通り、玉村、天明宿、鹿沼宿、今市宿と宿泊し、日光へ到着、東照宮へ幣帛を奉納しました。一日約40キロ。「中山道」の道のりも入れると14泊15日でした。
しかし、一行は横暴の限りを尽くし、評判の悪いものだったといわれています。
朝廷の威光をかさにきた公卿は乗っている駕籠をわざと揺すって進めなくしたり、自ら駕籠から転げ落ちたりし、あれこれと因縁を付けて、街道の人々から金品を要求しました。立場の弱い者に対してゆすり、たかり、脅す。これが、「ゆす(強請)る」の語源となっています。
さらに一行は、江戸に出ると、日光から持ち帰った前年の、切り刻んだ幣帛を江戸住まいの諸大名に送りつけ、金品を要求したそうです。
こういう行為が続けば「ゆすり」という言葉も、自然と日本語として定着するわけです。
日光例幣使は朝廷(天皇)の幕府への義理立て的要素があり、日光例幣使の人選は、下級の公家・役人が主。そういう者たちが派遣されて相当な金品を懐にしたといわれます。
(以上、「
HP」等を参照)
「ゆすり」「たかり」。今もそうした体質がしっかり根付いている世界、政界? がありますね。「ゆすり」の漢字が「強請」というのも言い得て妙です。
『ゆすり』=おどして金品をまきあげること。また、そういう人。
『たかり』=おどしたり泣きついたりして金品をまき上げ、また、食事をおごらせること。(『広辞苑』より)
閑話休題。
(9:57)右手に正徳5年(1715)建立の「三本辻地蔵堂」。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/47/2e8d6e860260eae08a6a587a5a8f8cc1.jpg)
本地蔵尊のある場所は、かつて例幣使道から分かれて利根川中瀬の渡しに通じる道がありましたが、斜めの道であったために、明治時代に施行された耕地整理の際、消滅してしまいました。
・・・
中山道は西国札所への道順で、例幣使道柴宿は板東札所・水沢・白岩観音への道順で、中瀬道は秩父札所への道順です。
お堂の脇には馬頭観世音、二十二夜塔、庚申塔があり、![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/9c/f94eb4b820d2d6c9a77c52141f0385a4.jpg)
また、「太田日光道 三本辻地蔵尊・「四ば倉がの道・旧日光例幣使道・秩父中瀬道」と刻まれた新しい道標があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/ae/ef85f4cafa65481eae2324318151e6fc.jpg)
街道筋の農家。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/12/7de1a3b216aa6a4a3a74ce96d1223d2f.jpg)
まっすぐな道が続きます。「木崎宿」入り。
(10:07)左手に「山崎酒造」。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/81/95d85f230572ca7df50a1c68d1ab8cef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/cd/81ff01aab156c43c11eee6e6bb836263.jpg)
この先を進むと、「木崎宿」碑があります。
「保育園」を過ぎ、「クスリのアオキ」のところを右折、「公園」に向かいます。公園のところから旧道が復活します。「県道312号線」に出ますが、その道沿いの「女塚会館」に道標があるということで探しましたが、会館が見当たらず(空き地?)、道標も見つけられません。
(9:00)そのまま東武線の踏切に向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/14/ea333116bc4616b5d10bc75eafe8b6e2.jpg)
「県道312号線」が「日光例幣使街道」をほぼなぞっています。踏切を越えると、右、左と直角に曲がっていきます(旧道は失われています)。
途中にあった、摩滅した庚申塔。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/09/8c24785d879a883819709e1fcee19faa.jpg)
(9:10)やがて「早川」を「三ツ木橋」で渡ります。左手遠くに「赤城山」が。今回、初めて見ました。(↓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/13/55d85686327c47850fc64e89ac346412.jpg)
「国道17号線バイパス(上武道路)」の高架の手前で「太田市」に入ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/0b/25eb6bc05b4ef6ffa57fc38ec7338ce0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/72/a906b81081bd686e2fac580c1cf61aa7.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/c8/ef226dc1e4e145b33ffe22b83c867bc6.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/6c/98ffb3c61eb5659c27ff1e1cede86d50.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/9b/68c0f727c4cd9f8ada73fe21c76195bf.jpg)
「小角田」交差点にあるコンビニで食料を調達がてら涼む。暑い!
その先、道は「国道354号線」の土手にぶつかるので迂回し、回り道をして「小角田北」交差点から国道を進み、旧道に復帰します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/b0/5c3cb3fc7989a21e2180184b9e37b866.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/8c/b08d7844c25b4b2947da918fc18a3dc3.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/7a/695c8895396821ca544ab4fb67c7a8c2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/a8/01d9cefdec620033d155f7d07f3ad98d.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/80/7050d1355b2ccdbe079030e3eb4cc2b7.jpg)
1880年代のようす。○が上の写真の位置。 2010年代のようす。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/c4/3fb7479a856d4daea29a8da27496fa61.jpg)
「新田中江田町」交差点が行く先に見えます。そのまま「県道312号線」を進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/4d/8186b4150b22a9482a575dcb8485bcf0.jpg)
(9:44)「県道312号」という標識。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/a9/592a61ed3c2a50c69383aa873e9368bc.jpg)
しばらく木陰のない単調な道を東に向かいます。「矢抜神社」、「来迎寺」と過ぎます。
暑さの中、日陰もない道を歩いていると、どこかに涼しいところはないか、お店はないか、と。コンビニが唯一の逃げ場です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/f8/e1c1c04a0d9c9588ca4fff401f02b663.jpg)
ところでこんな話があります。
ゆすり(強請)の語源は、日光例幣使にあった!
例幣使一行は、京都から中山道、日光例幣使街道を通り、玉村、天明宿、鹿沼宿、今市宿と宿泊し、日光へ到着、東照宮へ幣帛を奉納しました。一日約40キロ。「中山道」の道のりも入れると14泊15日でした。
しかし、一行は横暴の限りを尽くし、評判の悪いものだったといわれています。
朝廷の威光をかさにきた公卿は乗っている駕籠をわざと揺すって進めなくしたり、自ら駕籠から転げ落ちたりし、あれこれと因縁を付けて、街道の人々から金品を要求しました。立場の弱い者に対してゆすり、たかり、脅す。これが、「ゆす(強請)る」の語源となっています。
さらに一行は、江戸に出ると、日光から持ち帰った前年の、切り刻んだ幣帛を江戸住まいの諸大名に送りつけ、金品を要求したそうです。
こういう行為が続けば「ゆすり」という言葉も、自然と日本語として定着するわけです。
日光例幣使は朝廷(天皇)の幕府への義理立て的要素があり、日光例幣使の人選は、下級の公家・役人が主。そういう者たちが派遣されて相当な金品を懐にしたといわれます。
(以上、「
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/0f/c0bcab7b7e0336f86157342b5ad837db.png)
「ゆすり」「たかり」。今もそうした体質がしっかり根付いている世界、政界? がありますね。「ゆすり」の漢字が「強請」というのも言い得て妙です。
『ゆすり』=おどして金品をまきあげること。また、そういう人。
『たかり』=おどしたり泣きついたりして金品をまき上げ、また、食事をおごらせること。(『広辞苑』より)
閑話休題。
(9:57)右手に正徳5年(1715)建立の「三本辻地蔵堂」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/47/2e8d6e860260eae08a6a587a5a8f8cc1.jpg)
本地蔵尊のある場所は、かつて例幣使道から分かれて利根川中瀬の渡しに通じる道がありましたが、斜めの道であったために、明治時代に施行された耕地整理の際、消滅してしまいました。
・・・
中山道は西国札所への道順で、例幣使道柴宿は板東札所・水沢・白岩観音への道順で、中瀬道は秩父札所への道順です。
お堂の脇には馬頭観世音、二十二夜塔、庚申塔があり、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/9c/f94eb4b820d2d6c9a77c52141f0385a4.jpg)
また、「太田日光道 三本辻地蔵尊・「四ば倉がの道・旧日光例幣使道・秩父中瀬道」と刻まれた新しい道標があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/03/06ca558231ad08f024295431c16937e7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/ae/ef85f4cafa65481eae2324318151e6fc.jpg)
街道筋の農家。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/12/7de1a3b216aa6a4a3a74ce96d1223d2f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/1f/6475fa5f839dc48e5ab875864a380d72.jpg)
(10:07)左手に「山崎酒造」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/81/95d85f230572ca7df50a1c68d1ab8cef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/cd/81ff01aab156c43c11eee6e6bb836263.jpg)
この先を進むと、「木崎宿」碑があります。
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