おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東武「境町」駅~「太田」駅。その1。(「日光例幣使街道」第2日目。)

2018-07-04 20:28:22 | 日光例幣使街道
                        赤レンガ倉庫(前回撮影)。
(8:29)駅を出てすぐ左手にある解説板。
境赤レンガ倉庫の歴史
 境赤レンガ倉庫は、境運輸倉庫株式会社により大正8年(1919)に「繭の乾燥場」、「繭の保管庫」として建設された2階建て総レンガ造りの倉庫です。
 この倉庫は、戦時下に兵士用の食料の乾燥場として使用され、蚕糸業の衰退後は、電気部品製造工場の製品庫として使用されました。
 また、この倉庫からの繭の輸送には東武伊勢崎線(明治43年(1910)開通)が利用され、世界遺産である「富岡製糸場」にも運ばれていたとのことです。
 平成28年(2016)にぐんま絹遺産に登録されたこの倉庫は、かつて蚕種、養蚕、製糸、織物などの絹産業で栄えた境地区の歴史を今に伝える貴重な遺産です。

 6月30日(土)。晴れ。前回とはうって違って猛暑。紫外線:きわめて強い、熱中症:危険。という予報が出ています。さすが全国有数の高温地帯の、伊勢崎から太田を歩くという計画。本当は群馬県から栃木県入りして「福居」駅までのつもりでしたが、身の危険を感じ、太田駅まで。
 歩く先々、公園で休み、スーパーで休み、お酒屋さんで休み、と。12,3㎞。約2万4千歩でした。

「日光例幣使街道」に出る左角に「境町道路元標」。

 「境駅駅前」交差点を突っ切って進むと、「長光寺」境内に芭蕉の句碑がありますが、パス。
春も漸(やや) けしき調ふ 月とむめ 芭蕉 

 この句は、各地でも刻まれています。訪ねていれば「足立区立郷土博物館」、「向島百花園」に次いで三ヶ所目に。

進む方向を望む。右手は「伊勢屋」。

旧道沿いらしい商家が続きます。

間口が狭く、奥に伸ばす建て方。

「売り地」の看板がチラホラ。

右手の角に「利根川の渡し場」道標。

「板倉屋薬局」の看板建築。旧道ではよく見かける。

「日光例幣使道 境宿」。背後は空き地。
境宿
 鎌倉時代から広瀬川の舟運で発達した集落で、例幣使街道が開通すると柴宿と木崎宿の間宿として問屋場が置かれたが、幕末の文久3年(1863)に正式に宿場に格上げされている。毎月、二と七の付く日に行われる六斉市は大変な賑わいで、特に生糸の取引は上州一と称され、明治以降は伊勢崎織物の一大生産地へと発展していく。

かなり痛んだおうち。ここも早晩、空き地になるか? 

「ここより例幣使道 境宿」の標示。宿の東のはずれ。

(8:40)右手に「菓庵 水戸屋」さん。和菓子屋さんです。
 
                                       店の前に「かりやど宿」の石碑。幕末まで「間の宿」でした。

左手角に次の「木崎宿」への標示。

 (8:43)「木崎」に向かう前に枡形の道へ。蕎麦屋「ながしま」と「大竹鉄工所」の間の細い道を右折、コの字型に進みます。


左折する角に「東町の道しるべ」。 

 
 この石造物は、横町の人三名が、西国、四国、秩父、板東の観音霊場巡拝の供養塔と道しるべをかねて天明七(一七八七)年に建立したものです。東面「此方世良田 たてばやし道」、西面「右江戸なかせ 左日光きさき道」、北面「こくりやう いせさき」とあることから、この場所が、日光例幣使道と世良田道(館林方面)、江戸道(深谷方面)が交差するところでした。当時、例幣使道が東毛地域をつなぐ交通網の幹線道路であり、横町から四方に広がる様子がわかります。
 
左折して県道に。正面は「境稲荷神社」。

神社の一角にも芭蕉の句碑。

時鳥 招くや麦の むら尾花 翁 上毛新田境村
 「時鳥(ホトトギス)」は、芭蕉の場合、「郭公(音は「かっこう」)」とも表記されるという。

 時鳥を手招いてでもいるのか、ススキのように穂を垂れて、風にそよいでいる麦は。

 季語は「時鳥」で「夏」。ただし、句中に「尾花」=すすきとあり、これだと「秋」。しかし、すでに「時鳥」はいないはず。さらに「麦」とあってやはり「夏」。したがって、ここでいう「むら尾花」は麦畑一面、穂を垂れているようすを指しているか?


 屋久島以北の山地の林に飛来。北海道では南部のみで少ない。
全長:28cm。ヒヨドリほどの大きさ。腹のしま模様はカッコウより太く、少ない。
主にウグイスに托卵する。
飛びながらよく鳴き、夜も鳴く。
雄の声はキョッキョッキョキョキョキョという鋭い声で「テッペンカケタカ」「特許許可局」などと聞きなしされる。
(以上、「」HPより)

「ホトトギス」にちなむ歌といえば、
・ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる (後徳大寺左大臣『千載和歌集』)
・目に青葉 山ほととぎす 初鰹 (山口素堂)

 やっと「境宿」を出て次に向かいます。この時点でけっこう蒸し暑い! もう汗が噴き出してきます。この先どうなるか?
                            

1880年代のようす。○が稲荷社付近。その先、大きく曲がっています。  

2010年代のようす。道が付け替えられています。

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