おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

古隅田川跡をたどる①(足立区と葛飾区の区界。中川~北三谷橋付近)

2012-07-01 12:52:17 | 河川痕跡
 現在の足立区と葛飾区の境界線は、亀有駅東南・常磐線鉄橋下流の中川橋(旧水戸街道)付近から綾瀬駅の西南・小菅東京拘置所脇まで、くねくねと曲がって続いている。これが古隅田川跡。荒川をはさんで、流路は北千住駅東・柳原付近をカーブしながら東に移り、隅田川の水神(隅田川神社)上流付近で現在の隅田川への流路となっていく。
 その昔、大化元年(645)の頃、国、郡、里が制定され住田河(隅田川、古隅田川)の現・足立区側が武蔵国足立郡、現・葛飾区側が下総国葛飾郡として両国の境界が設定された。以後、今に至るまで、足立区と葛飾区との境界線として引き継がれている。
この付近が中川との合流点。葛飾区と足立区との区界になっている。
西側を望む。右が足立区、左が葛飾区。サイクリング・ジョギングロードもここを境に管理が葛飾区と足立区に分かれる。
左手の空き地が、かつてあった足立区長門排水機場跡。
けっこう広い敷地のまま。
「アリオ亀有」(かつての日本製紙工場跡)付近から常磐線のガードをくぐり、古隅田川跡の遊歩道が北に向かって続いていく。右が足立区、左が葛飾区。
住宅地の中を西に向かって続いている。狭い路地をはさんで、足立区(右)と葛飾区(左)に分かれる。
歩行者と自転車しか通れないため、安全。
「環七」にぶつかる。ほぼ西に進む。
「環七」を渡ったところ。「亀有5丁目」バス停付近。
遊歩道は右の細い道だが、かつては川幅はもっと広かったはずで、このあたり、南北の細い道にはさまれて細長く建物が続く。かつての川幅を想像させるが・・・。
遊歩道も広くなったり、狭くなったりしながら進む。
葛西用水との合流点。かつての流路を彷彿とさせるカーブ。
北三谷二号橋跡。西に向かってまだまだ続く。今回は、ここまで。
足立区東和銀座商店街。通称「アモール東和」。古隅田川を暗渠にした道路に沿った形をしているが、この商店街もかつての川筋ではなかったか。閉まっている店舗がぽつぽつと見られたのが残念。
古隅田川跡。左が東和銀座商店街。

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