「安房鴨川駅」から「江見駅」までの歩き旅。
1月19日(金)。あいにくの曇り空時々晴れ。しかし、強い風もなく、穏やかな日和でした。
「安房鴨川駅」。
駅前の通りを進み、「伊南房州通往還=房総東往還」に出ます。
左側は海岸。
曲尺手(桝形)。
「加茂川」。河口方向。
「加茂川」をはさんで旧市街地が続きます。
鴨川(市)のゆらい
- 「千葉県町村合併史」には、「明治22年の合併に当り新町の名称は、鴨川町と決定したが、それは新町内を加茂川が貫流し、且つまた「倭名類聚抄」に長狭郡に加茂郷の郷名がみえ、それが当地区で在ったと推定されるので、そうした史的所伝に基づくものである。」と記載されています。
- なお、「倭名類聚抄(ワミョウルイジュショウ)」(和名抄)とは、平安中期の漢和辞書です。
- 「鴨川沿革史」(昭和39年2月・鴨川図書館)には、「古昔この地方を賀茂(カモ)郷と称した。)平塚(ヒラツカ)村より前原町・貝渚(カイスカ)村まで5里の間を貫流している川は、京都の鴨川に似ていると云うので加茂川と称したのを、明治22年4月の町村合併の時、町名に「加茂」を「鴨」に作り鴨川町と名付けた。」とあります。
- 以上が代表的なもので、諸説がありますが確かなことは分かりかねます。
この付近から緩い上り坂(「万騎坂」)になります。「←鴨川漁港」。
万騎(まんき)坂
古くから漁師町としての雰囲気が漂う貝渚と磯村地区を結ぶ万騎坂。源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、逃げのびた後、仁右衛門島にて身を隠し静養した後、再起し、鎌倉へ向かった際に万にものぼる味方とともにこの坂を進んだことが、この名称の言われ。近くにある白幡神社も源氏のシンボルである「白旗」にちなんでいるのは、偶然ではないはず。
※「万騎坂」という名の坂は、袖ケ浦市にもあり、ここと同様に、頼朝が再起して鎌倉に向かった、とのいわれがあるようです。
鴨川漁港。
左に海を眺めながら、ゆっくり上り坂を。
眼下には、「鴨川松島」。大小七つの島(荒島 こうじま・弁天島 べんてんじま・鵜島 うじま・雀島 すずめじま・波涛根島 はとねじま・猪貝島 いがいじま・海獺島 あしかじま)の総称であり、宮城県の松島を思わせる景観からその名がついた。
中央に「雀島」。
車道に合流します。
正面の丘の上には、「JOSAI」(城西国際大学安房キャンパス)。
県道に出てすぐ右の細い道に入ります。坂道の向こうに海。
県道に合流。
「なぶとばし」。
「内房線」の鉄橋。
その奥は、「国道128号」。
左折し、、仁右衛門島へ向かいます。
漁港。
対岸に「仁右衛門島」。
県道に戻って先に進みます。左下に、
「太海フラワーセンター(植物園)」(廃園)。現在は、「太海フラワー磯釣りセンター」。
この先で、右からくる「国道128号」に合流します。
浅間宮の常夜燈。
左はツナツリ(綱吊り)で、昔はここに大きな「綱吊りの松」があり、この先の「天面(あまつら)村」への悪病・悪霊などの侵入を防いでいたという。
※「綱吊り」=「道切り」
左下の道路には、
「高波注意」。
海岸際を通る国道128号線。
掲示板「はば取り解禁日」
この「はば」って何?
ハバノリ(はば海苔)
褐藻綱カヤモノリ目カヤモノリ科セイヨウハバノリ属に分類される一年生の海藻である。(「Wikipedia」より)
・・・
生態系も海苔と同じように、秋頃になると胞子を出して、晩秋に発芽し、冬から春の海水温が冷たい時期に生育します。
日本の全域の沿岸の岩場で自然に生育しており、千葉県では岩場が多い勝浦・鴨川・南房総や銚子方面などで採取されることが多いようです。岩海苔と間違えられることも多いようですが、正確には「岩コンブ」ですね。
はばのりは数日間天日干しされて乾燥し、このように販売されています。
年越し・年始の郷土料理として昔から親しまれています。※静岡県の下田・熱海などの三浦半島方面でも食す文化があるようです。
これは自身のまたはその家の成長を祈願して、1年中「ハバ」をきかせる=幅を利かせる と、ゲンを担いだ縁起物としてありがたくいただくわけです。
国道128号」に合流します。
バス停「天面(あまつら)漁港」。
国道を離れ、内房線踏切へ。
「江一号踏切」。
眼下に、
「外房黒潮ライン(国道128号)房州大橋」。
右に見える内房線「山生橋梁(やもうめきょうりょう)」は歴史的に貴重な建造物として2012年「土木学会選奨土木遺産」に認定されました。
「道の駅 鴨川オーシャンパーク」脇へ。旧道は、この施設の向こう側、海側を進んでいきます。
ユニークな建物。
そのまま「国道128号」を歩くことに。
バス停「名馬橋」。
この地名も頼朝伝説にちなみます。そこで、まとめて。
源頼朝と鴨川
- 治承4(1180)年、伊豆で反平家の兵を挙げた源 頼朝は、相模(サガミ)の石橋山の戦いに敗れて、真名鶴岬(マナヅルミサキ)(現神奈川県真鶴)から小舟で逃れ、安房国平北(ヘイホク)郡猟島(現鋸南町(キョナンマチ)竜島)に上陸して再挙を図ったという史実は、良く知られています。
- 猟島に上陸したのが8月29日(旧暦)のことで、それから9月13日までの14日間、安房に留まり、安房、上総の武士団を集め、13日に安房を出立して上総に向かったといいます。
- この14日間の安房に於ける頼朝の行動に関連して、頼朝にまつわる話がいくつか市内に伝えられています。
- 一戦場 =頼朝が安房に上陸した4日後の9月3日のたそがれ時に、平氏に心を寄せていた当地の住人、長狭六郎常伴(ナガサロクロウツネトモ)は、頼朝を討とうと企て、宿所を襲ったが、頼朝の従者、三浦義澄(ミウラヨシズミ)らに討ち取られたといいます。この戦いがどこで行われたか明らかではありませんが、市内貝渚(カイスカ)に「一戦場(イッセンバ)」という地名があり、その場所とする伝承があります。
- 仁右衛門島 =石橋山の戦いに敗れた頼朝は、わずかの兵を引き連れて波太(ナブト)(現鴨川市太海浜(フトミハマ))の仁右衛門島(ニエモンジマ)に上陸しました。島主の仁右衛門は、頼朝一行を厚くもてなし、その再挙を助けました。喜んだ頼朝は、仁右衛門に「平野(ヒラノ)」の姓と島周辺の漁業権を与えたといいます。
- 名馬太夫黒 =頼朝が再挙を図って太夫崎(タユウザキ)(現鴨川市江見(エミ)太夫崎)まで来た時に、たまたま岩に蹄の跡(馬蹄石)を見つけました。このあたりに良い馬がいるのではないかと捜したところ、近くの洞穴で黒い毛並みの立派な馬を見つけました。そこで地名を採って、この馬に「太夫黒(タユウグロ)」と名を付け、頼朝の乗馬となりました。後に、磨墨(スルスミ)と呼ばれました。洞穴の前を流れる小川を「名馬川(メイバガワ)」といいます。
- 旗かけ松 =頼朝は、安房から上総に兵を進めるため、東条広場(現鴨川市広場)の松崎(マツザキ)(待崎(マッサキ))に至り、傍らの松に源氏の白旗を掲げて上総介平広常(カズサノスケタイラノヒロツネ)の到着を待ったところから、この名があるといわれています。
この松はその後、天保(テンポウ)の旱魃(カンバツ)で枯れたので松のあった所に石碑を建てました。石碑の正面に「頼朝公旗掛松(ヨリトモコウハタカケマツ)」、裏面に「文久2年秋9月これを建てる」と刻まれています。
旧道方向へ進みます。
この先で国道128号を横断します。
海から離れた道を進みます。静かでのどかな田園風景。
この道が、かつては主要道であったことがわかります。水準点(15.5)。
集落に入っていきます。
右折すると、「江見駅」。その角にあるおうち。
南国風の大木。フェニックス(Phenix)カナリーヤシ :
古代エジプトの想像上の鳥で、不死鳥と訳される。フェニックスはアラビアまたはフェニキアに住み、史実タキトゥスによれば、500年毎に太陽の都ヘリエポリスを訪れ、生命の終わりが近づくと香木を山と重ねて火をつけ、自らを焼き、たえなる歌声とともに死に至るといわれている。そしてその灰の中から蘇るのが次代のフェニックスであり、同時に二羽のフェニックスはこの世に存在しない。
ギリシア語のフォイーニックスは、フェニキア、紫、ナツメヤシの三つの意味を持つ。そこで、生地はフェニキア、王者の色としての紫の色を身にまとうといい、勝者のシンボルとしてのナツメヤシと同一視される。
「江見駅」・「江見駅郵便局」。
- 2019年(令和元年)7月1日:鴨川市への乗車券類販売委託(簡易委託)を解除し、終日無人化。
- 2020年(令和2年)8月31日:郵便局と一体化した駅舎に建て替えると共に、江見駅郵便局(日本郵便)に乗車券の販売や列車の案内業務等を委託。
- 2021年(令和3年)4月27日:農産物集荷場「JRE農業ステーション江見駅」を開設。
日本郵便が駅業務を受託している安房鴨川駅管理の業務委託駅。平日の郵便局営業時間内は当駅舎内にある江見駅郵便局が駅業務の取扱を行なっている。自動券売機は設置されておらず、ICカードチャージ機、簡易Suica改札機、乗車駅証明証発行機が設置されている。また駅舎(局舎)内にはゆうちょ銀行のATM、水洗式トイレ(男女別)が設置されている。
- 2018年(平成30年)6月12日:「日本郵便とJR東日本の地域・社会の活性化に関する協定」に基づき、当局業務と江見駅窓口業務の一体的な運営を開始すると発表。郵便局が駅業務を請け負うのは当局が全国初の事例である。
- 2020年(令和2年)8月31日:江見郵便局が当駅舎内に移転し、江見駅郵便局へ改称。
駅内(局内)。
左にある棚・窓口が江見駅。
郵便ポスト。
かつてあった郵便列車「クモユニ74012」をモデルにした、とのこと。
こ線橋から。右に駅舎・局舎。
内房線下り線ホームにて。
駅と郵便局が一体化している、JRとして全国初(唯一)の「江見駅郵便局」を訪れたのは、ラッキーでした。
ただ、郵便局の受付には10人ほど来ていましたが、駅の乗客は小生1名でした。