おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その7。「和田サーフ橋」。「元禄地震記念碑(句碑)」。フラワーライン。館山駅行きのバスに乗る。(「房総東往還」を歩く。第10日。)

2024-02-15 19:50:17 | 房総東往還

三原川河口にある「和田サーフ橋」。

国道脇には村社・浅間社の石柱と元禄16年の大地震の記念碑(句碑)があります。ただし、かなり摩滅していて判読できません。

碑の裏には、地震の被害のようす等が記されている、とのこと。解説板を設置して頂けると、ありがたい。

  元禄地震は元禄16年11月23日(西暦1703年12月31日)の未明に発生した。地震の規模はマグニチュードM7・9〜8・2とされ、1923(大正12)年の関東地震(M=7・9)よりやや大きい。
大正12年(1923年)に起きた関東地震(関東大震災)と類似のタイプの海溝型地震である上に、震源分布図も類似することから大正関東地震以前の相模トラフ巨大地震と考えられている。ただし、規模や震源域、地殻変動などは大正関東地震よりも大きいものであった。大規模な地盤変動を伴い、震源地にあたる南房総では海底平面が隆起して段丘を形成した元禄段丘が分布し、野島岬は沖合の小島から地続きの岬に変貌したという。

元禄16年 地震。

大正12年 関東大地震。

※ほとんど重なっています。

南房総の各地には、この「記念碑」と同様の慰霊碑、記念碑があるようです。

歩道が広くなっています。

かつての道は、右に向かい「三原川」を越えていました。その名残か?

     内房線の鉄橋。

この付近の今昔。  

         (1880年代)                  (現在)

「和田サーフ橋」。

               日の出のスポットだそうです。

※三原川は南房総市の西神社付近を源流とし白渚海岸に注ぐ二級河川。全長はおおよそ15km。途中で今平川、西平川と合流し小向ダム経て白渚海岸に注ぐ。

バス停「あさひ橋」。

水準点(6.0)。

下三原交差点。

「←白浜・千倉への道」。

              この先、道路と橋の付け替え工事中。

「温石(おんじゃく)川」河口方向。

「フラワーライン入口」交差点。

「フラワーライン」。

館山市下町交差点から南房総市和田町までの約46kmの海岸線の道路が房総フラワーラインと呼ばれます。
その名の通り、1月から春にかけては菜の花、夏にはマリーゴールドと、季節の花々が道沿いを彩ります。
また、伊戸から相浜までの約6Kmは昭和61年9月3日に「日本の道百選」にも認定されました。このフラワーラインは美しい砂浜の平砂浦海岸沿いにありますが、海岸と道の間には冬季の強い南西の風を防ぐためのクロマツ林が広がっています。この砂防用の松林と砂浜の美しさから、平砂浦海岸は「白砂青松 100選」に選ばれ「平砂浦海岸遊歩道」も整備されています。
そのほかフラワーライン周辺には、洲埼灯台、南房パラダイス、ゴルフ場や館山野鳥の森、安房神社などの観光ポイントが数多くあります。
空気の澄んだ日には富士山や大島・利島などの伊豆諸島を見ながらのドライブが楽しめます。

(この項「」HPより)

槇の生垣が続く道を進みます。

「南三原駅」まで歩き、そこから館山駅行きのバスに乗る予定でしたが、・・・。

目の前のバス停の時刻表を見ると、まもなくバスが来る予定。駅より少し手前ですが、乗ってしまいます。

「(南房総市立)嶺南中学校和田校舎前」バス停。 

内房線は「南三原」から「千倉」など経由して房総半島の南端を回り、館山まで向かいます。

「伊南房州通往還(房総東往還)」はほぼ南西に直線で館山まで。海岸からは離れ、内陸部を進みます。 

と、弁解がましいですが、途中を省略してバス旅に。

館山市街地に入ったら、そこから往還の終着点まで歩く、という算段。

この付近の今昔。

                                     (「今昔マップ」より)       

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