おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

徳次郎宿。六本杉。・・・(「日光道中」をゆく。その43。)

2016-07-07 22:44:56 | 日光道中
 山並みが身近に見えてきます。

 (10:09)「徳次郎町」の落ち着いた街並みに入って来ました。けっこう日差しが強くなってきます。
    

 大谷石造りの建物が並んでいます。
    

       

右手奥の山の手前の小高い丘にあったのが「徳次郎城」? 

「中徳次郎」バス停。

 「中徳次郎」交差点の手前には「田中道」道標。
    
 「神社入口約五丁 田中道」とあります。当時、徳次郎宿の本陣や問屋場があった付近のようですが、痕跡は見つからず。

そこで、

徳次郎宿
 日光街道18番目の宿。
 上徳次郎宿、中徳次郎宿、下徳次郎宿の3宿から成る宿場町で、これらに古道旧日光街道沿いの門前村、田中村、西根村を加え徳次郎六郷と呼ばれていた。
 江戸時代当初の元和3年(1617年)の時点では上徳次郎宿のみで人馬役が賄われていたが、その後中徳次郎宿および下徳次郎宿の嘆願により享保13年(1728年)より上徳次郎宿に加えて中徳次郎宿、下徳次郎宿も宿駅の役が課され合わせて徳次郎宿となった。1月を3分し上旬は中徳次郎宿、最も混雑した中旬は経験豊富な上徳次郎宿、下旬は下徳次郎宿が人馬役を当番した。
 天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、徳次郎宿の本陣は2軒、仮本陣1軒、脇本陣3軒、仮脇本陣1軒が設けられ、旅籠が72軒あり、日光道中最大級規模の宿駅であった。宿内の家数は168軒、人口は653人であった。
 徳次郎宿は江戸末期に天領化されて真岡代官所の管轄となる。この時代に二宮尊徳や吉良八郎の手により西原の治水事業が進められ、田川に堰が設けられ宝木台地に引水された(宝木用水)。

                                      (以上、「Wikipedia」参照)
(10:19)「中徳次郎」交差点。

手造り味噌のお店。

その先には、倉造りのおうち。

しばらく進むと、右手に「智賀都神社」の鬱蒼とした杜。

 「智賀都(ちかつ)神社」は宝亀9年、日光二荒山神社の御神体を千勝森(ちかつのもり)に勧請鎮座したもの。県の天然記念物と名木百選に指定されている二本の大きなケヤキは樹高40m、幹周り7~8m、推定樹齢は700年だそうです。  

 (10:33)行く手の中央分離帯に杉並木。「六本杉」といって、杉が6本並んでいます。
        
   
解説板のようなものが立っていますが、近づけません。

            バス停「六本杉」。

 街道沿いの杉並木は思ったほど連なっていません。炎天下を歩くハメに。この先もまだまだ待望の杉並木は現れてきそうもありません。
 それでも前方に並木道があると、ホッとします。しかし、左側の遊歩道を歩いたのが失敗。木立もなく日差しをそのまま浴びる感じ。右側には歩道がなさそうですが。・・・
               

右手、分かれ道に大きな石の「道標」。「宇都宮・・」とあります。「大網町」への分岐点。
                                右奥に「田川」が流れていますが、ここからは見えません。もう少し行ったところで渡ります。

「徳次郎変電所」から、街中に進みます。「上徳次郎」地区。「徳次郎宿」は、「下」「中」「上」の3つで成り立っています。本陣跡は「飯野」さん宅のようですが、同姓の家が並んでいて、果たしてどのおうちか?
    

(10:47)「上徳次郎」バス停。
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