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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

向島百花園。その2。初夏の雰囲気。梅の実もしっかり。白加賀・紅千鳥・花香美・・・。そして、ヤマアジサイ。エンビセンノウ。・・・

2022-05-29 19:38:10 | 向島百花園

百花園は、何といっても梅の名所。今年もコロナのために休園。そして、今。

        緑鮮やか。

             少し色づいているものも。

     

     

鉢植えの「ヤマアジサイ」がいくつも置かれています。

これからはアジサイに菖蒲に、と。

     

  

職人さん達が丹誠込めて育てている鉢植えのアジサイ。

地植えのものも。

えんびせんのう(燕尾仙扇)。

燕がやってくる時期にふさわしいネーミング。

ただし、

エンビセンノウ(燕尾仙翁)は、北海道(日高)、本州(長野県、埼玉県)にまれに見ることが出来る、ナデシコ科 センノウ属の多年草です。古典植物として栽培されているマツモトセンノウと同じ仲間ですが、エンビセンノウは原種のために同じようにそだてても、うまく育たないことがあります。寒冷地であれば別ですが、関東地方の住宅地で育てるには湿度や夏の高温多湿に対して工夫する必要があります。

(「山野草を育てる」HPより)

だそうです。

いよいよ夏化粧の百花園。

      

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向島百花園その2。百花繚乱。オキナグサ。カザグルマ。サクラソウ。ハナシノブ。エビネ。こんにゃく。・・・

2022-04-26 21:20:29 | 向島百花園

     おきなぐさ。紫の花は「カラスノエンドウ」。

かざぐるま。

                  

ボタン。

ザクロ。

      朧夜や たれをあるじの 墨沱川(すみだがわ) 其角堂永機

さくらそう。

園内ではサクラソウの鉢植えがたくさん。

         

             

解説板。

ここにもある「田島ヶ原」。サクラソウの自生地として国の天然記念物に指定されています。

(「」より)

「荒川を遡る」歩きで訪れたことがあります。JR「西浦和駅」からの歩きでした。

昨年3月20日。少し時期が早かったようです。

・・・

 

                                    碑の足もとに「さくら草」。

                                                  

一面、ノウルシの花。その間にちらほらとさくら草が可憐な花を咲かせています。自然のままのようす。

・・・

 

さくらそう。

春の七草。

鉢植えの小さな草花。

きばなおきなぐさ。にほんすずらん。くろゆり。しゅんらん。はなしのぶ。

はなしのぶ。

        おどりこそう。うらしまそう。おだまき。

 

※ウラシマソウ・・・仏炎苞の内部にある花の先端が細く糸状に伸びるようすを浦島太郎の釣り糸に見立てたことが名前の由来です。

※ウラシマソウ、ユキモチソウは、サトイモ科テンナンショウ属にあたります。

       他に園内には「ムサシアブミ」があるようです。

               じゅうにひとえ。えびね。

こんにゃく。

様々な草花が咲き誇っています。

エビネ。

           

※「年間パスポート」を購入したので(280円)、機会をつくって訪問することにしました。

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向島百花園その1。色とりどりのツツジ。普賢象。ヒメウツギ。シラン。タラヨウ。ユキモチソウ。他の草木も・・・

2022-04-25 20:00:36 | 向島百花園

                  4月21日(木)。向島百花園。フジ棚。

遠くにスカイツリー。

新型コロナ感染拡大で、去年の暮れから閉園、3月の梅も見ることが出来ず(3年連続で梅の季節が・・・)。

3月22日。やっと蔓延防止が解除されて来たときは、梅も桜もあまり見るべきものはない(足もとの小さな草花も含めて)、ということも。

しばらくぶりに自転車で「国道6号線(水戸街道)」を走っていると、ツツジが満開。

百花園はどうだろう、と少し足を伸ばしてやってきました。

水戸街道の歩道沿いにも色とりどりのツツジが。

        

古びた(失礼! )バイク屋さんの屋根には見事なフジが。年中通りますが、始めて気づきました。

屋根を覆うように。

平日の昼下がり。三々五々訪れる人たちがいます。

筍や牡丹などは、4月20日・「穀雨」のときに紹介済み。そこで、ツツジを中心に百花園の今を。

八重咲きのサクラ「普賢象(ふげんぞう)」とツツジ。

名前の由来は、花の中央から出ている雌しべの先端が曲がっており普賢菩薩の乗る白の鼻に似ているため。別名はフゲンドウ(普賢堂)もしくはシロフゲン(白普賢)荒川堤で栽培されていたサトザクラの一つ。樹高は高木で、樹形は傘状。花は八重咲きの大輪で花弁は淡紅色。東京の花期は4月下旬。

歴史的な文献には、フゲンゾウの名の付くサクラの始まりは神奈川県鎌倉の普賢菩薩が安置されていたお堂にあったサクラの名木を「普賢堂」と呼んだこと、その白い花を普賢菩薩が乗る白象に見立てて「普賢象」となったことが書かれており、1552年に成立した『塵塚物語』には、室町時代には「普賢象」が名桜として知られていて、京都の千本ゑんま堂の「普賢象」に後小松天皇が感心した事、この「普賢象」の枝が足利義満に献上されたことが記されている。このためサトザクラの中でもかなり古い品種であるとされるが、これらの「普賢象」が現在のフゲンゾウと同一の栽培品種であったかは議論の余地があり、室町時代時点の「普賢象」は特定のオオシマザクラに付けられた名称であり、室町時代以後の京都で現在の品種となった可能性も指摘されている。

(この項「Wikipedia」参照)

※文殊菩薩が獅子に乗っているのに対し、普賢菩薩は白い象に乗っている。

園内の所々にツツジ。

        

          

他の草花も春爛漫のようす。

ハナミズキ。

ヒメウツギ。

タムケヤマ。

新緑の雰囲気。

セイガイ(青崖)。

              

※4月の初旬に明るい紅色の新芽となり秋にも紅葉する。夏の葉は緑色。

     

コデマリ。

         

          

               シラン。

ユキモチソウ。

※花のように見える部位は仏炎苞(ぶつえんほう)と言います。これは内部にある花を包むように発達した葉です。

ユキモチソウ・・・仏炎苞から雪のように白い餅に見える付属体があることからこの名がつきました。(解説は「百花園便り」より)

ハナモモ。  タラヨウ

※タラヨウ(多羅葉)。

日本では葉の裏面に経文を書いたり、葉をあぶって占いに使用したりしたため、その多くは寺社に植樹されている。

また、葉の裏面を傷つけると字が書けることから、郵便局の木として定められており、東京中央郵便局の前などにも植樹されている。

文字を書くことのできる性質がインドで経文を書くのに使われた貝葉の原料であるヤシ科のタラジュ(多羅樹)という木のようだということで、タラヨウ(多羅葉)名前の由来となっている。(「Wikipedia」より)

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夕暮れの向島百花園。晩秋の。ススキ。ハギ。菊。竹林。コブシザクラ。・・・

2021-11-04 20:15:27 | 向島百花園

久々に「向島百花園」へ。まだ温暖な日が続くせいなのか、紅葉も今、少し。隅田公園も桜の葉が色づき、もしかしたらあまり色づかないうちに落ち葉に?

          

職員が丹誠込めた菊の鉢が園内に。新宿御苑などで開かれる「菊花展」のような派手な規模ではありませんが。

 

  

       

ハギのトンネル。すでに見頃は過ぎていました。

例年9月中旬から10月上旬にかけて、ハギが見頃を迎えます。秋に満開となる全長約30mのハギのトンネルは有名で、赤紫色のミヤギノハギと、白色のシラハギの蝶のような形をした繊細で可憐な花が咲き揃います。

こちらはまだ咲いています。

ススキが随所に。 

「ますほのすすき」。穂が十寸(300㌢)もあります。

  

ニシキギ。

晩秋の風景。

  

           

遠くにスカイツリー。

竹林。

梅の葉も色づき、散り、来春を待つ。

ザクロ。

              

ツワブキ。

タムケヤマ。

「こぶしざくら」がススキの向こうで花を咲かせています。

   

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石榴(ザクロ)。萩のトンネル。芭蕉句碑。ビヨウヤナギ。「長恨歌」。向島百花園。その4。

2021-06-18 22:08:28 | 向島百花園

              石榴(ザクロ)。

        

サツキ。そろそろ時期も終わり?

   

      スカイツリー。 

サルスベリ(百日紅)。 

藤棚。

      みつばあけび。

萩のトンネル。

          

秋になると(「墨田区」HPより)

夏の七草。

           

カシワ。

さて、そろそろ退出しますか。最後は句碑で。

     芭蕉句碑。   

        春もやゝ けしきととのふ 月と梅

入口広場の「ビヨウヤナギ」。

中国原産。約300年前に日本に渡来した。半常緑性の小低木で、よく栽培されている。花期は5-7月頃で、直径5センチ程度の黄色の5枚の花弁のある花を咲かせる。枝先がやや垂れ下がり葉がヤナギに似ているので、ビヨウヤナギと呼ばれるが、ヤナギの仲間ではない。中国では金糸桃と呼ばれている。ビヨウヤナギに未央柳を当てるのは日本の通称名。由来は、白居易の「長恨歌」に玄宗皇帝楊貴妃と過ごした地を訪れて、太液の池の蓮花を楊貴妃の顔に、未央宮殿の柳を楊貴妃の眉に喩えて 未央柳の情景を詠んだ一節があり、美しい花と柳に似た葉を持つ木を、この故事になぞらえて未央柳と呼ぶようになったといわれている。(「Wikipedia」より)

長恨歌 白居易

前半:漢の王(実は唐の玄宗皇帝)は楊家の娘を手に入れた。それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げる。そのため、安禄山の乱が起き、首都長安を脱出した玄宗皇帝の一行は、蜀の地(四川省)に難を逃れる。途中、長安の西・馬嵬駅で兵士たちの不満が爆発し、楊貴妃を殺すはめに。

そして2年後。乱はおさまり、首都長安は奪還され、玄宗一行は、ふたたび長安に戻ってくる。

帰来池苑皆依旧
太液芙蓉未央柳
芙蓉如面柳如眉
対此如何不涙垂
春風桃李花開夜
秋雨梧桐葉落時
西宮南苑多秋草
宮葉満階紅不掃

・・・

《書き下し文》

帰り来たれば 池苑 皆旧に依る
太液の芙蓉 未央の柳
芙蓉は面の如く 柳は眉の如し
此に対して 如何ぞ涙の垂れざらん
春風桃李 花開く夜
秋雨梧桐 葉落つる時
西宮南苑 秋草多く
宮葉階に満ちて 紅掃はず

梨園の弟子 白髪新たに
椒房の阿監 青娥老いたり
夕殿蛍飛んで 思ひ悄然
孤灯挑げ尽くすも 未だ眠りを成さず
遅遅たる鐘鼓 初めて長き夜
耿耿たる星河 曙けんと欲するの天
鴛鴦の瓦冷ややかにして 霜華重く
翡翠の衾寒くして 誰と共にせん

悠悠たる生死 別れて年を経たり
魂魄曾て来たりて 夢にも入らず
臨邛の道士 鴻都の客
能く精誠を以て 魂魄を致す
君王展転の思ひに感ずるが為に
遂に方士をして 殷勤に覓めしむ
空を排し気を馭して 奔ること電の如く
天に昇り地に入り 之を求むること遍し

上は碧落を窮め 下は黄泉
両処茫茫として 皆見へず
忽ち聞く 海上に仙山有りと
山は虚無縹緲の間に在り
楼閣玲瓏として 五雲起こり
其の中綽約として 仙子多し
中に一人有り 字は太真
雪膚花貌 参差として是なり

金闕の西廂に 玉扃を叩き
転じて小玉をして 双成に報ぜしむ
聞道くならく漢家天子の使ひなりと
九華の帳裏 夢魂驚く
衣を攬り枕を推して 起ちて徘徊す
珠箔銀屛邐迤として開く
雲鬢半ば偏りて 新たに睡りより覚め
花冠整へず 堂を下り来たる

風は仙袂を吹ひて 飄颻として挙がり
猶ほ霓裳羽衣の舞に似たり
玉容寂寞 涙闌干
梨花一枝 春雨を帯ぶ
情を含み睇を凝らして 君王に謝す
一別音容 両つながら渺茫たり
昭陽殿裏 恩愛絶え
蓬萊宮中 日月長し

頭を迴らして 下人寰の処を望めば
長安を見ずして 塵霧を見る
唯だ旧物を将て 深情を表さんと
鈿合金釵 寄せ将ち去らしむ
釵は一股を留め 合は一扇
釵は黄金を擘き 合は鈿を分かつ
但だ心をして金鈿の堅きに似せしめば
天上人間 会ず相見えんと

別れに臨んで殷勤に 重ねて詞を寄す
詞中に誓ひ有り 両心のみ知る
七月七日 長生殿
夜半人無く 私語の時
天に在りて願はくは 比翼の鳥と作り
地に在りて願はくは 連理の枝と為らんと
天は長く地は久しきも 時有りて尽きるとも
此の恨み綿綿として 絶ゆる期無からん

高校の漢文の教科書には必ず掲載されている有名な漢詩。懐かしい教材です。

「天に在りて願はくは比翼の鳥と作り 地に在りて願はくは連理の枝と為らんと 天は長く地は久しきも 時有りて尽きるとも、此の恨み綿綿として 絶ゆる期無からん」という末尾の詩句は、今でもふと口に出てきます。

・・・

春夏秋冬、それぞれに百花繚乱を味わえる「向島百花園」でした。

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トケイソウ。シモツケソウ。ヒツジグサ。ムシャリンドウ。・・・向島百花園。その3。

2021-06-17 20:00:41 | 向島百花園

緑濃き小道。

初冬のようす(一昨年)。

竹林。

周囲を住宅や道路に囲まれた中のオアシス。

池への水源。

シモツケソウ。

  

トケイソウ。

ムシャリンドウ。

ヒツジグサ。

ヒラトユリ。

ホタルブクロ。

花菖蒲が水辺に。

             

アジサイも鉢植えでいくつか。

白扇(はくせん)。

      富士の滝(ふじのたき)。

              

ガクアジサイ。

           

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梅の実がたくさん。唐梅。紅千鳥。白加賀。花香美。・・・「向島百花園」その2。

2021-06-16 20:34:49 | 向島百花園

             梅の実をたくさん付けた梅の木がそこここに。

とうばい(唐梅)。

去年の春。八重の花が咲く。

別の所の「唐梅」。ヤマバトが。

紅千鳥(べにちどり)。

枝振りが素敵です。

                   

   

一昨年の春。紅千鳥。

この梅の木にメジロがたくさん来ていたことがあります。

2018年の春。

しろかが(白加賀)。

    

昨年の春。

      

花香美。

一昨年の春。 

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緑豊か。たむけやま。・・・久々の「向島百花園」その1。

2021-06-15 18:44:04 | 向島百花園

長らく(昨年暮れから)閉鎖が続いていた「向島百花園」が再開されました。事前予約制(インターネットでの)です。さっそく予約し、6月7日(月)閉園時間(4:30)前のあわただしい時間でしたが、久々の訪問。

梅の花の季節はとうに過ぎ、実がしっかりと実る時節になってしまいました。すっかり夏模様の緑濃き園内でした。

        

山上憶良「秋の七草」歌碑。

秋の野に 咲きたる花を指折り かき数うれば 七種の花
  芽の花 乎花葛花 なでしこの花 姫部志 又藤袴 朝貌の花

(はぎのはな おばなくずはな なでしこのはな おみなえし またふじばかま あさがおのはな)

      「茶筅塚と柘植黙翁」句碑

           おりたらん 草の錦や 花やしき

園内にある歌碑などは何度見ても飽きません。

しのぶ塚

歌舞伎「隅田川続俤」(法界坊)の作者・初代河竹新七を追善しのび、台本を埋めて塚としたもの。

        螺舎秀民句碑。

            芦の芽や 田へ来(る)水も 角田川

すっかり緑一色。

再開されたばかり、平日の夕方なので、訪れる人も少ない。それでも、写真撮影に余念の無い方もチラホラ。

              橋も緑色に染まって。

    水温む季節。

キキョウ。 

     たむけやま。

            ヤマモミジ系の枝垂性品種。

ところで、「たむけやま」というと、奈良の「手向山」を想起します。

菅原道真の歌で、「古今集」中の歌で、「百人一首」にもあり。

このたびは 幣も取りあへず 手向(たむけ)山 紅葉の錦 神のまにまに

《歌意》こんどの旅は(宇多上皇の御幸のお供で急いで来たために)神様に捧げる幣を用意するひまもなく来ました。この手向山のみごとな紅葉の錦を(幣として)神様の御意のままにお受け取り下さい。

「幣」=神に祈る時に捧げ、また祓いに使う、紙・麻などを切って垂らしたもの。幣帛。ごへい。

菅原道真

35歳の若さで最高の権威・文章博士となり、54歳の899(昌泰2)年には右大臣にまで出世。しかし、左大臣藤原時平に讒訴され、九州・太宰府に左遷、そこで59歳で没した。学問の神様・天神様として祀られている。

もちろん、この「手向山」という紅葉をさしているわけではありません。奈良市東部に位置する手向山は紅葉の名所として知られ、その麓には手向山八幡宮が東大寺二月堂の並びにあります。

紅葉の名所・「手向山」にあやかって名づけられた品種のようです。

「新宿御苑」にはこの古くて大きな木があるようです。

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隅田公園。向島百花園。冬の。その3。

2020-12-23 18:40:55 | 向島百花園

                          暮れなずむ百花園(去年の12/12)。

 スカイツリー(今年の12/16)。

             

サザンカ。

マユミ。

      

    

   小鳥(↓)が一羽。

上空には飛行機(↓)

そろそろ帰るとしますか。

             けっこう冷えてきます。

ロウバイ。

        ナンテン。ツワブキ。

               

別の日。東武線の隅田川に架かる「隅田川橋梁」脇に浅草から渡れる歩道橋ができました。そこを少し歩きます。

金色のビルは、アサヒビール本社。

源森川水門」。隅田川との水門。

江東0㍍地帯を守る防潮水門。通常は開放されているが、高潮や津波の恐れがある場合は直ちに閉鎖される。

「源森川」は、「北十間川」を指します。

北十間川(きたじっけんがわ)江戸初期に開削された運河。西に隅田川、東に旧中川と接続する。横十間川との合流点より西は墨田区内を通り、東は墨田区と江東区の区界となっている。名称は、本所の「北」を流れる、川幅が「10間」の川であることに由来する。以前は大横川の分流点より西を源森川(別名源兵衛堀)、東を北十間川といった。(「Wikipedia」より)

「源森川」の水面には、たくさんの水鳥。

            

東武線ガード。かつての石積みが残っています。

その昔は、この先には駅がありました。駅が廃止された後、「墨堤通り」に面したガード下に「ラーメン屋」さんがありました。こってりとした味でけっこう好きでした。

すっかりこの辺も様変わりです。

・・・

2009・5の投稿記事。「源森川」対岸から。

「隅田公園」駅。東武鉄道伊勢崎線が、都内のターミナル駅としていた浅草駅(現:業平橋駅 注:その後、「東京スカイツリー」駅に。)から浅草雷門駅(現在の浅草駅)までの延伸を果たした、1931(昭和6)年、中間駅(隅田公園への最寄り駅でもあった)として開設された。
 戦時体制が濃くなった1943(昭和18)年)に、不要不急駅整理の対象となって休止となり、そのまま営業を再開する事もなく、1958(昭和33)年に廃止された。なお、1945(昭和20)年3月10日の「東京大空襲」によりホームが焼失したこともあった。
 今も存続していれば、「墨田区役所」への、墨田区内で最短の最寄り駅になっていたはず(墨田区役所が出来たとき、この駅を復活させるという話も出ていたと思うが)。
 浅草駅を発車した列車が、隅田川橋梁を渡ってすぐの所に設けられていて、ホーム上屋を持つ高架駅で、ホームの長さも長く取られていた。急行列車は停車せず、普通列車のみが停車していた。
 廃止されてからしばらくは、プラットホームは撤去されず、そのまま放置されていた。昭和38年の航空写真には、まだそのホームがはっきりと写っている。
 東武電車で「浅草」に行くとき、このあたりでいつも電車のスピードが落ちるので、なおさら、どうしてここにホームがあるの? と鮮明に記憶している。
 かつては、高架線下には駅舎(を転用した)建物側面に、階段の跡がくっきりと残っていたが、数年前に高架下の建物がすっかり撤去されたため、駅舎の痕跡はまったくなくなってしまった。
 ただ、この写真でもわかるように、その駅舎に続いてあったと思われる、業平橋寄りの高架下の建物の一部は現存していて、窓枠にかつての駅舎の面影が残っている?(写真の左手。なお、写真は、北十間川をはさんで対岸から撮ったもの。)
 また、高架の真下にアーチ状の建物跡が残ってもいる。高架線の向こう側が、隅田公園。新緑の木々を川面に映して時を刻んでいる。

・・・

1970年代のようす。「隅田公園」も大改修。

2010年代のようす。

ところで、最近、ブログの閲覧数が以前の3分の2くらいに急減。PCにアクセスしてブログを開いてもらう面倒さなのか、小生のブログへの興味関心が低下したのか。最大の原因は、当ブログの掲載記事のマンネリ化に・・・。常連だった方々も少なくなったようで。

一方で、他には、相変わらずたくさんの読者が閲覧するブログもまだまだたくさんあるようです。

さて、今後どうするか。紙面の刷新が必要? 「おやじのつぶやき」から「おやじのぼやき」あるいは、「おやじのつぼやき」に変えるかな。

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隅田公園。向島百花園。冬の。その2。

2020-12-22 18:10:27 | 向島百花園

                  「向島百花園」

「向島百花園」は周囲を住宅・高層ビルに囲まれていて、冬の日差しがあまり差し込まないせいか、冬枯れの風情が一段と。

人の訪れも少なく。

枯れ薄が園内一面に。

 

遠くには「スカイツリー」が。

茶筅塚と柘植黙翁句碑

おりたらん 草の錦や 花やしき

小ぶりですが、柚の木。

赤い実。マンリョウ。

柚の木も赤い実のなるナンテンなど、取り壊す前の我が家には、けっこう大きなものがあり、人に分けたり、飾ったり、お風呂に入れたりと楽しめました。大きな柿の木やクヌギ、棕櫚もすっかりなくなり、今は、小さな花壇が細々とあるのみ。、二世帯住宅というのは、駐車場にしたりして、敷地一杯に建てるしかないのですが・・・。

ヤナギ。

        

                    

  「手向山」。 ヤマモミジ系の枝垂性品種。

此(こ)の度(たび=旅)は ぬさ’(幣)も取(とり)あへず 手向山(たむけやま)
紅葉(もみぢ)のにしき 神のまにまに

「古今集」・「小倉百人一首」中、菅家(菅原道真)の歌。

もちろん、この「手向山」という紅葉をさしているわけではありません。奈良市東部に位置する手向山は紅葉の名所として知られ、その麓には手向山八幡宮が東大寺二月堂の並びにあります。

「幣」は、神に祈る時に捧げ、またお祓(はら)いに用いる紙・麻などを切って垂らしたもの。幣帛(へいはく)。ごへい。

《歌意》こんどの旅は(宇多上皇の御幸のお供で急いで来たために)神様に捧げる幣を用意するひまもなく来ました。この手向山のみごとな紅葉の錦を(幣として)神様の御心のままにお受け取り下さい。

この歌にあやかって名づけられた品種のようです。

    

初代河竹新七追善 しのぶ塚
隅田川よ二面よと歌舞伎にも浄瑠璃にも世にもてはやさるる荵売は、安永四とせ中村座の春狂言に初代中村仲蔵が勤め、前の河竹新七の作なり。そが正本を、ある人より贈られて久しゅう秘蔵せしは、名を嗣ぐ者の幸せと悦びしが、この度ここに埋みて、昔忍ぶの墳と名づけその故よし記しつくるは、隅田川の流れ絶えず伝えて、二面の二つなき功績を、後の世に遺さんとてのわざになんありける。
 明治13年(1880)3月

    

きやうげん塚二世河竹新七追善狂言塚)

二世河竹新七、俳名は其水、晩に古河黙阿弥と改む。壮年より演劇作者となり、古稀の齢を跨えて明治25年(1892)の春、喜の字の祝さえなしけるに、明くる年料らずも病のために身まかりぬ。その一生の間に書き綴りたる新作の狂言およそ三百余ほどありて、古来の作者に珍しきことなれば、その名を続ける門人等師のむすめと計り、これを後の世に伝えてんと、石を建てて狂言塚と名づけ、初代の名残りの荵塚になずらえて、しのぶの文字を書きつくることしかり。
 明治27年(1894)11月

                                      

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向島百花園。梅まつり。2020。その2。

2020-02-13 18:42:22 | 向島百花園

                        園内には23種類の梅の木があるようです。
「福寿草」。
 春を告げる花の代表。そのため元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)の別名を持っています。福寿草という和名もまた新春を祝う意味があり、縁起物の植物として古くから栽培されてきました。
 ただし、強い毒性あり。地面から芽を出したばかりの頃は、フキノトウと間違えたり、若葉がヨモギの葉に似ているので、誤食しやすく、重症の場合死亡することも。



これは「マユミ」。
 材質が強い上によくしなる為、古来より弓の材料として知られ、名前の由来になりました。この木で作られた弓のことや、単なる弓の美称も「真弓」といいます。

「わびすけ(侘助)(太郎冠者)」。ツバキの一種。

      

             

「とうばい(唐梅)」。お座敷の庭に。

「はつかり(初雁)」。お座敷の門前に。

咲き始めた「ミツマタ」。
 ミツマタは、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分かれるために「ミツマタ」と名付けられた。三枝、三又とも書く。中国語では「結香」(ジエシアン)と称している。
 古代には「サキクサの」という言葉が「三(み)つ」という言端(ことば)に係る枕詞とされており(例:「三枝〔サキクサ〕の三つば四つばの中に殿づくりせりや」〔催馬楽・この殿は〕)、枝が三つに分かれるミツマタは昔は「サキクサ」と呼ばれていたと考えられている。そう名付けられた訳(わけ)としては、ミツマタはあたかも春を告げるかのごとく一足先に淡い黄色の花を一斉に開(ひ)らくため、その故(ゆえ)をもって「先草=サキクサ」と呼ばれたのだとの考えがある。但(ただ)し他にも、ミツマタが縁起の良い吉兆の草とされていたため「幸草(サキクサ)」と呼ばれたのだとも言われる。最も古い用例である万葉歌人・柿本人麻呂の和歌(ヤマトうた)では、
春されば まず三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあれば 後にも逢む な恋ひそ吾妹(『万葉集』10巻-1895) (春になればまず先に咲く「サキ」クサのように「幸〔さき〕」く〔つつが無く〕あることが出来たならば、のちにまた会いましょう。恋しがらないでください、わが愛しい人よ)
とあり、三枝(さきくさ)という言端(ことば)の元が「先草(サキクサ)」とも「幸草(サキクサ)」とも とれる表現となっている。(いずれにせよ、この「サキクサ」が三枝[さいぐさ、さえぐさ]という姓の語源とされる)。
 NHKのラジオ番組・「ラジオ深夜便」では、日本の季節に合わせて このミツマタの花を2月21日の「誕生日の花」とし、その花言葉を「壮健」としている。
 園芸種では、オレンジ色から朱色の花を付けるものもあり、赤花三椏(あかばなみつまた)と称する。
 和紙の原料として重要である。ミツマタが和紙の原料として登場するのは、16世紀(戦国時代)になってからであるとするのが一般的である。
(以上、「Wikipedia」参照)

 以前、ブログの中、「美濃」で取り上げた紙の原料の一つです。

「鴛鴦」。

 「鴛鴦」は、おしどりのこと。鴛」は雄のおしどりを意味し、「鴦」は雌のおしどりを意味します。
 この鳥は、いつも仲良く寄り添って泳いでいることから、「夫婦仲が良いことの象徴」とされてきました。

「花香美(はなかみ)」。

「見驚」。薄紅色。



そろそろ閉園時間。空はますます澄んで。


 訪れる人も少なく、ゆっくり散策。        

「梅まつり」。

              

錦絵などに描かれた百花園。

出口付近にあったスイセン。盆栽風。
 全草が有毒で、鱗茎に特に毒成分が多い。食中毒症状と接触性皮膚炎症状を起こす。中毒は初期に強い嘔吐があり摂取物の大半が吐き出されるため症状が重篤に到ることは稀であるが、鱗茎を浅葱(あさつき)と間違えて食べ死亡した例がある。
 葉がニラととてもよく似ており、厚生労働省によると、2008年~2017年に起きた有毒植物による食中毒188件のうち、最多はスイセン(47件)だった。
 Narcissus という学名は、ギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスに由来する。神話によると、ナルキッソスは、その美しさにさまざまな相手から言い寄られたものの、高慢にはねつけて恨みを買った。ついには、そんな彼への呪いを聞き入れた復讐の女神ネメシスにより、水鏡に映った自分自身に恋してしまった。水面の中の像は、ナルキッソスの想いに決して応えることはなく、彼はそのまま憔悴して死ぬ(水面の像に接吻をしようとして溺死したという説もある)。そして、その体は水辺でうつむきがちに咲くスイセンに変わった、というものである。だからこそスイセンは水辺であたかも自分の姿を覗き込むかのように咲くのである。
 「スイセン」という名は、中国での呼び名「水仙」を音読みしたもの。「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という中国の古典に由来する。水辺で咲く姿を仙人にたとえたのであろう。別名に雪中花、雅客。
(以上、「Wikipedia」参照)

《番外》墨堤通りの河津桜。他の桜に先駆けて、一本、鮮やかな色で咲いています。


                      

         

               

 「隅田公園」も、もうじき早咲き桜の季節を迎えます。

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向島百花園。梅まつり。2020。その1。

2020-02-12 19:00:38 | 向島百花園

                     「梅まつり」を開催中の「向島百花園」へ。左:白加賀、右:一重寒紅。
芭蕉の句碑がお出迎え。

春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅 はせを

「梅洞水」。

                   

「紅冬至(こうとうじ)」。

    枝振りが見事。

「白加賀」。

見上げるほどの高さまでつぼみが。

「紅千鳥」。



 一昨年、同じ時期に来たときにはメジロがたくさん集まっていましたが。去年、今年と見かけません。
「べにちどり(紅千鳥)」(一昨年撮影)。 

メジロ。(写真は「Wikipedia」より借用)

 その代わり、我が家の隣のキンモクセイの大木に集まってきてしきりに鳴いています。ムクドリも来て、「ギャーギャー」「ピーピー」にぎやかです。


      左が「冬至梅」、右が「シラタキシダレ」。

遠くには「スカイツリー」。

「冬至梅」。

「スイセン」。

「しろかが」。

        

「紅千鳥」。

         

園内を行きつ戻りつ。

「八重野梅」。枝先まで花を咲かせて。

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「向島百花園」。梅見。お手頃な散策。

2019-02-27 19:04:27 | 向島百花園

                    春もやヽけしきとヽのふ月と梅 はせを 注:「はせを(芭蕉)」は変体仮名。
 一年に何度が立ち寄ります。こぢんまりとしていますが、安らぎの空間。
 さすが「新梅屋敷」と言われただけあって、梅の木が目立ちます。
                 

ここにも芭蕉の句碑。
                 こんにゃくのさしみも些(すこ)しうめの花

これからが見ごろか? 

借景にスカイツリー。

昨年、同じ時期に来たときにはメジロがたくさん集まっていましたが。今回は見かけません。
「べにちどり(紅千鳥)」(昨年撮影)。 

メジロ。(写真は「Wikipedia」より借用)

先日のスーパームーンにちなんで。
限なき空の要や望の月

ついでに、こちらも。



           「かごしまこう(鹿児島紅)」。

「おもいのまま」。奥にあるのが「みちしるべ(道知辺)」。



           「しらかが(白加賀)」。
                                 園内にはこの梅が多い。

「しらたきしだれ(白滝枝垂れ)」。

                  
                               水辺にコサギの姿。

「べにちどり」。
   
             


さてそろそろ帰るとしますか。「春の七草」。

     売店には、一輪挿し。

                       

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向島百花園。春。その3。

2013-03-31 21:08:48 | 向島百花園

 明治以降、たびたびの水害で園内は荒廃。
明治中期のようす。「百花園」付近。取り立てて庭園らしいものは見当たりません。
さらに昭和20年の東京大空襲で壊滅的な被害を受けました。取り壊された建物もありました。
これがその一つ。「桑の茶屋」跡。明治時代、上野の博覧会で使用された二階建ての建物。桑の木で作られていたので「桑の茶屋」と呼ばれていました。取り壊されてしまいましたが、「欄間」は、「御成座敷」にあります。
建物があった当時の面影を残す縁石。
そこからスカイツリーを望む。
「イチョウ」。説明板にある写真の位置から、かつて茶屋の脇にあったイチョウと思われる。樹齢から「大空襲」で焼失した跡に育ったイチョウかもしれない。もし空襲で生き残ったとすれば、貴重な証言を残す木ということになるが・・・。
目の前の池。
池の周囲にも木々の花。
落ち着いた静かな雰囲気。
池をはさんで、「桑の茶屋」跡を望む。

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向島百花園。春。その2。

2013-03-30 17:58:41 | 向島百花園

 「百花園」とは、「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたと伝えられています。「詩経」や「万葉集」など中国・日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようになりました。現代に残る唯一の江戸期の花園。明治13(1938)年、東京市に寄付され、翌年から有料で公開されました。昭和53(1978)年には「文化財保護法」により国の名勝・史跡に指定されました。
「アセビ(馬酔木)」。
「モチノキ」。
「サンシュユ」。
「エドヒガン」。サクラの一種。
「ハナモモ」。
「ナシ」の花。
「キブシ」。
「ミツマタ」。
「セイガイ」。イロハモミジの一種。
 というように、さまざまな木々の花が咲き、春の七草など草花もたくさん。
右に見えるのが「ハギ」のトンネル。初秋を彩る頃はすばらしいようです。
「ソメイヨシノ」も負けずと。

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