Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

宇治上神社(2014年9月23日参拝)

2014-10-21 | 世界遺産
今日は家族で京都の宇治へお茶を買いに。

家族がお茶を買ってる隙に宇治上神社へ参拝。(^^


去年の12月以来の参拝です。

<2013年12月9日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/e966dfcecba5be763b69b0c76a517db2



所在地:京都府宇治市宇治山田59
主祭神:菟道稚郎子命、応神天皇、仁徳天皇
創建:不明
社格:式内社、府社


【宇治川】



【鳥居】



【拝殿】




国宝。

この拝殿は裏に行って上から見ると美しいんですよね。


【本殿】


国宝の本殿が絶賛工事中。

おかげで拝殿の美しい屋根を上から見れない。(泣)


【桐原水】


去年は濁ってましたが、今日見たらとても清らかでした。

雨が続くと濁るようですね。


【御朱印】






6種類で合計2800円。
大人買いしちゃった。(笑)

そういや、ここは書置きばかりいただいてるな。

次回は御朱印帳に書いてもらおう。

綱敷天神社 御旅社(2014年9月20日参拝)

2014-10-20 | 神社
箕面界隈の社寺参拝はこれぐらいにして、
そういや観たい映画があったな、と思いだして梅田へ。

この梅田界隈の駐車場は高くて土日1日2500円とかザラにある。

そんなあほらしい金額は払えないので、
必死に探して大阪駅から少し離れた安い駐車場を見つけました。

せっかく梅田に来たからには手ブラ、いやもとい、
手ぶらで帰る訳にはいきません。

そんな訳でキタのど真ん中に鎮座する綱敷天神社の御旅社を参拝です。



所在地:大阪府大阪市北区茶屋町12-5
御祭神:菅原道真
創建:不明



【由緒】
元は梅塚天満宮と号し、御本社の南に鎮座する小祠でした。
その鎮座していた土地には梅塚という菅原道真公の愛でられた
紅梅があった事から梅田の地名も生まれたと言われています。

正歴4年(1014)に御本社の前身である神野太神宮と
合祀されたことにより御旅社となり、明治4年頃に土地の寄進により、
茶屋町に移り現在に至っています。

社号の御旅社ですが、祭礼等の際に一時的に御神霊が立ち寄られるお社である
御旅社と行宮などと同じ性格のものであるが、
当神社では一時的ではなく常に御祭神の鎮まられる御旅社という事で、
御旅社と号します。


【鳥居】



【拝殿】


一等地だけあって狭い境内です。


【神牛】



【玉姫稲荷神社】



【御朱印】



とても小さい神社ですので、
見所は以上です。

帝釈寺(2014年9月20日参拝)

2014-10-19 | 摂津国八十八箇所
箕面市界隈の次なる参拝は帝釈寺。
帝釈天が御本尊のお寺は珍しいので楽しみです。

大型の無料駐車場がありました。



所在地:大阪府箕面市粟生外院2-14-11
宗派:高野山真言宗
御本尊:帝釈天
開基:伝・聖徳太子
中興年:慶安2年
中興:秀栄
札所:摂津国八十八箇所霊場


【歴史】
寺伝によれば当寺は聖徳太子の夢の中に現れた神々の御神告によって宝塔が建立。
貞観年中(859-877)清和天皇勝尾寺行幸の時、当寺に参籠され、
勝尾寺の外院となったという。

御本尊として帝釈天・毘沙門天・弁財天の三天を祀る為、
もとは三天寺と称していました。

応仁年中以後に度々の兵乱にかかり、諸堂消失し大いに衰微。
慶安2年3月、秀栄法師入院し当寺を中興。

太平洋戦争で鐘が徴用される時は村人全員が悲しんだという。

毎年節分祭は厄払いと今年の無病息災の祈願を込めて、
焼けた護摩木の残り火の上を参拝客が素足で渡る火渡り修行が行われる。


【山門】



【境内】


古刹の雰囲気を感じつつ、綺麗に手入れされた境内です。


【本堂】






そんなに大きくない本堂ですが、
良い雰囲気の堂内でした。

聖徳太子作の帝釈天王が御本尊と、
弘法大師作と伝わる毘沙門天と弁財天が祀られていますが、
残念ながら見えませんでした。

聖徳太子作と弘法大師作の真偽はどうなんでしょうね?
そこを問わないのが大人の対応かな。


【鐘楼堂】



【不動岩】



【ふれ愛観音】




まさか西村公朝師のふれ愛観音さんにお会い出来るとは。

清水寺、比叡山延暦寺、長谷寺、愛宕念仏寺等、
名だたるビッグネームの寺院に納められているのに、
全く無名に近いこの帝釈寺に奉納されているのは、
どんな縁があってのことなんでしょうね。


【帝釈天降臨松の跡】


一本の木からのびた枝が帝釈寺全体がおおっていた為、
帝釈天が降臨された降臨の松と名付られていた樹齢1200年の松も、
度重なる落雷と老朽により昭和30年に伐採されたそうです。

昔の写真を見ると本当に立派な松でした。


【宝篋印塔】



【水上権現】



【鎮守社】



【御朱印】



帝釈寺参拝後、役行者所縁の瀧安寺にナビを頼りに行ったのですが、
細いデコボコの悪路の山道に誘導されて泣きそうに。

それでも頑張って先に進んで着いたのが解体処理場。(号泣)

何でやねん。

もうめんどくさくなって参拝取りやめ。(^^;

後で調べてみたら私営駐車場から1キロぐらい歩かなければならないようですね。

ナビを信じきってはダメなのがよく分かりました。(笑)

宝珠院(2014年9月20日参拝)

2014-10-19 | 摂津国八十八箇所
さて、次なる参拝は摂津国八十八箇所の札所である宝珠院です。



所在地:大阪府箕面市如意谷4-5-25
宗派:高野山真言宗
御本尊:如意輪観音
創建:不明
開山:弘法大師
札所:摂津国八十八箇所 


【歴史】
当寺の寺記によりますと弘法大師が諸国を遍参していたおり、
河内国錦部郡において一人の老僧にあい、こう告げられた。

「摂津豊島郡に如意輪有縁の霊場あり、宜しく寺院を営むべし」と。

この老僧こそは役行者小角の再来であり、
弘法大師は当山に登って如意輪大悲尊像を一刀彫刻して真言を誦し、
三礼を成し名号を唱えて、三日三晩かかって彫り上げた。

そして寺院を創設してこの霊像を安置しました。
もとは如意輪寺と称していた。

その後、陽成天皇の時代になって元慶4年(880)に荘園を下賜され、
七堂伽藍を備え数十の坊舎は甍を並べて隆盛を極めていたという。
しかし、後土御門院の御年(1467-1469)応仁の乱の兵火にあって
伽藍はことごとく灰燼となり、旧観は全くその影を没してしまった。

塔頭の一つであった宝珠院のみが、ようやく草堂を営んでその法燈を継続し
寛文5年(1665)に僧秀盛によって再建された。

現在の本堂は昭和58年(1983)中興第二十一世僧秀幸により再建されました。


【外観】


横に5台ほど停められる無料駐車場がありました。


【本堂】




外側から見ると広いと思ったけど、
本堂と庫裏のみでした。


【堂内】



【御朱印】



【薬師寺】


医王岩を見ようと思って、歩いて小山を登っていると見つけたお寺。
檀家も少なそうで廃寺近しと思わせる雰囲気が漂う。


【Y字路】


さぁ、貴方ならどちらの道を選びますか?

私は勿論右手の舗装された道を選んで歩いて行きました。
結構足疲れる道を進んで着きました。

老人ホームに。(苦笑)

マジかー!
無駄に疲れただけやん。(泣)


気を取り直してY字路まで戻って左の砂利道を進む。




激しく寂しいんですけど。(泣)

こんなとこモノ好きしか来ないよ~。(^^;


【医王岩】


お~、これが医王岩ですか~。
思ったより大きく無いですね。(^^;










日本には御神体とされている巨石がいろいろありますよね。

私も幾つか見てきましたけど、
それはいずれも畏怖の念を感じました。

しかし、この岩からはそれを感じない。

もしこの岩が神社にあって恭しく祀られていたら、
畏怖の念を感じるのかも知れませんが。

為那都比古神社(2014年9月20日参拝)

2014-10-17 | 神社
勝尾寺参拝後は式内社の為那都比古神社です。

為那都比古と書いて「いなつひこ」と読みます。
これは何とか読めますね。(笑)



所在地:大阪府箕面市石丸2-10-1
主祭神:為那都比古大神、為那都比売大神
創建:不明
社格:延喜式式内社、村社


【由緒】
日本書紀仁徳天皇三十八年の条に猪名県が見えるように、
大化改新以前は旧豊島郡・河辺郡(猪角川流域の東は吹田市北部、
西は尼崎市北部に至る地域)を一体化したひとつの行政単位であり、
これを古くから支配していたのが、為那都比古の一族である。

地名を負ったヒコというのは、
そのあたりの首長に与えられた一種の称号として用いられ、
これを称した豪族たちは、後に国造や県主などの長官の官職についたものが多かった。

猪名県が成立した時、その首長である県主には為那都比古の後裔にあたるものが任ぜられ、
彼らは氏族の祖神として為那都比古神社をお祀りしたのである。

往昔、当社はこの鎮座地に為那都比古大神、
為那都比売大神の夫婦神一座が同段にお祀りされていたが、
寛平年間(889-898)に別れて別段になり、
白島字道心ケ谷の地に為那都比売大神をお祀りし為那都比古神社と称した。

しかし、この神社を含む萱野地方の神社十社とその境内社五社が、
国の指導により明治40年(1907)に当社に合祀され現在にいたっている。

天正年間(1573-1582)織田信長は高山右近に命じ摂津一円の神社を破壊するに及び、
織田信長の信仰厚い「牛頭天王」を祀っていると称し、その難を免れたのである。 


【鳥居】


無料駐車場がありました。


【神門】


お寺の山門のようですね。


【狛犬】



【境内】


意外と広いですね。


【拝殿】





【天満宮】



【砲弾】



【英霊奉安殿】





【遥拝所】



【社号碑】


徳川八代将軍吉宗が寺社奉行の大岡越前守忠相に命じて奉献したとか。


【神輿庫】



御朱印は神職が不在でいただけませんでした。

対応してくれたお婆さんに珍しく印だけでも構いませんので、と
粘ってみたんですけど。(^^;