Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

相国寺(2013年2月9日参拝)

2013-03-12 | 神仏霊場巡拝の道
京都五山第二位である相国寺へ。

このお寺は初めて参拝します。

禅寺なのに金儲け主義と思えるお寺経営と、
銭ゲバ風に見える有馬頼底管長がどうも好きになれず、
今まで参拝しなかったんですよね。(あくまで個人的主観)

今回も慈照院を訪れなかったら来ていなかったでしょう。

まぁ、食わず嫌いもよくないから参拝してみた。(^^;


ちなみに京都五山は天龍寺(第一位)、相国寺(第二位)建仁寺(第三位)、
東福寺(第四位)万寿寺(第五位)と錚々たるビッグネームがズラリ。

鎌倉五山は建長寺(第一位)、円覚寺(第二位)、寿福寺(第三位)、
浄智寺(第四位)、浄妙寺(第五位)となります。

これら各五山の上に南禅寺が別格本山として格付けされています。

 

所在地:京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701
宗派:臨済宗相国寺派
御本尊:釈迦如来
創建:永徳2年(1382年)
開基:足利義満、
開山:夢窓疎石
正式名:相国承天禅寺
札所:神仏霊場巡拝の道 第99番


【歴史】
室町幕府3代将軍・足利義満は、花の御所の隣接地に一大禅宗伽藍を建立することを発願。

義満は禅の師であった春屋妙葩に開山となることを要請したが妙葩はこれを固辞。
妙葩の師夢窓疎石を開山とするなら自分は喜んで2世住職になると返したため疎石が開山となった。

相国寺は京都最大の禅宗寺院の1つとして、
また五山文学の中心地として栄えたが度々火災に見舞われた。

伽藍完成から2年後の応永元年(1394年)に全焼。
義満による七重大塔も数年で焼失した。

義満没後の応永32年(1425年)に再度全焼。
応仁元年(1467年)には相国寺が応仁の乱の細川方の陣地となったあおりで焼失。
天文20年(1551年)にも管領細川家と三好家の争いに巻き込まれて焼失。

天正12年(1584年)、相国寺の中興の祖とされる西笑承兌が住職となり復興を進めた。
現存する法堂はこの時期に建立されたものである。

その後も元和6年(1620年)に火災があり天明8年(1788年)の「天明の大火」で
法堂以外のほとんどの堂宇を焼失した。
現存の伽藍の大部分は19世紀はじめの文化年間の再建である。



【総門】


慈照院とは反対側にある為、広い境内を横切り総門へ。

めんどくさいけど山門から参拝する主義なんです。(キリッ)

寛政9年(1797)第113世梅荘和尚により復興されたもので、
さすが大本山だけあって立派なものです。


【勅使門】



【放生池と天界橋】



【三門跡】


遠くに法堂が見えます。
さすがに広い。


【法堂】






重要文化財。

法堂とは無畏堂と称して本来畏れることなく法を説くためのお堂であり、
又説法によって衆生が煩悩の苦しみから離れて生き返り蘇生する願も含まれ、
講堂的役割を果たしています。
また仏殿なきあとこれを兼ねている為、御本尊を安置して本堂と称しています。

初建は1391年であり、「法雷堂」と称しその後4度の兵火等によって焼失して、
現在の建物は天文20年(1551年)の兵火による焼失後、
1605年(慶長10年)に徳川家康の命により豊臣秀頼が米1万5千石を寄進して、
5度目に再建された建物です。



【堂内】


今は特別参拝の時期ではないので堂内に入れないが、
外から堂内を見ることは出来る。

写真は外から撮影したものである。

いかにも臨済宗って感じがする須弥壇に御本尊が祀られ、
天井には狩野光信作の見事な蟠龍図が見れます。

しかし、個人的には妙心寺法堂の狩野探幽作雲龍図の方が圧倒的に素晴らしいと思う。

あの雲龍図を初めて見た時は身体中に衝撃を感じたのは大袈裟ではない。
感動して首が痛くなるほど見ていたもんです。


【経堂】






天明の大火によって焼失した宝塔の跡地に万延元年(1860)に建立されたもので、
高麗版一切経(大般若は元時代の普寧版)が納められていうそうです。


【後水尾帝歯髪塚】






後水尾上皇は承応2年(1653)に焼失した大塔を再建され、
その時に出家落髪の時の髪と歯を上層柱心に納められましたが、
天明8年(1788)の天明の大火で焼失しその跡地に歯髪塚を建てたもので、
宮内庁管轄。


【八幡宮】


鳥居や狛犬の古さとは違い社殿は新しいものです。

義満が男山八幡から御神体を奉迎した時は男山八幡から
ここまでの沿道ことごとくに白布を敷きつめたというが、
それはいくらなんでも無理でしょ。


【天響楼】


鐘は中国開封大相国寺により二つ鋳造され、
その一つが日中佛法興隆・両寺友好の記念として寄進されたもの。


【浴室】


相国寺の浴室は宣明(せんみょう)と呼ばれ1400年頃創建されたとみられます。

現在のものは慶長元年(1596)に再建されたもの。

この宣明を称せられるのは皇室及び将軍家に限られ、
足利義満が創建した相国寺の浴室も宣明と称せられました。


【庫裏】






御朱印をいただきに庫裏へ。
誰もいらっしゃらずにいただけませんでしたが。(^^;






天井が高く梁も立派なものです。


【承天閣美術館】






入館料800円。

こちらでも御朱印をいただけますので、
御朱印帳を預けて美術鑑賞。






作品は撮影禁止でした。

個人的に重文の伊藤若冲作である鹿苑寺大書院障壁画が一番の見どころかな。

墨蹟とか水墨画、茶道具、絵画など沢山の寺宝が展示されていましたが、
あんまりぐっとくるものが無かったのが正直なところ。


【宗旦稲荷社】



【洪音楼】


横の弁天社は絶賛工事中でした。


【林光院】




足利三代将軍義満の第二子、四代将軍義持の弟義嗣(林光院殿亜相考山大居士)が、
応永25年(1418)25歳で早世されその菩提を弔う為、
夢窓国師を勧請開山として京都二条西ノ京、紀貫之の屋敷の旧地に開創。

明治7年(1874)疲弊荒廃しついに廃院となるも、
大正8年(1919)相国寺派管長・橋本獨山により再興され現在に至る。

また墓所には薩摩藩士の墓があるそうです。


【養源院】





【普廣院】



【光源院】





【御朱印】