飛鳥寺の後は前から気になっていた川原寺。
場所は橘寺の前にあります。
前と言っても数百メートル離れてますが。
所在地:奈良県明日香村川原1109
宗派:真言宗豊山派
御本尊:十一面観音
創建:670年頃
開基:天智天皇
【歴史】
川原寺は法名を弘福寺ともいわれている。
その創建年代については不明であるが、
「日本書紀」天武天皇2年3月の条に川原寺で経を写すという記事があることや、
伽藍配置や瓦の文様が天智天皇に関連する大津宮の南滋賀廃寺や大宰府の観世音時と類似することから、
天智天皇の時代(662-671)に斉明天皇の冥福を祈って建てられたものと考えられる。
昭和32・33年の発掘調査の結果、中金堂(現弘福寺の場所)の前には、
東に塔、西に西金堂が建ち中門から出た回廊がこれらを囲むようにして
中金堂へとつながっていることが判明した。
また、中金堂の北には講堂があり、これを取り囲むように僧房が3面にある。
川原寺で使われていた復井八弁蓮華文軒丸瓦は川原寺軒瓦と呼ばれ、
天武天皇の時代には近畿、東海地域の古代寺院に多くみられ、
壬申の乱で功績のあった氏族の寺院と関係のあったものと考えられている。
現在では弘福寺境内にある瑪瑙(白大理石)の礎石と公園内の建物復元基壇が当時を忍ばせている。
【風景】
私は明日香の素朴で長閑な風景が好きでね。
マンションとか風景をぶち壊すものが建てられてなくて、
本当に心が癒されます。
【お寺全景】
【山門】
お食事処 花つばきの看板が。
飛鳥寺ならともかく無名に近い知る人ぞ知るお寺に食事処があっても、
流行ってるとは思えないんですけど。(^^;
山門の奥に見えるのが小さい本堂です。
今では本当に小さなお寺ですが、
飛鳥寺と同じく往時は南大門から中門を入ると五重塔、西金堂、中金堂がある
「一塔二金堂」の大寺だったそうです。
そしてこの地は斉明天皇の宮があったとされることから、
天智天皇か天武天皇のいずれかが造営した官寺と考えられています。
【大師堂】
聖徳太子ゆかりのお寺だということですが、
軽く調べた限りどのような関係だったのかよく分かりませんでした。
【塔基壇跡】
五重塔跡。
【鎮守社】
14時半頃に訪れたのですが、
既に御住職は帰られて本堂拝観は叶わず、
御朱印もいただけませんでした。(泣)
午前中に来られた方がよろしいかと思います。
またいずれの日にまた参拝します。
場所は橘寺の前にあります。
前と言っても数百メートル離れてますが。
所在地:奈良県明日香村川原1109
宗派:真言宗豊山派
御本尊:十一面観音
創建:670年頃
開基:天智天皇
【歴史】
川原寺は法名を弘福寺ともいわれている。
その創建年代については不明であるが、
「日本書紀」天武天皇2年3月の条に川原寺で経を写すという記事があることや、
伽藍配置や瓦の文様が天智天皇に関連する大津宮の南滋賀廃寺や大宰府の観世音時と類似することから、
天智天皇の時代(662-671)に斉明天皇の冥福を祈って建てられたものと考えられる。
昭和32・33年の発掘調査の結果、中金堂(現弘福寺の場所)の前には、
東に塔、西に西金堂が建ち中門から出た回廊がこれらを囲むようにして
中金堂へとつながっていることが判明した。
また、中金堂の北には講堂があり、これを取り囲むように僧房が3面にある。
川原寺で使われていた復井八弁蓮華文軒丸瓦は川原寺軒瓦と呼ばれ、
天武天皇の時代には近畿、東海地域の古代寺院に多くみられ、
壬申の乱で功績のあった氏族の寺院と関係のあったものと考えられている。
現在では弘福寺境内にある瑪瑙(白大理石)の礎石と公園内の建物復元基壇が当時を忍ばせている。
【風景】
私は明日香の素朴で長閑な風景が好きでね。
マンションとか風景をぶち壊すものが建てられてなくて、
本当に心が癒されます。
【お寺全景】
【山門】
お食事処 花つばきの看板が。
飛鳥寺ならともかく無名に近い知る人ぞ知るお寺に食事処があっても、
流行ってるとは思えないんですけど。(^^;
山門の奥に見えるのが小さい本堂です。
今では本当に小さなお寺ですが、
飛鳥寺と同じく往時は南大門から中門を入ると五重塔、西金堂、中金堂がある
「一塔二金堂」の大寺だったそうです。
そしてこの地は斉明天皇の宮があったとされることから、
天智天皇か天武天皇のいずれかが造営した官寺と考えられています。
【大師堂】
聖徳太子ゆかりのお寺だということですが、
軽く調べた限りどのような関係だったのかよく分かりませんでした。
【塔基壇跡】
五重塔跡。
【鎮守社】
14時半頃に訪れたのですが、
既に御住職は帰られて本堂拝観は叶わず、
御朱印もいただけませんでした。(泣)
午前中に来られた方がよろしいかと思います。
またいずれの日にまた参拝します。