本満寺参拝後、寺町を北上。
門は開いて無かったけど雰囲気の良さげなお寺が見えた。
そのお寺の名は十念寺。
案内板によると室町幕府第6代将軍足利義教の墓があるという。
なるほど、
山門から感じられる雰囲気が単なる檀家寺ではないと思ったよ。
所在地:京都府京都市上京区寺町通今出川上る鶴山町13
宗派:浄土宗西山光明寺派
御本尊:阿弥陀如来
開山:真阿上人
【歴史】
亀山天皇の皇子真阿上人が将軍足利義教の帰依をうけて
当時誓願寺のあった元誓願寺通小川の辺に創立し、
天正年間(1573~1591)この地に移った。
本尊阿弥陀如来は東山雲居寺から移したと伝える文六の坐像である。
寺内には後陽成天皇の皇子高雲院宮の墓所をはじめ、
足利義教、施薬院全宗法印、鋳造師金座銀座両家、徳大寺公城等の墓や竹内式部贈位の碑がある。
【足利義教】
応永元年(1394)足利義満の3男として生まれ応永10年(1403)青蓮院に入室し、
応永15年(1408)に得度して門跡となり「義円」と名乗った。
応永26年(1419)に百五十三代天台座主となり「天台開闢以来の逸材」と呼ばれ将来を嘱望されていた。
5代将軍足利義量は将軍とは名ばかりで実権は父の足利義持が握っていたが、
応永32年(1425)に義量が急死した後も僧体の義持が引き続き政治を行った。
その義持も応永35年(1428)に病を得るが危篤に陥っても後継者の指名を拒否。
そこで群臣たちが評議を開いた結果、石清水八幡宮で籤引きを行い[、
義持の弟である梶井門跡義承・大覚寺門跡義昭・相国寺虎山永隆・青蓮院門跡義円の中から
次期将軍を選ぶことになった。
1月17日、石清水八幡宮で籤が引かれ翌日の義持死亡後に開封された。
後継者に定まったのは義円だった。
このことから彼は籤引き将軍とも呼ばれる。
説教しようとした日蓮宗の僧日親上人は灼熱の鍋を頭からかぶせられ、
二度と喋ることができないように舌を切らる法難を受ける等、
「悪御所」の綽名で呼ばれた義教は苛烈な側面を有しており、
些細なことで激怒し厳しい処断を行ったと言われる。
【山門】
この日は残念ながら境内に入れませんでした。
【境内】
和の境内と洋の本堂のコントラストが珍しい。
モダンな本堂が印象的ですね。
一心寺の御住職が設計されたと知り納得しました。
【庫裏】
【お地蔵さん】
心和みますわ~。
御朱印の有無は不明です。