Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

安倍文殊院・木造騎獅文殊菩薩像 国宝指定

2013-03-20 | 仏閣

http://www.nara-np.co.jp/20130228090611.html

国の文化審議会は27日、日本三文殊の一つに数えられる安倍文殊の本尊、
木造騎獅文殊菩薩像を中心とする仏像群を国宝に指定するよう、
文部科学大臣に答申した。

県内で彫刻の国宝指定は20年ぶり。

一緒に指定される仏像群は善財童子像と優填王像、
仏陀波利三蔵像の3体で、いずれも重文。



今年の2月3日に参拝した安倍文殊院の御本尊の文殊菩薩と他3体が、
国宝に認定されたんですね。

http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/7a822207858c483f644263ef1e6362f4

というか、
今まで国宝じゃなかったのがおかしかったんですよ。

今回、国宝に昇格した理由がイマイチよく分からんし。

誰が造ったのか重要かも知れない。
歴史的に重要なのかも知れない。

だが、
誰が造ったとしても、歴史がどうあれ、
どこからどう見ても、誰が見ても国宝に相応しい仏像ですよ。

遅過ぎた国宝認定と思いますが、
これほど嬉しいことはありませんね。(^^

十念寺(2013年2月9日参拝)

2013-03-20 | 仏閣
本満寺参拝後、寺町を北上。

門は開いて無かったけど雰囲気の良さげなお寺が見えた。

そのお寺の名は十念寺。

案内板によると室町幕府第6代将軍足利義教の墓があるという。

なるほど、
山門から感じられる雰囲気が単なる檀家寺ではないと思ったよ。



所在地:京都府京都市上京区寺町通今出川上る鶴山町13
宗派:浄土宗西山光明寺派
御本尊:阿弥陀如来
開山:真阿上人



【歴史】


亀山天皇の皇子真阿上人が将軍足利義教の帰依をうけて
当時誓願寺のあった元誓願寺通小川の辺に創立し、
天正年間(1573~1591)この地に移った。  

本尊阿弥陀如来は東山雲居寺から移したと伝える文六の坐像である。

寺内には後陽成天皇の皇子高雲院宮の墓所をはじめ、
足利義教、施薬院全宗法印、鋳造師金座銀座両家、徳大寺公城等の墓や竹内式部贈位の碑がある。


【足利義教】
応永元年(1394)足利義満の3男として生まれ応永10年(1403)青蓮院に入室し、
応永15年(1408)に得度して門跡となり「義円」と名乗った。
応永26年(1419)に百五十三代天台座主となり「天台開闢以来の逸材」と呼ばれ将来を嘱望されていた。

5代将軍足利義量は将軍とは名ばかりで実権は父の足利義持が握っていたが、
応永32年(1425)に義量が急死した後も僧体の義持が引き続き政治を行った。
その義持も応永35年(1428)に病を得るが危篤に陥っても後継者の指名を拒否。

そこで群臣たちが評議を開いた結果、石清水八幡宮で籤引きを行い[、
義持の弟である梶井門跡義承・大覚寺門跡義昭・相国寺虎山永隆・青蓮院門跡義円の中から
次期将軍を選ぶことになった。

1月17日、石清水八幡宮で籤が引かれ翌日の義持死亡後に開封された。
後継者に定まったのは義円だった。
このことから彼は籤引き将軍とも呼ばれる。

説教しようとした日蓮宗の僧日親上人は灼熱の鍋を頭からかぶせられ、
二度と喋ることができないように舌を切らる法難を受ける等、
「悪御所」の綽名で呼ばれた義教は苛烈な側面を有しており、
些細なことで激怒し厳しい処断を行ったと言われる。


【山門】


この日は残念ながら境内に入れませんでした。


【境内】


和の境内と洋の本堂のコントラストが珍しい。

モダンな本堂が印象的ですね。
一心寺の御住職が設計されたと知り納得しました。


【庫裏】



【お地蔵さん】


心和みますわ~。


御朱印の有無は不明です。