ブログ 「ごまめの歯軋り」

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山本芳久著  「トマス・アクィナスー理性と神秘」 岩波新書2017年2月

2019年11月10日 | 書評
渡良瀬遊水地 周回サイクルロードより

「神学大全」に見るトマス哲学の根本精神を理性と神秘から読み解く 第16回

第5章) 「理性」と「神秘」 (その2)

トマスは「受肉の神秘」を神が自らを人間に一致させるため、さらに人間を神に一致させるために実現されたものであるという。神が人間本性を摂取して神的本性と一致させることによって、人間本性側に新たな善の状態を引き起こすのが「受肉」という出来事なのだと説明した。永遠の生命へ導く人間救済のために神が示した「秘跡」は狭い意味で、洗礼、堅信、聖体、悔悛、終油、叙階、婚礼の7つであるが、広い意味では、キリストの懐胎、誕生、割礼、受洗、交際、試み、教え、奇跡、変容、受難、死、黄泉への下降、復活、昇天といった生涯の出来事のすべてが「受肉の神秘」に含まれる。トマスは神学大全において「神が受肉することはふさわしいことであったか」との問いを立て、ディオニシウスの「神名論」より最高善〈神)の特質は人間に伝達すると引用し、またアウグスティヌスの「三位一体論」を取り上げて、神と魂と肉体の三者が一つのペルソナ(人格、個性)になることで、人間本姓を神に結合することはふさわしいと述べている。トマスはディオニシウスに由来する「善の自己伝達性」を「受肉の神秘」の説明に援用している。トマスは大全に「世界の万物の多さと種類は神に由来するのか」というの問いを立て、神が自らの善性を被造物に伝達されたためであると答えています。またトマスは「恩寵論」においてペテロの手紙から「成聖の恩寵(恩寵を受ける本人を聖化する)」、「無償の恩寵(他者を神との関係へと導くために神から与えられる恩寵)」を強調している。恩寵はあくまで神のみが与えることができるが、恩寵を受けた者は他人をも救済する手助けするために神の善を他者に分与することができる。「ヨハネ福音書」においてキリストは「私が来たのは彼らが命を持ち、より豊かに持つためにである」と述べている。神の受肉は幸福へ向かおうとする人間たちにとって最も効果的な助けである。トマスの「受肉論」はアリストテレスの「幸福論」の影響が濃厚である。アリストテレスは一人の幸福は幸運に過ぎないが、人類全体の充実が「幸福」だとする論である。トマスは理性的存在である人間にとって「完全な幸福は神を直接的に観ることである」という。感覚的世界に在っては神は簡単には捉えがたいが、はたして人間は可知的に神をとらえることができるのだろうか。451年カルケドン公会議で「カルケドン信教」が採択され、「三位一体」という正統的教義が確立した。

(つづく)