ブログ 「ごまめの歯軋り」

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山本芳久著  「トマス・アクィナスー理性と神秘」 岩波新書2017年2月

2019年11月07日 | 書評
渡良瀬遊水地 周回サイクルロードより

「神学大全」に見るトマス哲学の根本精神を理性と神秘から読み解く 第13回

第4章) 肯定の原理としての愛徳「カリタス」(その1)

愛の徳とは普通は聞きなれない言葉である。カトリック教会では神学的徳としての「愛」(チャリティー)を表現する言葉となっている。トマスは恐らく歴史上の哲学者の中で最も体系的な「愛」の理論を構築した人物であるとされる。チャリティーという言葉は「愛徳」(愛)、「カリタス」の二つの表記を行う。トマスは自己愛は隣人愛に足して優先するという見解を持つ。神学大全において「人は自己自身を愛徳において愛すべきか」という問いを立て、「友愛は一致させる力であるが、人は自己自身に対して一性を持っている。一性は一致より強力である。」といった。マタイ福音書で「隣人をあなた自身のように愛せよ」というが、これは隣人愛の優先を述べたわけではなく、隣人愛のモデルとして自己愛の役割を言ったものである。友愛とは別々のものにとどまりながら、深いかかわりを持つことである。これを「一致」という。「一性」とは確固とした自己愛を持つ人(個の人格が確立した人)そのものであることである。西洋思想の中心である「個の確立」が社会の最前提である。ここでトマスは愛徳の運動の根源に「自己」ではなく「神」を置いた。アリストテレス「ニコマコス倫理学」では友愛論を説いたが、トマスは人間と神の間には至福の共有に基づいた「友愛」があることをキリスト教神学に固有な特徴とした。神が自らの至福を人間に分かち与えて永遠に共有するという人間肯定論という恵みを信じることによって、「信仰」を持つかどうかの決定的な選択が問われるのである。アリストテレスの「形而上学」において言及される神とは、宇宙の運動の第一原因として特徴付けられる「不動の動者」で遥か彼方の存在である。それに対してトマスのキリスト教の神は絶対者に留まるのではなく人間を認め交流を求める神である。いわば「人間を求める神」の人間との友愛としての愛徳をトマスは語るのである。友愛というものはそもそも相互的なものだ。愛徳が「神と人間との友愛」である以上、そこには双方向性がある。トマスは「神のカリタス」という言葉を使う。カリタスとはコミュニケーションの意味にもとれる。神が我々を愛するところのカリタス、我々が神を愛するところのものが神のカリタスである。これも徴の一種である。

(つづく)