転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



2009年8月から練習を始めた、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第5番だが、
最近ようやく第3楽章の最後まで通すことが出来るようになった。
しかしどうかすると、まだあと1年は追求し続けたい気がする(爆)。
時間をかければそれだけ良いものになると決まっているわけではないが、
私は性格的にとにかくシツコいので、何かを得心するまでやろうと思うと、
どんなことでも人一倍、手間暇が必要なのだ。
これが趣味の話でなく、仕事で仕上げなくてはいけないものがある場合は、
何より納期優先だから、そこまで自分本位には、やらないけれども。

しかし一方で、現在の自分は、自分が願っているほどの力量はない、
ということも、謙虚に受け入れなくてはならないと常に思っている。
自分の想定する「完成」に辿り着けないのは、時間が足りないからではなく、
自覚しているよりもっと、今の自分に力がないことが理由なのであり、
その場合は、出来映えには不本意でも、一旦、妥協するほかはない。
眼高手低ならぬ、耳高手低というわけだ。
未解決の部分を多々残したまま、手を引かなくてはならないときは残念だが、
また何年か経って再会することがあれば、
もう少しマシなものとしてやり直せるかもしれない、
と、まあ明日を信じて気長に構えるのが良いだろう。

一昨年弾いていたモーツァルトのピアノ・ソナタKV545は、その典型だった。
子供の頃は、練習して譜面の音を拾っても、到底音楽になっていなかったが、
オバさんになって再開してから弾いたら、少しは自分で「わかる」ものがあった。
かつては「こんな簡単な曲が弾けない私はヘタだ」と自己嫌悪があったが、
今になってみると、「限られた音でこれほど難しい曲を書いたモーツァルトは神だ」
ということがよくわかった。
だからどこが課題なのか、なぜ、音が並んだだけでは駄目な演奏になるのかを、
自分なりにわかった上で、再び、弾き直すことができた。
自分流にでも、理解があった上で弾いた曲は、
昔の自分の弾き方より、格段に良くなった実感があった。

ということで、5月には再びモーツァルトが待っている。
ピアノ協奏曲第27番の第2楽章だ。
しばらくベートーヴェンを弾いていた感覚で、モーツァルトに再会すると、
欲求不満がたまる(爆)。
ベートーヴェンなら、タメておいてガツン!と行ったに違いない節目節目の音を、
モーツァルトの場合は、そのような決め方をしてはいけないので、
私のように洗練されない弾き手は特に、意識して自分を抑制する必要があるのだ。
本番で緊張すると、途中でいきなり、不用意な音を出してしまいそうで心配だ。

更に怖いことに、本番のピアノはスタインウェイだ。
今更ブランド名にビビっているのではない。
『スタインウェイは黒鍵の幅が狭い』ということが不安の種なのだ。
聞いた話によると、実際には鍵盤の土台の横幅は狭くないということだったが、
打鍵のとき指に触れる部分の幅が、スタンは普通より狭いのだ。
フォルムとしては、このほうがすっきりと美しく見えるのは確かだが、
何か演奏上のメリットがあって考案されたものなのだろうか?
私のような弾き手からすると、狭い黒鍵は外しそうで、
視覚的な部分だけでも既に怖いのだが(汗)。

ポゴレリチみたいに、普通より明らかに指の太い演奏者なら、
黒鍵の間に指が挟まる危険が少なくなって、かえって弾きやすいのか(爆)。

Trackback ( 0 )




上質の教養・娯楽に重点 NHKBS、2チャンネルに統合・再編(朝日新聞)
『NHKの衛星放送(BS)のチャンネル数が4月に3から2へと減る。7月の地上デジタル放送完全移行を控えた再編で、各チャンネルのコンセプトも見直した。地上波からBSに移る番組や姿を消す番組もあり、放送のラインアップが大きく変わりそうだ。』『現在NHKのBSには、BS1、BS2、BSハイビジョンがある。これを統合・再編して、4月1日からはBS1とBSプレミアムの2チャンネル体制にする。』

記事によると、この再編成により大きな変化があるのはBSプレミアムだそうだ。
『「本物志向の教養・娯楽」チャンネル』を謳って、扱う主な分野は
「紀行」「自然」「美術」「歴史」「宇宙」「音楽」「シアター」の七つ、
視聴者のターゲットは40~50代だということだ。

……と、ここだけ読めば、まさに中年である私にとっては、
これからのNHKは、うんと魅力的なものになるのか、
と早合点しそうになったが、とんでもなかった。
最後の段落を読んで、私は心底、仰天してしまった。

『一方で、姿を消す番組もある。金曜夜の「芸術劇場」(教育テレビ)と金曜深夜の「ミッドナイトステージ館」(BS2)は3月で終了し、演劇を扱う番組がなくなる。BS2の「プレミアムシアター」はBSプレミアムに残るが、日本で上演される演劇は基本的に扱わないという。演劇番組の関係者の一人は「地方の演劇ファンから、惜しむ声が届いている。なくなるのは残念だ」と話している』

NHKと日本の演劇界の間に、何か悶着でもあったんですか(爆)。
なんという仕打ち。
『上質の教養・娯楽に重点』を置いたら、その結果、
「芸術劇場」と「ミッドナイトステージ館」が終了する、
ってどういうことだよ!?

喧しいコマーシャルが入らず、最初から最後まで通して鑑賞できることと、
大衆が見向きもしないマニアックな企画でも教育テレビならやってくれる、
ということの二点が、昔から私にとってのNHKの魅力で、
中でも「芸術劇場」は、地上波しかなかった頃から、
各種舞台、クラシック音楽、古典芸能を放映してくれた貴重な番組だった。
実のところ、私が今、手元に残してある録画の大半は、この番組からのものだ。
忘れがたい演奏会、一生の宝物にも等しいほどの舞台記録を、
私はこの番組によって手に入れることができた。
私にとっては、NHKの存在意義そのものと言っても過言ではない番組だったのだ。

まあ多分、私のような視聴者など黙殺しても問題ないほどの人数に過ぎず、
これまで通り放映していたって、ろくに観る人間がいない、
という判断があって、NHK側は番組を打ち切る決定をしたのだろう。
大人気の看板番組をわざわざ終了させるはずはないだろうから。

しかし、もしそうなら、なんのためにNHKは
受信料を徴収して複数チャンネルもある公共放送をやっているのか。
見る人がどのくらい多いか少ないかだけで、
どのような番組もすべて終了か存続かを決定するのだとしたら、
視聴率とスポンサーの意向とに振り回される民放と、
全く変わるところがないではないか。

ことわっておくが、私には意見を述べる資格がある。
調べて貰えばわかるが、私はこれまで、親の家から独立して以来、
ただの一度も、NHK受信料の支払いを怠ったことがない。
尾行させれば陰の如し、みたいな薄気味悪い集金人に閉口させられながらも、
私は常に変わることなく受信料を納め、長らく真摯にNHKを支えてきた人間だ。

『「地上波がメジャーで、BSがマイナーだというイメージをなくしたい」』
などと言っているようだが、本当にこのまま演劇関連の放映がなくなるのだったら、
私にとっては、もう地上波もBSも、実質的に超マイナーな存在になるだろう。
いよいよ見る番組のなくなったNHKなどより、CSの専門チャンネルと契約して、
観たいもの三昧で過ごすほうが、よほど確実だからだ。

思い返せば、NHKがイーヴォ・ポゴレリチを取材した番組が、1983年と2005年とにあった。
特に83年のは、ポゴレリチのリサイタルを最初から最後までライブ収録したという意味で、
世界じゅう探してもほかに何本もないだろうという種類の、あまりに貴重な映像だった。
ポゴレリチのような演奏家が、民放で取り上げられるわけがないし、
CSクラシカ・ジャパンも現在までのところ市販映像しか流していないから、
独自に取材してくれたという点で、私はNHKに感謝せねばならないと思っている。
調べてみたら、83年のも05年のも、両方ともやはり「芸術劇場」だった。
どう考えても、私にとってはNHK=芸術劇場、というくらいの重さがあったよなあ。

Trackback ( 0 )




『四谷駅のトイレ、手を洗わないヤツ連発ハケーン』
と主人がメールして来たのは、東京旅行中の2月13日の朝だった。
ホテルで朝寝坊していた娘と私を尻目に、
主人はこの日も、朝早くから起きだして都内で遊んでいたのだが、
年末の京都・大阪に引き続き、またも男子トイレで手を洗わない人間を発見した、
と言って、私の携帯に報告して来たのだった。

いい加減、そこから離れんか(^_^;)。

しばらくしてホテルに戻ってきた主人の話によると、
JR四谷駅で主人が用足しをしたあと手を洗っていたら、
主人より後に用事の済んだ若い男性が、洗面所に寄らずにサーっと通り過ぎ、
続いて、背後の個室から出てきたオジサンもまた、
主人の隣には並ばずに、サッサと外に行ってしまったそうだ。

考えてみると私は、辺鄙な場所などでの男女共用トイレを除けば、
基本的に女子トイレしか利用したことがないので、
男子トイレで殿方がどのように行動なさっているかを
目撃する機会が全くなかったわけだが、
ハケーン報告が短期間に各地で、こう続くとなると、
この際『手を洗わない』がデフォルトか?と思うようになった。

これだけ熱心にメールして来る以上、
主人本人はどうやら真面目に手を洗っているようだが
(姑のシツケが良かったのか、主人がよほど従順な息子だったのか)、
世の中では、既にそのへんテキトーになってしまっている男性が、
実は、女性達が想像する以上に多いのではないか。


それにしても、手を洗いもしないのに『お手洗い』とは、これ如何に。

Trackback ( 0 )




西川貴教、『おくさまは18歳』でTVドラマ初主演(BARKS)

ツイッターでフォローしている西川貴教のツイートに、
最近、ロケや撮影の話題がたびたび出て来るので、
何に出演するのだろうかと調べてみたら、なんとTVドラマ初主演だった。
高校教師と18歳の女子高生が周囲には内緒で結婚している、
という設定だそうで、もちろん西川氏がその先生役だ。

リンクした記事によると、70年代の初めに放映されたもののリメイク、
とあったので、私は最初、『おさな妻』のことかと思い(殴)、
なんとゆーヤバいものに主演するのか!と仰天したが(蹴)、違った(恥)。
私が想像したのは官能小説の富島健夫だったが、
今回のドラマの原作はそれではなく、少女漫画の本村三四子の同タイトル作品だった。
(記事中に木村三四子とあるのは本村三四子の誤りだろう。)

ちなみに富島健夫『おさな妻』のほうも、ちょうど1970年の作品で、
やはり高校生の主人公が、おとなの男性と結婚する話だったのだが、
女性の初婚年齢がまだかなり低かったあの当時でもさすがに、
十代の女の子が人妻になるというのは、新鮮かつ衝撃的な設定だったようだ。
ウィキペディアによると、『おくさまは18歳』『おさな妻』『ハレンチ学園』等は、
『(当時の)既成の性のモラルを挑発的に捉えた作品』と位置づけられるようだ。

2011年現在に置き換えて考えてみると、やはり今でも、
高校生で正式な婚姻届を出して人妻になり、なおかつ学校にも通ってきている、
という人は非常な少数派だろうとは思うが、40年前とは違い、
今や『既成の性のモラル』自体がかなり曖昧なものになってしまっているので、
「高校生の女の子がオトコの家から学校に通ってきている」
という実態そのものには、昔ほど皆が驚かなくなったのではないかと思う。
それでいい、とは言いませんけど(汗)。

しかしそれは別として、以前、高校教諭になった友人(男性)が言っていたが、
「教え子と恋愛関係になる」というのは、男性教諭にとって、
絶対にしてはならない、タブー中のタブーなのだそうだ。
当たり前か(苦笑)。
これは教諭が独身男性であっても、だ。
仮に結婚を望むとしたら、独身男性教諭と女子高校生の組み合わせは、
法律的には年齢等の条件に何も違反していないのだが、
直接の教え子となると、やはりそこに「道ならぬもの」が感じられる、
ということなのだろう。

しかし一方で、教師をしている人の夫人が「もと教え子」というのは
世の中、結構、多い話だと思う。
私の知っている中にも、何組かそういうご夫婦がある。
話を聞くと、「先生と生徒だった頃にはなんとも思っていなかったが、
卒業して何年も経って再会して、それがきっかけで交際するようになり、
結婚に至った」、という意味のことを異口同音に仰るのだが、
それって果たして、完全に本当だろうかねえ(殴)。

Trackback ( 0 )




・ようやく、おひな様を娘の部屋に飾った。
娘の初節句に我が両親の選んでくれた、木目込人形の親王飾りだ。
実家には、母が生まれたときに金沢のおばあちゃんが贈ってくれたという
1920年代製作の段飾りが、土蔵のどこかに収納されているのだが、
それらはもうずっと長い長い間、陽の目を見たことがない。
毎年、この季節になると私は彼らの存在を思い出すのだが、
いつぞや某氏に言われたように、既に「白骨化」していそうで、
私は、こうなるともう、出してみるのがとても怖い(爆)。

・昨日はバレンタイン・デー、年に一度の友チョコの日だった。
今年は連休全部を旅行に使ってしまったので、
娘は友チョコを手作りする時間が取れず、製作を断念した。
かわりに、可愛い包装のベビーチョコがたくさん入った大袋を買い、
家でそれを解体して、色の配分を考えながら、プレゼント用の小袋に詰め直した。
クラスや部活や中高生絵画教室のお友達と交換するのだそうで、
娘はそういう小袋を何十と作った(汗)。
「お弁当箱が入らん」というくらいの量だった。
にも関わらず、昨日帰ってきたら娘のカバンは貰った友チョコで溢れ返り、
「足らんかった」と、夜にまた、追加製作を行っていた。
世の中、義理チョコは下火になりつつあるようだが、友チョコは隆盛だ。

・私はどうしてもKAT-TUN(カトゥーン)の読み方が覚えられない。
カッツン、カートゥーン、などと読んで娘に注意されることが、未だに続いている。
この変わったグループ名が、6人いたメンバーの名前の頭文字を取って並べたもの、
だということは私も一応、知っていたのだが、
それにしても赤西くんが抜けて今は5人なのなら、KTTUNだから発音できんだろうが、
と、このところ内心で思っていた。
それで、そのへんの事情を今更ながらネットで調べてみたところ、
なんと、亀梨くんの「KA」だから相変わらずKAT-TUNで良いのだそうだ。
なんたる詭弁!と私は憤然となったが、娘は、
「じゃあ亀梨くんがリーダーなんだね」
と全然別のことを言った。
私「なんで彼がリーダー?」
娘「だって彼だけ二文字使って貰ってるじゃん」
私「使われた文字数の多い人がリーダーだと決まっているのか?」
娘「じゃあ、誰がリーダーなの?」
という遣り取りを続けていると、主人が横合いから娘を止めた。
「そんなこと、おかあちゃんに訊いたって、わかるわけがないだろう」
その通りだ。

Trackback ( 0 )




夫婦別姓求め男女5人が初の提訴(共同通信)
『夫婦別姓を望む東京、富山、京都在住の男女5人が14日、結婚でいずれかの姓にしなければならない民法の規定は「両性の平等」を定めた憲法に違反するとして計600万円の国家賠償を求め東京地裁に提訴した。うち4人は東京・霞が関で会見し「政治には期待できない」と訴えた。5人のうち、事実婚の夫婦2人は婚姻届の不受理処分の取り消しも東京都荒川区に求めた。夫婦別姓を求める訴訟は初めて。』

前に見たことのある話であるような気がして、本当に『初めて』?と
疑問に思ったのだが、調べてみたら、同じ人たちのことだった(汗)。
先月初めに出ていたこの話↓が、このほど実現したというわけだ。

夫婦別姓求め初提訴へ=「憲法違反」と国賠請求-東京地裁(時事通信)
『夫婦別姓を認めない民法の規定は、夫婦が同等の権利を有するなどと定めた憲法に違反するとして、男女5人が国や自治体を相手取り、別姓で出した婚姻届の受理や計約500万円の国家賠償を求める訴訟を東京地裁に起こすことが6日、分かった。2月にも提訴する。』『原告側の弁護士によると、夫婦別姓を求める訴訟は初めて。選択的夫婦別姓制度の導入に向けた議論に影響を与えそうだ。』『訴えるのは、富山市の元高校教師塚本協子さん(75)や東京都、京都府の計5人。1985年に女子差別撤廃条約を批准し、96年には法制審議会(法相の諮問機関)が選択的夫婦別姓制度の導入を答申したにもかかわらず、民法を改正しない立法の不作為で、精神的苦痛を受けたなどと主張する見通しだ。』『塚本さんは「民主主義の世の中なのに、女性が姓を変えるべきだという因習になぜ縛られないといけないのか」と話している。』(2011/01/06-20:51)

現在の民法そのものは、女性差別ではない。
婚姻に際し、夫か妻の、どちらかの姓を選ぶこと、と定められているだけで、
「夫の姓が優先される」「原則的に妻側が改姓する」とは法律は全く言っていない。
改姓による手続き処理等一切を行うことを「不利益」と定義するのであれば、
それは夫婦のどちらかに、二分の一の確率で「当たる」という意味で、やはり平等だ。

現民法は、単純に夫婦共通のfamily nameを持つことを定めているだけであり、
また、夫婦は婚姻の際に新戸籍をつくり、どちらの実家からも除籍されるので、
「名乗った姓のほうの家に入り、養子(養女?)になる」のとも全く違う。
だから、『民法の規定が憲法違反』という、この人たちの訴え自体は、
飛躍し過ぎというか、いささか矛盾を抱えていると私は感じている。

むしろ、この人たちにとって障害となっているのは、
「夫側の姓を選ぶのが普通だ」という、旧民法以来の社会通念のほうだろう。
法律ではなくて、この強固で保守的な感覚に自分たち自身も勝てなかったために、
family nameを選ぶときに、夫が妻側の姓を選ぶことが最初から「想定外」になり、
妻も「夫に改姓させるより自分が旧姓を使用し続ける」ことだけを
是としてしまうのではないか。

娘の学校の某先生(男性)は、こういう感覚からは自由な人だったらしくて、
結婚のとき、お嫁さんの姓が綺麗で珍しい響きだから、という理由で、
夫である自分が改姓して、妻側の姓を新しい名字として選択なさっていた。
法律上、夫側の改姓を妨げるものは何もないのに、
こういうことを抵抗なくできる夫婦が、未だに少ないことが問題だというだけだ、
と私は思っている。

私が理念だけで思っている、婚姻に伴う姓選択の「両性の平等」は、
夫側も妻側も、過去の慣習に捕らわれることなく、
いずれの姓でもfamily nameとして選べるような感覚を身につけること、
はっきり言えば、社会通念と、男性側の感覚とが変わり、
もっと多くの男性が抵抗なく女性側の姓を名乗る世の中になることだ。
どこの夫婦も男性側の姓ばかり選ぶから不平等感が募るのであって、
女性側の姓を選ぶ夫婦がもっと増えて、普通の存在になれば良いのにと思う。
別姓より同姓のほうが良いと私は感じる。
結婚して「新たなひとつの戸籍」を二人で一緒に作るのだから、
夫婦が別々の姓でいるより、何か共通の姓を持ったほうが良い。

私は個人的にfamily nameは大事なものだと思っているが、
一般論としても、夫婦や家族の姓が共通であることのメリット自体は、
大半の人が、否定しないのではないだろうか。
皆が同じ姓を共有していることで、夫婦や家族の単位が明確になるし、
子供達の姓をどうするかという問題もなくなる。
家族の中で一人だけ姓が違うとか、きょうだいで姓がばらばら、という事態も回避できる。
婚姻の際に夫の姓を選ぶ夫婦も妻の姓を選ぶ夫婦も、同じくらいの割合で存在するなら、
もう、夫婦同姓=女性差別、という図式は無くなるし、
家族でひとつのfamily nameを共有することも、男女差別の結果と言われなくて良くなる。
(姓も名もどちらも一生絶対に変えたくない・変えたら自分個人の尊厳が崩壊する、
という考え方に拠り所を見出す人の場合は、私とは前提が違うので話は別だが。)

しかし、日本では結局、そんな世の中は来ないのだろう。
人の感覚を変えることは、現実問題として非常に困難だ。
男性側はほぼ全員、改姓しようとしない。これは初期設定として動かない。
結婚に際して夫の姓を名乗る女性は「普通」だが、
妻の姓を選ぶ男性は「養子に行った?どういう事情?」と今でも言われる。
結婚に際して自分のこれまでの姓を変えない男性は「普通の人」だが、
結婚に際して自分のこれまでの姓を変えたくないという女性は「うるさい人」だ。
現在の民法が両性の平等を謳っていても、私達はそのように行動して来なかった。
こういう世の中だから、今後もし「選択的」夫婦別姓が制度化されたって、
現実には男性は「選択」などしないのだ。
「選択」を迫られることになるのは、女性だけだ。
「改姓するか・しないか」はどこまでも女性側だけの問題であり続けるわけで、
ということは、男性に意識の改革を迫れなかった以上、
選択的夫婦別姓とは、結局のところ、女性側の譲歩・敗北ではないのだろうか(爆)。

……などという、ナンセンスな空想の話はさておき。
それなら仕方ないから、選択的夫婦別姓が、
現状ではとりあえず理想だということにして、
そうなると、婚姻届けを出すときに女性が旧姓使用を選択しようとした場合、
男性側は皆、「法的に可能になったから」というだけで心から賛成できるだろうか。
別姓が認められるようになったとき、依然として多くの男性、特にその両親は、
夫側の姓に改姓する女性のほうを好ましく感じる、ということはないだろうか。
改姓してくれるか・くれないか、そのことに対する女性の考えを聞くことにより、
男性(とその両親)は、相手の女性の愛情を量ったり、結婚への姿勢を判断しようとする、
という、これまでなかった問題が表面化するのではないだろうかと私は心配している。
絶対に改姓したくない女性は、そんな男とは結婚しなければ良いだけか(汗)。

Trackback ( 0 )




寝坊してホテルをゆっくりチェックアウトし
東京駅の、魚の粕漬けのお店『銀鯱』で昼食を取り、
それから八重洲ブックセンター本店に行った。
入り口で三人は別行動になり、各自見たい売り場へ散った(笑)。

主人や娘がどこに行ったか知らないまま
私はまず語学の棚を覗いてから東洋思想のコーナーに行ってみた。
こういう広い本屋には、えてしてとてもマニアックな本があるので
漢詩絡みで何かないかと期待していたのだ。

果たしてきょうは門玲子・著『江馬細香』というのを見つけた。
江馬細香というのは、化政期に優れた漢詩を残した女性なのだが
私にとってとりわけ彼女が魅力的なのは、
頼山陽の生涯の恋人であったという点だ。
山陽の人生には何人もの重要な女性が登場するが、
細香はその中でも、山陽の二度目の妻りえと「双璧」のように、
彼の精神生活に様々な影響を及ぼした存在だ。

あの時代に、自らの意志で独身を貫き、熱い恋愛感情を抱きつつも、
山陽との濃密な師弟関係を全うした細香は、異色の女性であったと思うし、
その細香を、女性や恋人としてのみ捉えるのではなく、
性別を超えて、彼女の詩才にまで惚れ込んでいた山陽もまた、
現代でも稀なほど「自由」な感性を持った男性であったのだと思う。

こんな評伝が出ていたとはきょうまで知らず、
これぞ出会いの本、と嬉しく思ったが、お値段なんと4200円……。
うぅむ、宝塚大劇場のB席を買ってお釣りが来るではないか。

しばし迷ったが、窓際の書見コーナーに持って行って、
少し落ち着いて目を通してみたあと、やはり買うことにした。
最初に店頭で手にとって中身を見る、という出会い方をしなければ、
なかなかこのような価格の本を買おうという決心はできないものだし、
心惹かれた本をその場で買わずに、『またそのうち』と先送りして
気づいたら絶版になっていた経験は、これまでたくさんあったからだ。

かくして、私の今回の東京みやげ(自分用)は『江馬細香』となった。

家族で二時頃集合し軽食をとって、午後三時半の新幹線に乗った。
午後七時半に広島着。

予報を見て覚悟したほどの雪にもならず
穏やかで良い二泊三日だった。

Trackback ( 0 )




遅く起きてブランチとして某ホテルのバイキングを楽しんだあと
雨模様だったがさほど悪い天気でもなかったので
娘が興味を持っている某大学を見に行った。
ちょうどどこかの学部が入試をやっているようだった。

そのあと上野の国立博物館へ行った。
入場券を買おうと並んでいたら、私達の前にいた男性が、
「アダルト。三枚」
と言っていて、何かR-18な響きに聞こえて私はウケてしまった。
しかしこのあと、博物館内部で再度お見かけしたときにわかったのだが、
この男性は、どうやら通訳ガイド(爆)の方であったようだ。

娘は博物館というものがもともと好きで、考古学趣味もあり、
将来は学芸員になれたらいいなあ、と途方もないことを言う人なので
(わかっている。それは漫画『ギャラリーフェイク』で仕入れた考えだ)、
今回もとても喜んで、自分の趣味の仏像や考古学関連の展示を見て歩いた。
それから、特設展の平山郁夫展も皆で見た。

博物館にいる間に、外はまとまった雨になり、
夕方からは傘をさしてホテルに帰った。
夜は一転して雨が上がり、月が出た。
赤坂の某中華料理店で夕食。

楽しかったが、大学に博物館にと、よく歩いて疲れた。

Trackback ( 0 )


東京  


予定通り家族で東京旅行。
名古屋~浜松は雪が多く新幹線は約15分遅れたが
あまり大きな影響はなく、ほぼ予定通り昼食→ホテルチェックイン。

夜は東池袋あうるすぽっとにて、劇団スタジオライフの
『11人いる!』を家族三人で見た(笑)。
休憩無しの二時間の公演は、結構、腰にキた。

詳しい感想は、多分、また、いずれ。

Trackback ( 0 )




『八百長疑惑の解明ができず、大相撲本場所や地方巡業が中止になるのに、
力士たちに給料や手当が出るのがおかしい・けしからん』、
とかなんとかマスコミが書き立て、テレビでも言っているようだが、
どこまでヒドい人間なんだアナタ方はと、私は怒り心頭だ。

彼らの給料に関することを決定し実際に支払っているのは、相撲協会だ。
日本国民でもなければ、マスコミでもない。
私達は彼らに、給料を貰うな!などと、発言する立場ではない。
力士たちが公務員だというならまだしも。
アナタ方、一体、相撲の「何様」なんですか(--#)。

そもそも今回取り沙汰されているような八百長の実態があったとしても、
それは法律上、何罪にも該当しない。
八百長そのものが理由で損害賠償を請求する人間もいない。
賭博や暴力事件とは全く違うのだ。
まあ、マスコミが今回の騒動を煽ったせいで損害を被った人なら多いが。

少なくとも直接には、八百長があったか無かったよりも、
このタイミングで騒動がどんどん拡大されたことと、
報道の非難がましいトーンが加速して行ったことのせいで、
本場所や巡業が中止され、多くの経済活動が損なわれ、
全国の大勢の人たちが楽しみを奪われた。
この件は、追求すればするほど、人を不幸にするだけで、
社会的には、ほぼ、なんの益もないと思う。
せいぜい、今までふんぞり返っていた協会や力士に、
ザマミロ~と言えたことで、溜飲を下げる人たちがいるだけだ。

それとも、ここで大相撲をつぶすことで、もっと大きな何かを隠蔽でき、
そのことで命拾いする人たちが、今の日本社会の陰には居るのだろうか。
ついつい、そんな陰謀話に心惹かれてしまうくらい、
今回の八百長騒動及び、それを報道する人たちの姿勢は、
私には不愉快で不可解なことだらけだ。

Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »